第4章 レーベン侵攻: Alptraum
クラエルの死から一年が経った。俺は彼女から託された十字架を腰に提げ、いつものように訓練場に向かう。
今年はあの吸血鬼が言っていた『十年後』にあたる。ラミアも俺も騎士団の教育に力を入れ、この十年間、力を蓄えてきた。
今年の新人騎士も俺とラミアの記録は塗り替えることはできなかったが、歴代の新人騎士に比べると高い水準の技術力を持っており、俺たちはとても誇らしく思っていた。きっと今年の初級騎士も歴代の中でも高い技術を持つ者が集まるだろうと、父上も喜んでいた。
しかし、白死病の脅威は未だ治まることは無かった。俺はクラエルのように蝕まれるものを無くしたいと思い、半年前から『あの白い花』の研究をしていた。
……二ヶ月前、とうとう弟のユカシルが白死病を発症した。白い花は彼の幼い体を容赦なく蝕んでいった。俺の研究でわかっていることは、白死病は感染者の年齢が幼ければ幼いほど進行が早く、特に成人前、十五になる前の者の進行はとても早い。ユカシルはまだ今年で十になるところだった。俺は訓練の合間を縫ってユカシルの看病のため病棟に通っていた。
……彼を救いたい。
その一心で俺なりに白い花の研究の傍ら、他の医術系統の勉強もしてみた。
訓練をサボらないのはクラエルとの約束だ。だから訓練には参加しながら白死病の治療法も模索するという多忙な日々を過ごしていた。
ユカシルもまたクラエルのように白い花に体も心も蝕まれていった。以前のような人に明るく振る舞う彼の姿は無く、見舞いに来る人に怒り狂い、暴力を振るっては医者に鎮静剤を打たれるというほどに、彼の精神状態は人との会話もままならない状態だった。
……ある日、その日の訓練を終えてユカシルの元へ行くと、全身を覆っていく白い斑点が怖くて堪らないと言って泣いていた。
「兄様、もう僕はこのままこの花に飲まれてやがて枯れてしまう運命なのです!
どうか、どうかもう僕の見舞いになんて来ないでよ! 僕は、兄様の時間を奪いた
くないのです!」
ユカシルはひどく声を荒げて俺に訴える。しかし、俺は彼の言葉に気を留めず、できるだけ穏やかに彼に話しかけようと試みる。
「……ユカシル、お前はよく頑張っているよ。全身痛いはずなのに今までよく耐え
抜いて来たじゃないか。俺も治療法を探しているから、もう少し一緒に頑張ってみ
ないか?」
俺の言葉を聞いてユカシルは少しだけ落ち着いたようだが、彼を襲う全身の痛みは彼をどんどんと追い詰めていく。
「……でも、兄様……もう僕は限界です。耐え難いのです! この花に蝕まれてい
く痛みが、僕を昼夜構わず襲うのです……僕は、皆の顔を見るとつい安心してしま
う…………。痛みに任せて酷い言葉を言ってしまう僕は、領主になる兄様の荷物に
なってしまう……これでは、僕はだめだ! どうか、置いて行ってください! 兄様
の足を引っ張ってしまう僕を!
…………どうか、置いていってください……!」
ユカシルは俺に身を乗り出して訴えると、ベッドから崩れ落ち激しく咳き込み始めた。咳がおさまって見た両手には微かに血が付いている。ユカシルもこれは初めてのことだったらしく、ひどく動揺している。
俺が心配して近づこうとするとユカシルは机の上に置かれていた白百合が生けてあった花瓶を俺に目掛けて投げつけた。花瓶は俺には当たらず手前の床に落ち、破片が激しい音を立てて辺りに散り、廊下が騒然とする。
「こっちに来るな!」と彼は俺に言い放つ。それでも、俺はユカシルのそばへ寄り、血が付いた彼の両手を握った。
……もう幾度と、目の前の大事なものを無くしてたまるか。
「いいか、ユカシル。俺のそばに居続けてくれると約束してくれ。俺はお前のこと
を重荷のように思ったことは一回も無い。それに、俺たちは兄弟だ。迷惑掛け合う
のが兄弟ってものだろう?」
俺はユカシルの小さな手を強く握る。
「俺がクラエルを失って辛かった時、ずっとお前が寄り添ってくれた。俺がそれに
どれだけ救われたのかお前にわかるか? お前はたった一人の俺の大事な弟だ。だ
から頼む。そんな悲しいことを言わないでくれ……約束してくれ、頼むか
ら……。」
そうユカシルに伝えると彼は泣き出した。花咲く身体がものに触れるときの痛みも忘れて、俺にしがみついて泣き続けた。
……しばらくして泣き疲れたユカシルはそのまま寝てしまった。俺がベッドに戻すと、満月の光に照らされたユカシルの寝顔がいつもよりどこか安心しているような顔をしているのに気がついた。俺はユカシルの頭をそっと撫でて病室を後にした。
早く、早くユカシルを救わなくては。
ユカシルはその日から、もう誰かに怒ったり危害を加えたりすることは無くなった。きっと弟は俺の言葉を信じて待っている。
……それなら兄の俺は彼に何ができる。二度も尊い命を溢した俺には何ができるだろうか。
俺はその晩から白死病の治療法の研究に没頭し始めた。
……母上が言っていた古い流行病のように、この病は治せる病にできないものか。
母上の母親は昔の流行病で亡くなったが、今ではその病は街の医者に診て貰えば大抵3日で治ってしまうようなただの風邪だ。薬の成分を探していた当時の研究者は『自分が何度もその病の罹患者に出会っても病がうつらない』のを不思議に思って、『普段から日常的に摂取しているもの』に目を向けたのだという。
……レーベンにはこの白死病に罹らないものたちがいた。
……それはレーベン騎士団の騎士たちだった。
騎士団の騎士は白死病患者の搬送や救援救護にあたるのに全くあの病魔に罹らなかった。
……そういえば。
クラエルが白死病に罹る前、よく俺たち騎士団の皆に『手作りの飴』を振舞ってくれていた。一見すると何の変哲も無い少し不思議な香りがする飴なのだが、そのほんのり爽やかな香りが癖になった騎士たちが西の市場にその飴を探しに行って、しかし結局どこにもその飴は売っていなかったらしく、騎士たちにせがまれた俺がクラエルに聞いてみれば『隠し味に白百合を使う』のだと教えてくれた。
クラエルがいなくなって、今度はハインツがその飴を作るようになっていた。ハインツの部隊はもちろん、騎士団の皆はあの飴をよく訓練の後に舐められるようにポケットに忍ばせている。
『白百合の飴』
街のどこにも売っておらず、一般の領民たちは摂取できない、しかし騎士たちが普段何気無く口にし続けているもの。
……ではなぜクラエルは白死病に罹ったのか。
きっと優しい彼女のことだ、少しでもたくさん皆に振る舞うために、作ってもレシピを覚えてからはほとんど味見などせず、習慣的に摂取することはなかったのだろう。
……もしそうだったら、この状況に対しての説明がつく。
……クラエル、君のおかげで俺たち騎士団は守られていたのかもしれないよ。
食事も睡眠も忘れて、昼夜構わず資料を漁り研究を続けていた。そんな様子の俺のことを見てラミアは察したのか、訓練に来いと言わなくなった。ハインツもラミアの特訓をサボらなくなった。『十年後』も近い。俺たちはそれぞれ自分のできることをして過ごした。
***
それからさらに時が経った。クラエルの死の後悔から白死病の治療法の研究を始めて一年。ようやく特効薬に使える物質を『ある植物』から発見した。
『白百合』から抽出されたその物質は、白死病の病原体である真菌に直接作用しその生命活動を停止させる。それすなわち、白死病を治療できるものだった。
俺はこれにレーベンの希望となるよう願いを込めて、かつての聖女の名前から『クラエリン』と名付け、早速、白百合の栽培に取り掛かった。
俺はクラエルが通っていた教会の花壇を借りて、西の市場で入手した白百合の種まきをし始めた。作業をしていると、訓練終わりのルーファス姉弟に会った。
治療法の研究中、俺は一度も訓練場には行かなかったので、彼らに会うのは半年ぶりだった。
籠りっぱなしで日に当たらず青白くなった俺の姿を見て二人は驚いていたが、俺が脇目も振らず種まきをしているのをしばらくの間見て、何も言わず種まきを手伝い始めた。
七月の西日傾く暮れ方、種まきが終わり、水やりをしているときに眉を顰めたラミアが俺にようやく声をかけてきた。
「……なぁ、エル……ユカシル、これで治せそうなのか?」
久しぶりの肉体労働に疲弊した俺は、ふらつきながら立ち上がってラミアに答えた。
「あぁ、ようやく見つけた。この白百合の花が俺たちを救ってくれる……はずだ。」
俺は泣いていた。この花を、この成分を見つけることができて嬉しかったのだ。
その様子を見ていたハインツが優しく背中をさすってくれた。肩を震わす俺にそのまま声をかける。
「……きっと、ここならクラエル姉さんが守ってくれるよ。」
「……そう、だといい、な……。」
俺は返事の途中で倒れてしまった。安心してしまったのだろう。まだ薬になったわけでは無いが、これでユカシルを救える。レーベンを救うことができる。少し希望が見えていたと安堵していた。
気が付くと俺は自分の屋敷の研究室のソファーの上に寝かされていた。日はすっかり落ち、部屋にある燭台だけがゆらゆらと自分を照らしていた。
ラミアかハインツがここまで運んでくれたのだろうか。姿はもう見えないが、後で礼を言いに行かなくてはいけないな、そう思っていた矢先。
外で爆発音が聞こえた。悪い予感が頭をよぎる。
『十年後』……今日が約束のその日だったのなら……
俺は寝起きで回り切らない頭を抱えて屋敷の外へ飛び出した。
屋敷の外は辺り一面、日緋色の火の海が広がる。いつもの見慣れたレーベンの景色とはまるで違う景色があった。それはまさに地獄絵図だった。
街中で、人々の悲鳴が炎の中から響き渡っていた。新たな炎が次から次へと、爆発音と共に燃え上がる。途切れることの無い断末魔、■■が焦げた匂い、俺の頭に悪夢の図が焼き付いていく。
……■■が焦げた跡を見ては何度も気を失いかける。
それでも、俺は病棟にいるユカシルを確かめに行かなくてはならない。彼は、ずっと俺を待っているのだから。ユカシルはきっと無事だ。大丈夫だ。掠れた意識の中、俺は震える足を動かすために何度も自分に言い聞かせた。しかし、まともな食事も睡眠もとっていない俺の身体は思うように動いてくれない。
歩き始めて間も無く、俺は背後から声をかけられた。
「アレェ? 君かなぁ? 久しぶりだねぇ! 騎・士・くん!」
声を聞いた瞬間、身の毛がよだつ……『聞き覚えのある声』だった。
「……ヴァイス。貴様……なのか。」
「『約束』だもんねぇ? ちゃあんとお兄さん、来たでしょう? 今度はお兄さん、
仲間も連れて来たんだぁ! 帝王様に報告したら連れて行けって言われちゃってサ
ァ?もぉ! お兄さん君『たち』のこと独り占めしたかったのにぃ!悔しい、クヤ
シイ? ウレシイ、嬉しいなぁ! 君たちとこうして再会できたんだからぁ!アハハ
ハ‼︎ タイヘンウレシイねぇ!ネェ‼︎」
狂った笑い声がこだまする。このバケモノは、やはり来てしまったか。しかし先の彼の言葉が頭に引っかかる。
君『たち』……一体ラミアたちは何をしているんだ?
「俺ネェ、君ともう一人の方……そう! 金髪の騎士ちゃん! さっき会ったんだけどサ? もうすごく強くて、やっぱりお兄さんが見込んだだけあるなぁって、お兄さん感激しちゃった!それでお兄さんつい本気になっちゃってさ……やっちゃったんだよね、ネェ!アハハハ‼︎ アァ! 本っ当に最高な顔だったよ! 君にも見せてあげるつもりだったのにサ!」
「…………殺した、のか、ラミアを、貴様が……!」
「あれぇ? そう言わなかったかなぁ? 俺、騎士ちゃんの血、もう起き上がれなくなるくらいに吸っちゃったから、多分もう動けないだろうねぇ? イヤァ、あの年の少女の血は実に最高だったネェ‼︎全く、今日は最高な晩餐会だよ! アハハハハハ‼︎」
ラミアが、死んだ? そんなはずがない。彼女はこのレーベン騎士団で団長の俺と並ぶ力を持った副団長なんだぞ? 戦で失血なんてものともしない屈強な彼女が、やられるはずがない。
しかし、この狂ったバケモノの口元を見ると、確かにベッタリと紅い血がついていた。
「……この、クソッたれ‼︎ 嘘をつくな! ラミアは、貴様に血を吸われた程度でやられる奴じゃない‼︎」
俺は目の前の紅の証明を必死に否定する。さっきまで言葉を交わしていた彼女が。あの、いつも楽しそうに笑って決闘に誘う令嬢がいなくなったなんて……信じたくない。
「ムリな話だよ、騎士くん。だってお兄さん吸血鬼だもん。知ってるはずでしょう?『吸血鬼は伝染する』って。まぁ、騎士ちゃんの血が俺らの血に順応出来ればの話だけどネ?君のお父さんは血を入れようとしたら俺のこと拒絶したのか自分でお腹を切って動かなくなったよ。ハァ……強かったのに残念だねェ。」
あの騎士団最強だった父上も……コイツに? 道理でそんな相手、あの時の俺たちに敵わないはずだ。
しかし、どういうことだ?『吸血鬼は伝染する』と、バケモノはそう言った……俺は浮かんだ疑問をそのまま、目の前で愉快げに笑うヴァイスに投げかける。
「……伝、染、するだ、と?」
ヴァイスは俺の顔を見るとひどく顔を歪ませ黒い翼を広げて喜んだ。
「アレェ? アレレェ! その絶望した顔イイねぇ‼︎ 最高だよ!気分がイイから教え
てあげるね! 騎士くんに!俺たち吸血鬼はね? もともと『人間だった』んだよ?
『原初の吸血鬼』であらせられる帝王様が不老の肉体を俺たちに授けてくださっ
た、それが俺たち『吸血鬼』なんだよ!君たちと約束したのもね、俺が君たちを
『こちら側』に引き寄せるためだったんだよネェ‼︎‥‥俺ってなんて優しいんだろ
う! アハハハ!君たちも吸血鬼になれたら俺と一緒に遊ぼうよ! 不老の体になっ
たなら、もっと、もっと強くなれるからサァ! 人の血しか栄養にならないけど、
慣れてしまえば人の血も美味しいヨォ?さぁ、さぁ! 一緒においでよ、騎士く
ん‼︎」
コイツが『元』人間だった、だと? 嘘だ、信じられるか、そんなこと。ではなぜ……
「なぜ、本来自分の同士であるはずの人間を貴様は殺してまわるのだ!ラミアを、
父上を殺す必要がどこにあった!」
俺が声を荒げて問うと、ヴァイスは鈍く光る紅い目を細め、低く、落ち着いた声で答えた。
「…………だって、滑稽じゃないか。人間が苦しみ転げ回る姿を見るのは、さ?」
そうか、元より心は人間ではないのだ。
この男、元より心は『バケモノ』だったのか。
こんな奴にラミアは、父上は殺されたのか。
俺は言葉より先に体が動いていた。俺は屋敷から持って来ていた剣を構えた。久しく剣を握っていなかったせいか、いつも使っていた剣のはずなのにズシリと重い。
『不老の体』と奴はそう言った。つまりは『不死ではない』ということだ。
……必ずみんなの仇を取る。コイツは生かしておいてはならない。
「貴様なんかと同じ道を歩むものか! 俺は吸血鬼になんてならない‼︎ 絶対に、
な!」
俺は力強くヴァイスを一蹴した。すると奴は残念そうに肩を落として、俺を紅く不気味な瞳で睨みつける。
「……そうか、そうか。残念だよ、騎士くん。君は俺たちと一緒に強くなれると思
ったのに‥‥じゃあ、バイバイ。」
ヴァイスにそう言われた瞬間、右の視界が紅く染まる。瞬時には自分に何が起きたのか理解ができなかった。
右半身が動かせない。徐々に傷が痛み、俺は右半身を大きく切り裂かれたことを理解した。
……俺はもう死ぬのか?地面に転がされるだけで何もできなかった。
…………この十年間、俺は一体何をして来たのだろう。
走馬灯が駆け巡る最中、俺は白百合の花に囲まれたユカシルの姿が見えた。
そうだ、俺はユカシルのところに行かなくては。そう思い無我夢中に手を伸ばすとユカシルでもヴァイスでもない、ユカシルに近い、しかし背丈の違う人物が俺の手をとって俺を見つめていた。金髪に青い瞳の少年……
聖女の行進で見かけたストヴァの子供兵だった。
しかしあれから八年経ったはずだが、彼の姿は何も変わっていない。そうか、彼もまた吸血鬼だったのか。彼は俺が腰から提げていた白金の十字架を見ると暗い笑みを浮かべた。
「へぇ、こんなものが吸血鬼に効くと思ったの? ……本当に、君は愚かだ。……
その十字架は君が負うものだと言うのに。」
今更気づいたところで抵抗する力も残っていない俺は、少年に引き寄せられ首元を噛まれた。
俺は血を吸われた……いや、血を『入れられた』のだった。
しばらくしてから彼は俺を噛むのをやめ、満足したかのように舌なめずりをすると、そのまま火の海の中へ消えていった。
彼の言う言葉は理解できないまま、俺は噛まれた首元を左手で押さえてうずくまる。
この“夜想曲”はいつ終わるのか。段々と意識は闇に沈んで消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます