第2章 聖女の行進: Bezauberung

 あのストヴァの急襲から二年経った。『十年後』まであと八年。俺とラミアは歴代騎士団員の中でも史上最速で一級騎士になり、新人騎士団の教育を任されるようになっていた。

 『十年後』に備えて。新人騎士の教育に力を入れるとともに、自分たちも日々厳しい鍛錬を重ねていた。

 「……一九九八、……一九九九、……二〇〇〇…………」

 「……二〇〇一、……二〇〇二、……二〇〇三…………」

 「……なぁ、お前たち、もう十分じゃないか?あまり大きな剣で素振りしすぎると

 体壊すぞ?」

 今日も俺とラミアは自分たちの身長の倍近くある巨大な剣で素振りをしていた。あと十回、いや百回はできるだろう、俺もラミアも顔を真っ赤にして、競い合うように互いの素振りを見せ合っていた。

 「……いぃや、俺はまだできます! ……ぅがっ‼︎」

 「……私だって、まだまだ! ……ぁあっ‼︎」

 「あぁっ‼︎ 言ったそばから! 誰か! 担架もってきてくれ!」

 倒れこむ俺たちを見た騎士が叫ぶ声が段々と遠くなっていき、やがて俺の意識は落ちていってしまったのだった。

 俺たちはあれからもっと早く強くなりたいと、鍛錬の強度をだいぶ無理にあげていた。毎朝早朝に騎士団の訓練場に二人で行くと、大人に負けないくらい……いや、大人もやらないであろう荷重の大きい筋トレ各種を済ませてから、レーベン領内の走り込み十キロを終えると、ふらつく足を武器庫へ向かわせ大人用の真剣で素振りをしていた。『あのバケモノ』に勝ちたくて…………


 俺もラミアも気がついたら騎士団病棟のベッドの上に居た。どうやら疲労骨折らしい。俺たちは腕を負傷して、そのまま鍛錬の疲れで気絶したようだ‥‥‥そこへ耳を劈く声が聞こえてくる。

 「もう全く! お二人はいつも無茶ばかりして!今年に入って何回目だと思ってい

 るのですか! エルバード様!」

 負傷した俺たちに説教をしに来たのは、俺の婚約者であり、ラミアの妹である、ルーファス家の次女クラエル・ルーファスだ。

 彼女は俺とラミアと一つ違いだが、常に自由奔放な姉のラミアよりもしっかりとしており、自分達より小さい子たちの相手も良くしていた。その世話好きな彼女の性格が買われて『レーベン星教会』で洗礼を受けて聖職者になった。

 彼女はとても明るく元気で教会に来る皆や俺たちはよく世話になっており、俺とラミアが怪我をするたび見舞いに来るので騎士団病棟の騎士たちにもとても好かれていた。

 俺は彼女のことが好きだ。彼女に直接この気持ちを言ったことは無かったが、俺は密かに彼女と会うことを楽しみにしていた……ただ、この説教の時を除いてだが。

 「……七回目……くらいかな?」

 「いいえ、十回目ですわ! エルバード様!私がどれだけ心配しているのかわかっ

 てくださいまし‼︎」

 クラエルは周りの目など気にせず大声で俺に訴えた。あぁ、俺に向けられる周りの患者たちの視線がとても痛い。気まずかったのでラミアに視線を送ってみたが、彼女は顔を真っ赤にして黙ったままうつむいていた……どうやら気まずいのは彼女も同じらしい。俺の視線にラミアは気がつくと瞳に涙を溜めてほんのり赤に染めた頬を膨らませるクラエルに言い訳を始めた。

 「……クラエル、私もエルもストヴァの襲撃に備えてだな……」

 ラミアの言い訳にクラエルが涙目で食らいついた。

 「ラミア姉様! あなたもですわよ! いつもエルバード様と張り合いなさって、そ

 れだからエルバード様もムキになってしまうのですわよ! ええそうですわ‼︎」

 泣き出すのを我慢して必死に訴える姿を見て、俺も彼女をなだめようと試みる。

 「でも、俺たちはお前たちを守るためにだな……」

 「もういい加減にしてください‼︎ ストヴァとはもう文化交流をしている関係にある

 のですわよ? 勝手に交戦することにしないでくださいまし! 私、心配ですのよ?

 毎回ボロ雑巾になってここへ帰ってくるんですもの……私、私…………」

 今まで早口で俺たちのことを説教していたクラエルは言いかけた言葉をつぐむと、ついにボロボロと涙を流してしまった。

 「クラエル泣かないでくれ! 本当にすまなかった!」

 「ぁぁ⁉︎ クラエル! 私たちが悪かったよ!」


 あの奇襲の後、ストヴァ帝国はレーベン騎士団領と文化交流をするようになっていた。父上曰く、ストヴァはレーベンを取り込むための下準備として文化的な融合を狙っているらしい。レーベンは帝国との国力の差がありすぎる。しかも相手の中にはあの時の吸血鬼、ヴァイスがいる。もし抵抗すれば、あの奇襲の時よりもひどい状況に追い込まれるのが目に見えていた。

 俺はこの政策に対して反対派だった。あのヴァイスのような奴が、軍幹部として採用される国なんて全く信用できないからだ。しかもヴァイスと俺たちにはしたくもなかったあの『十年後』の約束がある。だからこうして鍛錬を重ねていた訳だが……

 クラエルは親和派なのでストヴァと交戦することにならないように、毎日教会に赴

いては平和のために祈りを捧げ、俺たちがこうして無理な鍛錬で怪我をして帰ってきた時には、わざわざ説教をしに騎士団病棟に入ってくるのだった。

 「‥‥なぁ、少しは落ち着いたか?」

 泣き止んだ彼女に問いかけた。説教を受けていたはずが、いつの間にか俺たちが傷つけて泣かせてしまったかのような空気が病室内に流れていた。周りの騎士達からの視線がとても痛い。種類は違うだろうがこれは自分達の怪我の痛みよりもイタい……と思う。クラエルは俺の言葉に無言で頷くと、濡れた袖で俺たちの見舞いに持ってきたリンゴを剥き始めた。

 「……ええ、……でも私、エルバード様のこと『は』、本当に心配しているのです

 わよ?」

 「……え? 私のことは……⁇」

 妹が発した一文字に心外な様子でラミアが反応した。姉のラミアが含まれていないことが気にかかったのだろう、騎士団で『鬼騎士様』と恐れられる彼女らしからぬ拍子抜けな声は入院している騎士たちの笑いを誘ったようだ……が、しかし。いつもならどんなに小さな笑い声も彼女の地獄耳が捉えて怒号が走るところだが、今、妹の返事を待つ彼女には届かない。ラミアが真っ直ぐとクラエルの瞳を見据えると、クラエルは一つ大きなため息をつき口を開いた。

 「姉様はもう少しお淑やかにするべきだと思いますわ。あなた様の婚約者様が見つ

 かるかとても心配です。」

「うぅっ……。」

 普段決闘しか申し込まれない俺にとっては信じ難いことにラミアにはたくさんの求婚者がいた。いた……のだが…………。

 今年で十になる彼女にご両親が選りすぐった良家の見合い相手をラミアは何を思ったのか、騎士団有数の実力者と言われるほどの彼女のその腕力で、握手を求めた彼を投げ飛ばすというルーファス家の歴史に残る大事件を引き起こしたのだ。

 それからというものの、彼女に求婚するものは忽然と姿を消してしまい、ラミアのクラエルに対する姉の威厳もどうやら失せてしまったらしい。

 ラミア本人もこの事件のことは気に掛けているようで、その事件の後はクラエルの説教を静かに聞くようになったのだった。

 ……俺はいつもの血気盛んな様子とは違って大人しい彼女を見ていてとても愉快だった。

 俺より少し高くなった身長を自慢してくるのが癪だったから、今は少し揶揄ってやろう。

 「フッ、ラミアは男並の力の持ち主だからな。お前の婚約は遠い先の話になりそう

 だな。」

 俺が少し煽ってみせると、ラミアは顔を真っ赤にして俺に怒りを露わにした。

 「黙れ! 万年アホ毛! お前なんかにクラエルは不釣り合いなんだよ!第一、お前

 を男として見たことなんて一度もないんだからな!」

 ……くそっ、お前なんかに男として見られたいなんて、俺は一度として望んだことがないぞ。しかしいつも横にいる彼女の評価だ……俺はこの戦闘狂にとって酷評らしいことに腹が立った。

 「お、俺だってラミアを女として見たことなんてないぞ! この万年脳筋令嬢!」

 俺たちはとっくに満身創痍なはずなのに、互いの言葉に対する怒りからか、襟を掴んでいがみ合っていた。入院中の騎士たちが俺たちの喧嘩をみてどちらが勝つか賭け事を始めた……。

 物好きなヤツらだなと俺は彼らの様子を見て「勝ってやるさ」と一言意気込んで見せると、ラミアは俺を睨め付けたまま「私に入れたら一日だけ訓練の量を減らしてやろう」ときた……野郎……俺だって……

 「またそうやって張り合って! いい加減にしてくださいな‼︎」

 クラエルが言い放つと、罵り合う俺たちの口の中に一口では食べられない大きさに切られたリンゴがねじ込まれたのだった。


***


 俺たちはクラエルからもらったリンゴを食べた後、レーベン星教会へ向かった。

今日はクラエルの『聖女授与式』の日だ。

 彼女は星教会の洗礼を受けてから五年間、一日も欠かさずレーベンの平和を祈り続けてきた。それに加え彼女は俺やラミアのような戦いや訓練で傷ついた騎士たちが集められる騎士団病棟で医療活動もしている。その彼女の活動を星教会の教皇様が認めてくださり、今日の式典が行われるということだ。

 「今日はもうケンカしないってクラエルに約束させられてしまったな……ラミア、

 今日は俺たち、大人しくしていよう。」

 「あぁ、今日は休戦とするか、エル。私も今日ばかりはクラエルをガッカリさせたくない。ここは私も同意しよう。」

 俺たちが休戦協定を結んでいると、後ろから陽気な声が耳に届く。

 「あ! お二人方! いらっしゃったのね!」

 そう言って式典服に身を包んだクラエルが駆け寄ってきた純白の式典服は日差しを反射し、キラキラと輝いていた。

 ……まるで『白百合』のようだ、といつにも増して美しい彼女の姿を見て思った。

俺は頬が熱くなる感覚を覚えて咄嗟にクラエルから目を逸らしてしまった。

 「あら、エルバード様? どうなさったの? 私、何か顔についていまして?」

 彼女は心配そうに俺の顔を覗き込む。俺は赤くなる姿を見せたくなかった。が、愛する彼女に隠し事など不粋だ、俺は顔を赤らめたまま彼女に向き直り素直な気持ちを伝えようと思った。

 「……あぁ、いや、あまりにも綺麗だったから、君に改めて惚れてしまったよ。」

 俺の言葉にクラエルの顔も赤く染まっていく……あぁ、やっぱり彼女が俺の婚約者でよかった。

 彼女との付き合いは俺が騎士団に入るより前、許嫁として知り合った時からである。もし、彼女が許嫁として俺のところに来てくれなかったら、引っ込み思案の俺はきっと声すらかけられなかったと思う。

 俺がしみじみとクラエルへの想いを再確認していると、彼女は俺のボウタイを引っ張り近くに引き寄せる。そしてお互い顔を赤らめたまま見合った。

 「……まぁ、うふふ! 嬉しいわ! 私の好きな人にそんな感想をいただけるなん

 て!」

 ……彼女はキラキラと笑って俺の左頬に口付けした。

 咄嗟のことにさらに耳まで熱くなった俺も彼女に何か仕返そうと思い、少し咳払いをしてから彼女に向き直る。

 「……こほっ!……その、俺もクラエル様の綺麗な姿をお目にかけることができて

 光栄です。」

 そう言って跪き、クラエルの右手の甲に口付けして見せた。すると彼女は顔を赤くして嬉しそうにはにかんだ。やはり俺はクラエルのことが好きだ。今、俺たちはとても幸せな時間を過ごしていた。いつもなら茶々を入れてくるラミアもクラエルの幸せを願っているかのように、そんな俺たちの様子を静かに見守っていた。

 「あぁ! お姉様方! 僕を置いて行かないでください!」

 俺らが教会でやりとりをしていると、ルーファス家の長男であるラミアとクラエルの弟、『ハインツ・ルーファス』が涙を流しながらこちらに駆け寄ってきた。どうやら姉たちに置いて行かれてしまったらしい。

 「……ぐすっ、お屋敷の中を見渡しても姉さんたちの姿が無かったので、エルバー

 ド様のお母様に聞いてここまできたのですよ? ひどいです! 僕も一緒に連れて行

 ってくれる約束でしたのに!」

 「ごめんなさい! ハインツ! 私、昨日、ラミア姉様に一緒に来るようにとお願い

 していたのですが…………」

 クラエルがラミアの方を見て話すと、ラミアは白々しい顔で、悪びれることもなく、瞼まぶたいっぱいに涙を浮かべているハインツに口を開いた。

 「そんなこと、今日の訓練で気絶してしまって忘れた。すまんな、記憶にない、

 な。」

 ラミアが頭を掻きながら答えた。彼女が図星なことを伝える時、いつも頭を掻いて答える癖がある。どうやら完全に忘れていた訳では無いらしい……全く、酷く忘れっぽい姉君である。

 「……ラミア姉さんのバカぁ! 気絶するまで特訓するから頭の中が空っぽなので

 すか!」

 ハインツはラミアの袖を引っ張りながら怒っている。するとラミアは表情を曇らせ彼に近づき、鬼騎士様と恐れられるその力いっぱいで頬をつねった。

 「……おぅ? ハインツ。私の頭がなんだって?」

 頬を引き伸ばされた彼は痛そうな悲鳴をあげ、俺とクラエルに助けを求めているかのような瞳を向けてくる。ハインツは今年で七つになったばかりだというのに、三つ離れた俺よりも背が高い。彼は特に何も感じていないようだが、俺はそのことにひどい劣等感を抱いていた。いつか抜かしてやる、と俺はいつも彼の後ろ姿を見て誓っていた。

 ルーファス家の特徴である金髪に青い瞳を持つ少年で、姉であるラミアに似ずとても優しい温厚な性格なのだが、忘れっぽい姉君に約束事をすっぽかされたときはよく怒って泣いていた。彼に落ち度は全く無いはずなのに……いつもこうして脳筋姉君に制裁されてしまうのだった。

 「やめろよ、ラミア。流石にお前の握力で頬をつねったら可哀想だぞ。お前は二人

 の姉君だろ? それくらい許してやれよ。」

 しばらく俺がなだめると、ラミアはようやくハインツから手を離した。彼の頬は可哀想なほどに赤く腫れ上がっていて、クラエルと俺は目を合わせてつい苦笑いしてしまった。ハインツも今年、レーベン騎士団に入団したのだが、運悪くラミアが教育を担当する新人騎士団の団員として配属され、ラミアからキツい特訓を受ける日々を送っている。

 そんな彼もたまに特訓から抜け出して、クラエルがいる教会に逃げ込んでいるらしい。よくラミアがカンカンに怒って俺に彼を探すことを手伝わせるが、そのことはクラエルと一緒にラミアには内緒にしている。せめて彼が安らげる場所としてここを死守しようと、クラエルと二人で誓い合ったのだった。

 俺たちがたわいも無い会話を続けていると、時間を知らせる教会の鐘が鳴り響いた。その鐘の音を聴いてクラエルは長い式典服の裾を持ち上げて、涙を浮かべたままでいるハインツに向き直った。

 「もうすぐ式典が始まりますわ! 私、準備がありますので行ってきますわ! ハイ

 ンツ、ごめんなさいね。今度、私がお詫びにエルバード様とラミア姉様と一緒にお

 菓子を作るから、今日は最後まで姉様と大人しくしているのですよ!」

 「クラエル姉さん! お約束、絶対ですよ!」

 キラキラと笑うハインツにクラエルも優しく微笑んで返す。

 「えぇ! 必ず! オ・ヤ・ク・ソ・クですわ!ね! エルバード様! ラミア姉

 様!」

 そう言ってクラエルは俺たちが頷くのを見ると、式典の準備へと向かっていった。


***


 クラエルと別れてから少し経ち、俺たちも式典の会場である教会の中に入って礼拝席に向かった。その途中、俺たちとは格好が異なる人とすれ違った。

 『あの襲撃』と同じような空気の揺れを一瞬、ほんの一瞬だけ感じて少し身構えたが、特にあちらは気にしていないようだった。俺たちとそんなに歳も背丈も変わらない金髪の少年だった。ストヴァの軍服を身に纏っており、俺たちと同じく、幼ながらも戦いに身を投じる子どもなのかなと俺はその時思った。

 しかし、一瞬だけ感じたこの空気の揺れは、彼がやがて俺たちの脅威となる存在であるということを示していた。

 …………もっとも、この時の俺は気がついていないのだが。

 「本日の式典にご臨席賜りました皆様、ご起立ください。」

 式典が始まった。俺たちは教会の信徒席についてその言葉を受けて立ち上がる。そのまま待っていると、星教会の教皇様のお話が始まった。


 教皇様のお話が一通り終わると、先ほど会ったばかりの純白の式典服に身を包んだクラエルが教壇に上がる。とても緊張しているようで、手を遊ばせて落ち着かない様子だ。教壇の上にいるそんな状態のクラエルと俺は目があった。緊張のせいで今にも泣き出しそうな彼女を落ち着かせるために、俺は口の動きだけで言葉を送った…


『オ・ヤ・ク・ソ・ク』


 クラエルはハッとした様子でこちらを見つめ返し微笑むと、俺にも言葉を返してきた。


『ア・リ・ガ・ト・ウ』


 クラエルは安心したような顔になると教皇様に向き直り『聖女の祝詞』を唱え始めた。聖女になる際に星神様に送る喜びの言葉らしい。難しい古代の言葉を一生懸命に読み上げるクラエルを俺は静かに見守っていた。

 『祝詞』が終わると、教皇様は聖女になった証に『白金の十字架』を彼女に授与した。白金は当時『魔を祓うもの』として大陸で重宝されてきたものであった。レーベンでは装飾としての意味合いが強かったが、ラミアと俺が対峙した『魔族なる吸血鬼』がもし襲撃に来たら、きっとこのレーベンを守る貴重なものになると、式典前夜のクラエルは喜んでいた。


 式典が終わり、俺たちは教会前に出た。美しい姿のクラエルを一目見ようとする領民たちが彼女の周りに集まっていた。式典が終わった後の『聖女の行進』に参列するようだ。『聖女の行進』とはその名の通り聖女が街を馬車で回り祝福を受けるという、要は凱旋がいせんのようなものである。俺とラミア、ハインツの三人もその聖女の行進に参列しに行った。聖女の行進はとても華やかで美しかった。華やかな色の紙吹雪が街中に舞い、その中では陽光を受けて煌めくクラエルの式典服が風になびいてひらひらとはためいた。


…………そんな様子を見ていて俺はふと不安を感じた。

……この幸せな時間はいつまで続くのか、いつまで続けることができるのか。


刹那、俺は巡らした考えの末。今はどうでもいいか、とその不安をかき消すかのように、大きな拍手をクラエルに送り続けるのだった。


***


 聖女の行進から三年後。

 雪花咲き乱れる十二月二五日。レーベン星教会で次期領主エルバード・ニューゲートと元領主貴族ルーファス家次女クラエル・ルーファスの婚礼が挙げられる日がやってきた。

 二人が教会で式の準備をすると、いたずらっ子な修道院の子供達や野次馬で溢れかえることが懸念された。そのため、レーベン騎士団長で新郎の実父エトワールの警備が敷かれた新郎の邸宅であるニューゲート家の屋敷の別々の部屋で準備を進めていた。

 この時エルバードは十三歳、クラエルは十二歳である……

「……あぁ、だめだ、緊張で心臓が飛び出そうだ……うぅぅ…………」

 俺、エルバード・ニューゲートは今。齢十三の人生の中で一番緊張している。

 今日、俺はクラエルと結婚する。婚約はとっくの昔にしているが、今日式を挙げることでクラエルはニューゲート家に本格的に嫁ぐ。これは人生の大きな転機……これからはクラエルが週に一度ではなく毎日俺の屋敷に居ることになる……それはつまり週の一度しかなかった幸せな時間が一気に七倍になるということ。さまざまな鍛錬を積んで体を鍛えている俺も幸せの過剰摂取で……考えただけで嬉しすぎて気絶してしまいそうだ。


 あれ?意識が遠のいて…………


 「兄さま! にいさま‼︎ 大丈夫ですか? しっかりしてぇ!」

 考え込むあまり呼吸を忘れて窒息になりかけた俺の背中にのしかかる小さな手。今年で五歳になった俺の弟ユカシルは八つも離れた俺なんかよりもしっかり者だった。彼も俺に倣って騎士団に入団したのだが、剣術は試験通過ギリギリといったところで、あまり運動は得意ではないようだった。その代わりに話術に長け、騎士団の中のムードメーカー兼相談請負人として団の皆のかけがえのない存在になっていた。

 そんな彼は騎士団の中では皆の前に率先して立って話術を駆使しており、普段から本の虫で敬遠されて人の輪から外れがちな俺とは遠い所に居るのだが、屋敷に帰ると俺の側から離れず「にいさま、にいさま」と朝起きてから夜寝るまでまでずっとそばに居た。

 三つもある俺の部屋の鍵。いつ解き方を覚えたのか、勝手にこじ開け俺の部屋まで入ってきては、俺のやることなすこと全部模倣して、できることが増える度にまた「にいさま! にいさま!」と嬉しそうに見せにやってくるのだった。

 騎士団の指導や勉学で疲れている時は少しそっとしてほしいと思うこともあるが、俺のうしろをついて回っては楽しそうにしている弟は俺のかけがえのない存在になっていた。

 「……あぁ、すまないな。ちょっと考え事をしていて呼吸を忘れていたみたい

 だ……はは。」

 「んもぅ! 兄さまったら…………もう大丈夫なの?」

 大丈夫。とユカシルの肩を借りながら答えると、俺はとりあえず緊張で渇いた喉を潤すため式前の控え室であるこの応接間の扉近くの机の上にある水差しに向かって歩いて……

 「ねぇ! ユカシル! ラミア姉さん見なかった……アッ!」

 勢いよく開けられた扉に打たれた俺は派手に床に転がった。ハインツだ。あぁ、彼はまた方向音痴に加えて放浪癖のある脳筋姉君ラミアをお探しのようだ。

……にしてもこれは……イタい、な。

 「ごめんっ! エルさん‼︎ わざとじゃないんだ! 怪我はない? 大丈夫?」

 「……ッタタ。あぁ、大丈夫だよ。それよりも俺の服は……!あぁ、よかった服は

 無事だ……ふぅ……」

 俺が式典服の無事を確認して胸を撫で下ろしていると、苦笑を浮かべて駆け寄ってきたユカシルが俺の手を取り立ち上がらせてくれた。ハインツは式典仕様にオールバックでまとめ上げられた髪が少し乱れていて相当焦っていることが見て取れる。

 「はぁぁぁ……僕が少し目を離したすきにラミア姉さん、屋敷から出てっちゃって

 さ……『化粧は嫌だぁ!』って暴れるから僕が抑えてたんだけど、僕の鼻先に姉さ

 んの髪の毛が当たったからかな? くしゃみしちゃったからそれで逃げられて……

 はぁ…本当にごめんなさい。」

 「……ハインツ、お前も苦労してるんだな。」

 俺は必死に経緯を話すハインツの肩をとる……あぁ、クソッ。あと十センチはほしい人生だった。相変わらずハインツの肩は俺よりも高いままだった。しかも今日はいつもと違う大人びた髪型も相まってか俺よりも大人びて見えてくる……やっぱり、ちょっぴり悔しい。

 ハインツの髪の乱れに気がついたユカシルが、いつの間に取り出した櫛と整髪剤

を手に彼にかがむように指示して直し始めた……「兄さまがラミア様とケンカしたら必要かと思って」だそうだ。

 我ながら兄思いの出来の良い弟を持ったと思うが……その理由は少し不服だぞ?弟よ?

 「まぁ、とりあえずラミアの阿呆はここかクラエルのところに来るだろ。いつも後

 先考えないで馬鹿するあいつだけど……流石に妹の晴れ舞台を見逃すほど愚かなこ

 とはしないだろうからな。」

 俺は先ほど少し癪に障ったので少しラミアへの愚痴を交えてみたが、なぜだかハインツとユカシルにはこれは全然面白く聞こえなかったらしく、むしろ恐ろしいものを見るかのような眼差しを俺に向けている……いや? これは俺ではなく、俺の背後に向けられているようで…………

 「……誰が阿呆だって? エル?」

 その声に背筋が凍る……俺が振り返るとそこには鬼の形相で仁王立ちをするラミアが俺の顔を見下ろしている……見下ろしている…………⁇

 「らっ、ラミア? おま、お前いつの間に背が‥‥?」

 ……バカな……まさか、まさか……ラミアにも背を、越えられたのか?

 ……いや、いや、おかしい。一晩でこんなに背が伸びるはずがない。足元をよく見てみればラミアは高いヒールの靴を履いている。俺は彼女のトリックを見破り、ほっと胸を撫で下ろす。

 その俺の様子を見たかんかんなラミアは怒りが頂点に達し……俺の式服の襟を力強く掴んで、そのまま、思いっきり、投げ飛ばした!

 俺は咄嗟に受け身をとって力を床に流したつもりだったが、勢いそのままに応接間の机にぶつかり花瓶が落ちて、幸い破片は避けられたので刺さらなかったものの……先ほどのハインツの襲撃に加えなかなりのダメージを食らった……全身が軋

んでいる、痛い……

 「はん! 全く! 貴様は私の居ない間に好き勝手にいってくれるなエル……エル?」

 ……ふらふらと立ち上がる新郎は自身の式服の無事を確認すると安堵したのか、

 ……膝から崩れ落ち、そのまま眠りについてしまった…………


 「……ル、エル、エル!」

 段々と誰かの声が近づいてきて……はて、俺は今どうなっている?先ほどはあの脳筋に投げ飛ばされ、受け身は失敗。そのまま気を失ってしまったのか?

 俺がゆっくりと目を開けると、ポタポタと冷たいものが俺の頬に落ちてくる。先ほど俺を投げ飛ばしたラミアの膝の上に俺は寝ているようだ。ラミアは涙を目いっぱいに浮かべて泣いていた。俺が目を覚ましたことに気がつくとさらにぼたぼたと涙を流して、ほっとしたのか赤くなった頬を緩ませ微笑んだ。

 「……ごめん、私、カッとなった勢いでお前のこと投げ飛ばして……よかった、気絶して二度と目が覚めなかったらどうしようって……あの日のバケモノみたいになったみたいで…………ごめん、ごめん……ヒゥッ、うぅ……!」

 赤くなった目を擦りながらラミアは一生懸命言葉を続ける。化粧をしていないはずなのに今日の彼女はなぜか違って、見える……俺は忙しそうに瞬きをして彼女の次の言葉を待った。

 「今日はお前とクラエルの特別な日なのに、私、ごめん、ごめんなさい……」

 …………俺は、ラミアを? いや? こいつは脳筋令嬢……のはずなのに。なぜだ? なぜか少し今日の彼女を綺麗だと思っている自分がいる。今日のラミアはいつもの

パンツスタイルではなくフリルの効いた空色のドレスを着ているからか? それともいつもは毛羽だった手入れをしていない金髪が丁寧に巻かれているからか? それとも、それとも…………?

 ……あれ? 俺は? ラミアのことを…………?

 「……エルバード様! 気を失ったってお聞きして……!」

 隣の部屋で準備をしていたクラエルが応接間に慌てた様子で現れた。クラエル……俺の妻は、とても美しかった。

 聖女の行進の時の式服を参考にして作ったという純白の式服はヒラヒラとはためき、金の縁取りが窓の光を反射して煌びやかに光っている。彼女の金色の髪はサラサラと透き通った輝きを放ち、化粧をしたのか彼女の目元はいつにも増して眩しく輝いて直視できないほどだ。

 「エルバード様? どうして姉様の膝の上に? それに姉様?泣いているの? どうし

 て⁇」

 クラエルはこの一見混沌とした状況に湧き出る疑問を必死に俺に投げかけてくる、が。俺にはその疑問に答える余地はなく、慌てて涙を拭うラミアの膝の上から起き上がると……そのままクラエルに抱きついた。

 「……なんて綺麗なんだ……クラエル……君は俺の…………」

  ……はっ! 俺は何を口走っている? 気恥ずかしくなって徐々に全身の体温が上がるのがわかった。咄嗟に顔をクラエルから背けると、その視界の先にはクラエルを呼びに行ってくれたのであろう、少し息の上がった様子のハインツとユカシルがいて、部屋の隅で俺の顔を見て嬉しそうに微笑んでいた。

 「…………⁇ ごめんなさい、よく聞き取れなかったわ?……はっ!もしかしてま

 た姉様がエルバード様に乱暴を⁉︎」

 まだ少し火照ったままの俺の頬を、クラエルの細い指が捕らえて、花緑青の瞳と焦点が合う。キラキラと宝石のように輝く彼女の青い瞳、柔らかそうな血色の良い紅唇

、ほんのりと赤く染まった滑らかなシルクの頬……胸の鼓動が一気に早まる。

 「……いや、大丈夫、なんでもないよ。俺が式のことで緊張しすぎて窒息になりか

 けただけだ。ラミアは俺のことを心配して泣いていたみたいで……全く、いつもは

 煽ってくるくせに調子狂うよな? あはは……」

 早口で誤魔化して俺は眩しいクラエルから視線を逸らすと、今度はラミアと視線が合った。さっきまで泣いていた彼女は擦って赤くなった目を細めて、恥ずかしそうに微笑んでいた。

 「本当に? エルバード様……もしかしてお熱があるのかしら! お顔が真っ赤

 よ?」

 茹った俺にクラエルの小さな額が触れる……彼女の吐息が俺の唇に当たって、俺は、俺は…………

 ……気づけばクラエルが火照った顔で俺を見つめていた。これは一体? 口に微かに残る甘い味、飴を舌で転がすような優しい感触……

「……え、えるばぁど、さま……? まだ、しきの、まえ、ですわよ……?」

 ふらつくクラエルに俺はすかさず手を伸ばす。そして彼女の腰に腕を回して引き寄せる。もう一度この甘いそれを味わうために。

 それは今までで一番甘い味がした。俺はそれを一生忘れないように、舌で大事に、大事に転がした。


***


 式の準備は整った。教会の本堂の扉の前に立って俺は再度式服の襟を正す。

 ……先の飴の味が口に残っていて、喉が痺れて熱くなっている。

 「兄様? 大丈夫? また倒れたりしないでよ?」

 俺の隣にはユカシルが白百合の花束を携えて立っていた。レーベンでは婚礼で新郎新婦がお互いに見立てた花を贈り合う習慣がある。花束は俺がクラエルのために用意したもので、あの日、聖女の行進の時、俺は彼女が白百合のように美しかったから……彼女の神秘な姿を思い出して、また身体中の血が沸き立つのを感じる。

 「……あぁ、大丈夫。俺は大丈夫だよ、ユカシル。大丈夫。」

 俺は一つ。大きく息を吸って、吐いて。もう一度吸って、吐いて。ユカシルに向かいなおる。

 彼の瞳はキラキラと萌黄の輝きを放つ。その瞳の煌めきを見つめていると、少し、少しだけ、喉の痺れが治まっていくようだった。

 「……行ってきます。」

 俺が花束を持ち静かに本堂に続く扉を開けると式が始まった。


……新郎は凛とした空気を醸しながら教会に敷かれた紅い絨毯の上をゆっくり進んでいく。次期領主である彼の瞳は本堂のステンドグラスから差し込む太陽の光を受けて、力強くも優しい新緑の輝きを放つ。

 透き通るように細い絹のような黒髪は彼の動きに合わせサラサラとなびき、雪のように白い素肌はほんのりと頬に春色を浮かべている。妖艶な彼の雰囲気に会場に

いたものたちが男女問わず惹きつけられる……

 「…………」

 あぁ、やはり緊張で心臓が喉からまろび出そうだ。この粛々たる雰囲気の中、どうして落ち着いていられようか。……こんなの、金騎士賞の授与式以来だ。

 いけない……俺は次期レーベンの領主になる者なのだ。こんなことで気が上がっていては民の指揮などできないぞ。一旦落ち着くために、俺は最近のたわいもない出来事の中で最初に思い出せた『脳筋令嬢とのやりとり』を思い出してみることにした。

 一昨日に申し込まれた決闘ではラミアにタコ殴りにされたんだったか。俺は今日に控えた挙式のことしか頭になく漫然としている隙をやられたのだった。

 『お前、そんな顔してストヴァと闘おうなんて次期領主は務まらんな。おとといきやがれ。』と得意げなラミアに煽られた……そういえばあの後負けた証に出店で売っていた蜂蜜の飴を買わされたんだ……蜂蜜、飴、あめ……甘い……すごく、あまくて、しあわせで…………


 「新婦のご登壇。どうぞこちらへ。」

 俺が神父の声で現実に意識を戻すと、すぐそこにはクラエルがいた。

 先ほど応接間で会った時より彼女はいっそう眩く輝いていた。クラエルはドレスの裾を踏まないようにそっと壇上に上がるとこちらに向かうように立った。

 その後神父が『誓いの言葉』なるものを唱えていたようだが、俺の耳には全く入って来ず、目の前に現れた神秘に心奪われ硬直していた。途中で神父から『愛を誓うか』を聞かれるまでその神秘な姿から目を離すことも、ましてや瞬きすることもできなかった。

 「……それでは『誓いのキス』を。」

 俺はクラエルとの、最愛の人との誓いを立てるために、顔を覆う透き通る純白のベールに触れる。白き花弁がはらはらと揺れ踊り、顕になった花緑青の宝石がきらきらとこちらを見据えている。俺はゆっくりと顔を近づける、もう一度あの甘いものを味わいたくてたまらなかった。二人の唇が重なる、その瞬間。ふと俺の頭によぎる。

 クラエルには今の俺のことがどう映っているのだろう。いつもとは違う煌びやかな純白の衣装、いつものとは違う芳しい百合の香りの香水。派手すぎず華やかにまとめてもらった黒髪は、……髪、かみ? ……‼︎ しまった! あの癖毛を直し忘れていた!


……誓いのキスはあっさりと終わってしまった。俺の口に甘酸っぱい味を残して。

……誓いを終えた新郎新婦は互いに花を贈り合う。新婦の手には質素でいて美しい純白の百合が、新郎の手には気品に溢れる紅碧の桔梗の花が贈られた。静かながら有頂天な二人に向けて教会の本堂には、この場の空気が揺れるほどに盛大な拍手喝采が起きる。結ばれた者たちとそれを祝福する者たち、ここにはたくさんの幸せが溢れていた。

 その幸せに耐えかねた一匹の黒い蜥蜴は、教会の隅の壁からポトリと落ちて、密かに影の奥に消えていった。

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