第8章 ゲハイム作戦: Vertrauen
__星暦一五六八年
『僕』たちクロイツェン公国はストヴァ帝国に敗北した。
その戦いは実に呆気ないもので、ほんの三十分で決した。短時間ではあったが、負傷した兵は全体の三分の二に及んだ。
戦いの最中、僕、ユカシル・ニューゲートは十字団の一員として、負傷した兵や民間人の治療に当たっていた……その治療の最中に兄様がストヴァの帝王によって連れ去られたことを知ったのだった。僕はその知らせを聞いて、すぐさま敵の本陣がある場所へと向かっていく。
兄様が、連れて行かれる! 嫌だ! 絶対に連れて行かせるものか‼︎
僕は使い慣れてない翼を懸命に羽ばたかせて兄様の元へ急いだ。うまく飛べない僕は、途中道端で何度も転げ回りながら、僕らが処刑された広場に着いた。
そこにはもう誰も居らず、広場にはベッタリとした黒く鉄臭いものが広がるだけで、戦いに行ったクロイツェン兵は見る影も無かった。この惨状を見れば戦いで何があったのか、大体想像はついた。
__兄様はここにはもう居ない。
兵士のみんなも全滅させられてしまっていた。
……僕は悔しさに泣き崩れる。
『もう離れない』と兄様とは約束を交わしていたのに、僕は守れていなかった。
僕はただ、兄様とクロイツェンのみんなと笑って過ごしたかっただけなのに。僕にはどうしても兄を諦める気にはなれなかった。
僕は無言で空を仰ぐ……灰色の空から降る白い雪が涙に溶けていく。
僕は広場にあった黒いものを十字団のポーチに入っていた小瓶で掬い上げて軍本部に帰還した。
***
軍本部には負傷した腕に巻かれた包帯を握りしめ悔し涙を浮かべる、ラミア様とハインツの姿があった。
「……あぁ、ユカシルか。すまない。私としたことが情けない姿を見せてしまったな。」
ラミア様は力一杯顔を拭うと僕から顔を背ける。
「……ユカシル、ごめん。僕には君の兄さんを連れ戻すことができなかった。」
僕がハインツに訊くとラミア様も向き直り、二人で話してくれた。
二人はあの兄様の奇襲作戦に反対はしたものの、やっぱり心配で兄様の後をついて
いったらしい。
物陰からいつでもストヴァの本陣に届く距離で様子を伺っていたのだが、兄様の特殊体質を見たストヴァの帝王が、あっという間に兄様以外のクロイツェン兵を『黒い魔術』で蹴散らしたそうだ。
兄様を攫っていこうとしたのを二人が止めようと向かっていくと、ヴァイスというストヴァ軍の将軍に行く手を塞がれ、抵抗する時に腕を折られたのだと言う。
痛みのせいで抵抗できなくなった二人にストヴァの帝王は条約を二つ突き付けた。
一つ目は『クロイツェン公国の君主、エルバードの身柄の引き渡し』。
彼らは兄様の特殊体質の研究をしたいと言ったらしい。一体何の研究をするのか僕には全くわからなかったが、あの『黒い魔術』が使える相手のことだ。兄様にとって良くない研究であることは十分推し量れた。
二つ目は『ストヴァ帝国の人間の白死病の治療を無償で行うこと』。
ストヴァ帝国内では白死病の影響から人間の人口が激減し、吸血鬼たちの飢饉が起きようとしていた。そこで今回隣接していたこの地に攻めにやってきたのだ。と、彼らはこの二度の侵略の目的を告げたのだと言う。
でも僕はこの戦いに何か兄様に対する『強い感情』を感じとっていた。
戦いの理由は他にあるのかもしれない、僕はそう推測したが……具体的に何が原因なのかまでははっきりとしなかった。「僕らはこの条約に従おう」とハインツとラミア様に告げて十字団の病棟へ負傷者の治療のために向かった。
『戦いに勝利した相手の求めに従うのは敗れた者の責務である。
それがこの世界における決まりであり、抗おうものならそのものの滅亡は必然で
ある。しかし、たとえ辛く永い従属の時代の中にあったとしても、相手の内側に 『亀裂』を見つけ、そこに『反逆の鉄槌』を叩き込め。
これはこのレーベンを守る領主の責務だ、最後まで諦めてはならないのだ。』
僕ら兄弟が幼い頃からレーベン領主であったお父様に領地を守るための教訓として教わった言葉が頭によぎる。
『反逆の鉄槌』、それを叩き込むんだ。僕たちだって奪われてばかりなのは悔しいから。
僕はストヴァの吸血鬼の人間に対する扱いがクロイツェンと全く違うことに目をつけた。彼らは人を食糧としてしか扱わない。それは僕たちクロイツェンの民は間違いだと信じている。
『人間と吸血鬼の共存ができている国家体制』
『人間にとって好意的なこの国家体制を築いた兄様の誘拐』
……これはストヴァを敵国と見なし、人間たちとともに反逆するための好事象だと考えた。
僕は何としてでも。兄様と護ろうと約束したクロイツェンの民のみんなと、これまで民を思い続け行動してきた兄様を”どちらも ”救いたかった。治療を終えた僕は軍本部へ戻ると、真っ二つになった机を持ち上げて思い詰めた様子のラミア様を見つけてその手を引っ張った。
「ラミア様、僕には考えがあります。僕たちクロイツェン民の力で兄様を、この国の君主を連れ戻すのです。」
僕がそう伝えると……ラミア様の瞳は熱く輝いた。
***
僕たちはストヴァとの条約に基づいてストヴァの人間の白死病の治療に向かった。君主である兄様の弟である僕は、『君主代理』として十字団の指揮と公国軍の方針指導を任された。
……まずはストヴァの人間たちをこちら側に引き寄せたい。
うまくいけばストヴァの吸血鬼の食糧である人間を減らし、帝国の機能を弱らせることができる。僕はそう考えて、ストヴァの人間とは仲良くするようにクロイツェンのみんなには伝えた。
最初、ストヴァの人間たちは僕たち吸血鬼とはなかなか言葉を交わしてくれず交流もほとんどできなかったが、クロイツェンの人間が僕らと手を取り合い仲良くしている様子を見て徐々にクロイツェンの吸血鬼とも言葉を交わしてくれるようになっていた。
白死病の治療は順調に進んでいった。ストヴァの人間の治療を始めて半年も経つ頃には、常に満床だったクロイツェン国立病棟の病床は半分近くが空くようになっていた。
ストヴァの人たちと僕たちクロイツェンの『みんな』の仲も良好だった。
ストヴァの人たちはストヴァの吸血鬼に恐怖で支配され、食糧としてしか扱われない過酷な生活を強いられていることを僕たちに話してくれた。
「どうかその力を使って我らをお救いください」と僕ら吸血鬼に縋り付いて泣く人たちが何人もいた。ストヴァの吸血鬼はその圧倒的な身体能力を持て、力で人間を支配する体制をとっていたため、吸血鬼の力の強大さを知っている者がほとんどだった。
『恐怖による支配統治』、やはりこれがストヴァの『亀裂』であると僕は確信した。
しかし、僕らはまだ成り立ての吸血鬼。まだ彼らの力に対抗し得るほどの力がある兵士はラミア様とハインツ率いる元騎士の軍隊に所属する人たちくらいだった。
僕も兄様と同じように騎士団に入って訓練を受けたけれど、僕には剣技の才はほとんどなく、新人騎士団の試験を運良くギリギリ通れたくらいの実力だった。強くない僕は皆の足を引っ張ってしまう。
……それでも僕は考える。何か、何か無いのか?
『俺たちは他の吸血鬼たちとどこか違う』と、兄様は熱心に僕の血液の調査に励んでいた。
バケモノになった僕は皆の役に立てないのか……?
***
治療が始まって九ヶ月が経つ頃だった。
兄様が残した十字団の研究資料を読み漁りながら思い詰めていると、僕があの日、小瓶に詰めた黒い物質が研究室の机の上で輝いたように見えた。それに気づいた僕はその小瓶に触れてみる。
……でも、何も変わった様子はない様に見えた。
さっきは光ったはずだと僕は念を込めてもう一度瓶に触れてみる。すると小瓶の中の黒い液体はぼんやりと白く輝き始めた。
その現象を見た僕が『もっと光れ』と念をこめると、やがて強く白い光を出して小瓶ごと爆破四散した。
この時、僕は『不思議な魔術』を使えることに気がついた。
しかも、この魔術はこの黒い物質にだけ効いているようで、他の小瓶にも『爆発しろ』とか『光れ』と念を送ってみたりした。が、僕の目が乾くだけで全く反応しなかった。
……爆発音を聞いたハインツが研究室に単身で乗り込んできた。
きっと奇襲を受けたと勘違いして助けに来てくれたのだろう。息切れしながら僕の方を見ると安心したようで彼はその場に座り込んだ。
公国軍はあの敗北の後、ラミア様によってさらに精度を上げた特訓が始まった。
今度は飛行能力に左右されないように。まずは兵士全体の身体技能の向上と動きの連携が主な特訓の内容だった。
騎士団に所属していなかった吸血鬼たちが主な対象だったので、彼女の実力を詳しく知らない兵士たちは最初、女性であるラミア総指揮官に舐めるような態度をとる兵士が多かったらしい。
しかし、国内最強の兄様に劣らない彼女の剣の腕前と的確な指導力に押されて、段々と兵士たちは彼女の指揮に従順になり、兵士同士の連携がとれるように成長していた。
……でも、実力持ちのラミア様にも限界はある。
最近はもっぱら新人兵の鍛錬に明け暮れていて、国内の警備はアミア様の弟であり公国軍副総指揮官であるハインツがほぼ一人でやっている状態だった。腕を見込んでのことだろうけれど、彼はいつも忙しそうで……公国で何かあるとこうして走り回っているのだった。
「……はぁ、はぁ、ユ、カシルぅ……よかっ、た、無事、なんだね?」
切れ切れの息でハインツが片手を僕の肩に置き無事を確認する。僕が興味本位で実験したせいだ……本当にごめんよ!
「ごめん! ハインツ! 研究資料を漁っていたら僕、瓶を爆発させちゃって……魔法が使えるみたいってわかったんだ……」
僕の足元に座り込んでいたハインツは『魔法』の単語に反応したのか、すぐ立ち上がると僕の肩にもう片方の手を置いて優しく揺さぶる。
「それは! 一体どうやって? 僕にも教えてよ!魔法を使えるようになったら僕 ら、もっと強くなれるかもしれない!」
キラキラと紅い目を輝かせている。どうやらハインツも魔法に興味があるみたいだ。僕はハインツの手を握って外へ誘導した。
「もちろん! でもここには『僕が魔法をかけられるものが無い』から外に行こ う!」
僕はハインツと一緒にあの黒い液体を採取した広場に向かった。
広場はあれからこの黒い液体に塗れていて、誰が何を使っても、この染み付いた泥のような物体を取り除くことができないでいた。
この真っ黒な気味悪さから、この広場に立ち寄る人はほとんどいなかった。
来たとしても調査・研究のために僕ら十字団が来るくらいで、この物体は僕が持って帰ったものの成分分析の結果、やはり『兵士だったもの』だとわかっていた。黒いのは黒魔術で呪い殺されてしまった者の残穢であることが関係しているのだろうという見解だった。
……今までこの物体に触れることができたのは僕だけで、僕が特殊体質であることと何か関係があるのかずっと疑問を持っていた。
僕はハインツの前で研究室の時のように物体に念を送ってみせた。
念は言葉にしないと周りの人には伝わらないもの。だからハインツにもわかるように、僕は僕自身の念を『言葉』に乗せてこの黒い海に伝えてみせる。
「『白き光よ、我らが同志の魂をこの空へ還したまえ』!」
僕が念を込めた『魔術みたいな言葉』を放つと、たちまち黒い海は白く光り輝き始める。しばらく輝き続けると何本もの白い光の束が空に向かって伸び、そのまま光は空へ消えていった。
魔法の範囲が広すぎたのか、強い光で目が眩んだ影響で僕の目が急速に視界を正確に捉えられなくなる……しかし時間が経っても『視界の靄』が晴れることはなかった。
……そうか。この魔法には『代償』が必要なのかもしれない。
そう気づいたところで僕の視界は元に戻ることはない。ハインツは眩しそうに瞬きして僕の様子を見ていた。が、僕がよろめく姿を見てすかさず手を貸してくれた。
「『まるで歳をとったみたい』だよ。今の僕には君の顔が全然見えていないんだ。
……ごめんね。」
そう彼に伝えると、彼は驚いたのか力強く僕の手を握りしめる。
「……この魔法は使わない方がいいと思う。また新しい戦術を考えるから、ユカ シルは無理をしないで。ね?」
と彼は優しい声で僕を気遣った。ハインツは昔からみんなに優しい。顔は見えなかったけれど彼が本当に心配してくれているのは声色でわかった。あたたかい。
……僕はこの得体の知れない自分自身の力が、自分さえも消してしまうのではと思うと、この力が怖くて不安で堪らなかった。
でも僕たちがこうしてストヴァの脅威から一時的に離れることができているのは兄様のおかげなんだ。今頃兄様は何をされているのだろう。早く、早く兄様を救わなくては。兄様とのあの病室での『約束』は僕が無理をする理由には十分だった。
僕はその後ラミア様の元へ向かった。
兄様が使っていた眼鏡をかけて彼女に会うと、驚いた様子でこちらに一度振り返ったが、そのまま視線を訓練する兵士の方へと戻した。
「どうしたんだ? それ、エルのじゃないか。すまないな、ユカシル。私は今忙 しいのだ。それをかけて私を驚かせようとしているなら、この戦いが終わってから にしてくれないか?」
僕はその勇猛な背中に抑えきれない想いをぶつける!
「……そうだよ、僕にはこの戦いを終わらせることができるかもしれないんだ!だ からラミア様! どうか僕が作った作戦を聞いてくれませんか‼︎」
僕が珍しく声を荒げているのを聞いて、ラミア様はこちらに振り返る。
そして、彼女は真剣に、その尖ってしまった耳を傾けるのであった。
***
僕が魔術を使えることに気がついてからさらに半年経った。国立病棟に入院している患者はすでに居なくなっていた。
僕らは今日ストヴァに戦いを仕掛けに行くのだ。クロイツェン公国軍がストヴァ帝国の首都に奇襲を仕掛ける、『ゲハイム作戦』と名付けられたこの作戦で、このクロイツェンとストヴァの運命が決まろうとしていた。僕らとの交流を通してストヴァの人間は八割ほどがここクロイツェンに逃亡しそのまま住むようになったので、ストヴァにはもうほとんど人間は残っていなかった。
……おそらく向こうは『食糧』が底を突く頃だろう。
また戦いを持ちかけてくるのは時間の問題だったが、今回はこちら側から攻めに行くのでストヴァの奇襲を恐れる必要はなかった。公国軍もあの襲撃から一年を経て急成長を遂げ、翼を使いこなせるようになっていた。
……もう、あの時のように統率を崩して壊滅することはない。
みんな、攻め込む覚悟ができていた。
……絶えず緊張している、僕を除いては。
僕は兄様が置いていったクラエルさんの十字架をしばらく祈るように握りしめてから、大事に腰に提げて作戦に赴いた。
僕たちは翼を広げて寒空目掛けて羽ばたく。
今回の戦地となるストヴァ帝国の首都にある吸血鬼の本陣がある城、『ヴイザフ城』に向かう途中、僕の緊張に気がついたハインツが「大丈夫。僕と姉さんも一緒に行くんだから」と一声かけてくれた。
ラミア様は声こそかけないけれど、ただ無言で僕の手を強く握り戦地までその手を離さず握り続けてくれた。僕も覚悟を決めて強く手を握り返すと、長い前髪が風に煽られて、一瞬だけ垣間見えたラミア様の横顔は、朗らかに微笑んでいた。
……僕たちはヴイザフ城にたどり着いた。
3月のストヴァの雪はクロイツェンの雪より強く冷たく僕らに降りかかる。
そんな雪をものともせず僕たちは力強く雪原を踏み締め、ヴイザフ城を包囲する態勢をとる。
「突撃! 私たちの覚悟を帝国に見せつけてやれ‼︎」
ラミア様の号令とともに僕らはヴイザフ城に乗り込んでいく。僕とラミア様、ハインツの三人は城の中に入ると真っ先に帝王がいる場所を探して行動した。
『エルは帝王と同じ場所にいる。奴が実験したいというからには貴重な実験体と一緒にいるだろう』というラミア様の直感は的中した。兄様は地下牢の中にいるようだ。
『不気味な笑い声』と『悲痛なうめき声』で場所はすぐにわかった。
……三人は急ぎ足で地下に向かっていく。
早く、早く助けるんだ。足早に階段を駆け降りる途中で頭上から何かが降ってくる。それは……渇きで自我を失いかけているヴァイスだった。
「……あぁ! 君たちかァ‼︎ちょうどイイや……お兄さんお腹が空いておかしくな っちゃいそうだから、さ。『ちょっとだけ』殺させてよォ‼︎ アァ! 苦しいよォ‼︎」
紅い目をギラギラと輝かせる。渇きの狂気に溺れ、今すぐ血肉を食らわんと暴れ出しそうなヴァイスの前にハインツが一歩出た。
「……ここは僕に任せて二人は先に行くんだ‼︎ 行って! 姉さん! ユカシル‼︎」
そう言葉を放つハインツの背中を叩き、ラミア様は立ちすくんだ僕を片腕で担いで階段を降り始める。
「すまない! ハインツ‼︎こんなイカれたクソ野郎、お前なら倒せるって信じているからな‼︎ 行くぞ、ユカシル。」
僕はラミア様に抱えられて先に進んで行く。ハインツは強い、でも少し心配で、壁で見えなくなるまでハインツの方を見ていた。
ラミア様の言葉に反応した様子でヴァイスは僕らの方へ爪を向けようとした。しかし、一瞬の間にハインツはヴァイスの向かう方へ移動し、振り下ろされた手を剣で受け止めヴァイスの進路を塞いでくれた……僕は進む方へと視線を返す。
__待っていて、兄様‼︎
「君のお姉さん、言葉遣いが悪いなァ‼︎ 何なんだよ! イカれてるって酷いよォ‼︎
お兄さんがおかしいのは渇いているからなのにィ‼︎あぁ、久々にムカついてきち ゃうね……君から食べちゃってもイイかなァ? イイよねェ?来たのは君たちの方 なんだからさァ‼︎ アハハハ‼︎」
「……貴様が狂っているのは元からだろう? ヴァイス・アルマス公。ハインツ・ ルーファス。『俺』が貴様の相手だ!思う存分にかかってこい、このバケモノ め‼︎」
***
ハインツとヴァイスが争う音が階段に響き渡る。どうやらハインツはあのバケモノと互角に戦えているようである。僕はそのままラミア様に抱えられて長い階段を降りていき、やがて地下牢に着いた。牢の扉の陰から覗くと、血塗れの兄様と、僕と同じくらいの歳の見た目をした少年が見えた。
……兄様が幽閉されていた地下牢の中はさながら地獄のようだった。拷問をしたのだろうか。
器具はどれも血に塗れ、兄様が倒れている床には腐った臓物や肉片が至る所に在った。辺り一帯、暗がりの中は陰湿で、鉄臭い匂いで満たされている。
兄様がどれだけ苦しんだのだろうか、と想像するだけで目眩を引き起こしそうになる。ラミア様もその惨状を見てしばらく言葉を失っていたが、その後、彼女は兄様の隣で微笑む人物を凝視していた。僕もその人物に目をやる。
……あれは、クラエルさん……なのか?
姿形はそっくりだけどあれは違う、クラエルさんは兄様が傷つくのを見て笑ったりする人じゃない……あれは作りものだ。
ラミア様も作りものだと確信した様子で、兄様があの作りものに心を囚われていることも察知した。ラミア様は兄様が『本物のクラエルさん』から託された十字架を僕の腰から素早く抜き取ると、そのまま牢の扉の影から出て一直線に兄様の隣に立つ人形に真っ直ぐに向かっていった。
ラミア様はその人形の前に立つと、偽物の目の前に十字架を突きつけた。
その偽物の反応を見た後、何かを確信した様子を見せると、腰から針剣レイピア
を抜いて静かに人形の首を切り落とす。
人形の首から血が溢れ出る……兄様は少し悲しそうに眉を寄せ、感情の消えかかった暗い瞳でその人形を見つめていた。
……血塗られた人形の前に座り込む兄様の胸倉を掴んで、ラミア様は兄様の顔を一発殴った。
「お前はあれをクラエルだと言うのか! あれは紛い物だ‼︎実の姉の私が言うのだ、 私は絶対に間違えない!お前があんな人形に心を囚われてどうするのだ!」
兄様には届いていないのか、紅い瞳は燭台の光も映さず暗いままだ。不規則に動く唇が懺悔を模る……それでも、ラミア様はもう一度、兄様の顔を引き寄せ大声で呼びかけ続ける。
「しっかりしろ! お前はクロイツェンを引っ張る君主だろ!
……エル…………レーベン騎士団長! エルバード・ニューゲート‼︎……私たちに 腑抜けた面をみせるな! この馬鹿っ‼︎」
ラミア様の言葉を聞いて、虚ろだった兄様の顔に色々なものが混ざる感情が戻っていく。
……そんな時だった。暗闇の中にいた少年がラミア様の背中に蹴りを入れた。
そのまま二人は牢の隅の壁まで吹き飛ばされて、ラミア様は兄様を庇って壁に思い切り頭をぶつけ大怪我を負った。不機嫌そうな少年はため息をついて、ラミア様たちが飛ばされた方を見つめる。
「酷いなァ、僕の最高傑作が『紛い物』? そんなわけないでしょう。だって僕は その子のことをちゃんと『本体から作った』んだからさ?」
「……本体、ど、ういうことだ……」
ラミア様が息を途切らしながら少年の言葉に食いつく。
「そのままの意味だよ。『お義姉さん』。それはあなたの妹さんの体から作られ ているんだよ? 大きくなるまで結構かかるんだからね? 全く、また一から作り直 しかァ……」
少年は気だるげに質問に答えている。その言葉を聞いてラミア様は少年を睨みつけた。
「き、貴様、質問に答えろ……本体は、本体は一体どこにある……?」
ラミア様は深傷からの流血がありながらも懸命に口をひらく。
その様子を見た少年は愉快と言った様子で高笑いして、斬られた人形の頭を拾い上げると、ためらう事もなく、ただ淡々と蝋燭で炙り始める。顔は蝋燭の炎で燃える人形に向けられ続けているが、彼はラミア様の言葉に答えた。
「アハハ! お義姉さん! 言ってなかったか! ごめんね!
あまりにも貴方たちの姿が滑稽で言い忘れてしまったよ……本体、少し考えれ ば頭の弱い貴方もわかるでしょう?」
そう言って少年が火のついた首を、地下牢で明かりがついていなかった方の壁に放り投げる。
……すると先ほどまで暗闇に紛れていて見えなかったものが姿を現す。
……そこにあったのは僕たちが埋めたはずの『棺桶クラエルさん』だった。
「……貴様ぁぁぁぁ!」
ラミア様の叫び声が地下牢にこだまする。僕はただ立ち尽くして扉の影からその凶行墓暴きの跡を眺めることしかできなかった‥‥なんて、なんてことを‥‥‥‼︎
少年は咽び泣く彼女の元へゆっくりと近づいていく。
すると、先ほどまで少年に無抵抗だった兄様が、ふらつきながら少年の前に立ち塞がった。
「エルバード。君、何のつもり?遊びたいならあとで構ってあげるから、今はそこ のお義姉さんをクラエルの元にお見送りしないといけないから‥‥邪魔しないでく れる?」
そう静かに言うと兄様の鳩尾に鋭い爪で突き貫く。
兄様の口からは大量の血が吐き出された。が、全く微動だにせず、自分の腹に刺さった少年の腕を力強く両手で握るとミシリと音を立てて折ってみせた。
少年は兄様の抵抗は意外だったといった様子で折れた腕を兄様から引き抜くと、瞬時に再生させていた。
……そうか、やはりこの少年がストヴァの帝王の『原初の吸血鬼パルカ=ローザ』。僕ら兄弟よりも高い再生能力を見て僕は確信した。
……僕の魔法はあの黒い魔術の使い手である彼に有効だということも。
「……邪魔なのはお前の方だ。パルカ=ローザ。」
そう口にした兄様の目は闘志に照らされ、紅く光を放っていた。
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