皇太女ミリセント
ダグラスは目の前に現れた軍服姿の少女に目を奪われていた。
「
一方、少女は先程水魔法でずぶ濡れになったダグラスを見てアメジストの目を大きく見開く。そして急いで自身のハンカチを差し出した。
「今は拭くものがこれしかない。気休めではあるがこれを使ってくれ」
「いえ、良いんです。全部僕が悪いことですから。貴女様のお手を煩わすわけにはいきませんので」
ダグラスは光を失った目で断る。
その時、塀の外から大勢の足音と声が聞こえた。
「皇太女殿下! 出て来てください!」
「殿下! どちらにいらっしゃいますか!? 皇太女殿下!」
すると少女はシーっと人差し指を口に当て、ダグラスに物音を立てないよう促す。
ダグラスは口を抑え、ひたすら首を縦に振るのみであった。
二人は物音を立てず、ひたすら塀の向こうを走る者達が過ぎ去るのを待った。
塀の向こうから声や足音が聞こえなくなると、少女はホッと肩の力を抜く。
(皇太女殿下って呼ばれていた。このお方はもしかして……!?)
ダグラスは赤い目を大きく見開き、まじまじと目の前にいる軍服姿の少女を見る。
「貴女様は……ミリセント皇太女殿下でしょうか……?」
恐る恐るそう聞いたダグラス。
ムヴェノワール王国での付け焼き刃の教育により、サンルミエール帝国の皇族の名前は覚えているダグラス。
すると、少女はフッと笑う。
「いかにも。私はサンルミエール帝国皇太女、ミリセント・サンルミエールだ」
ミリセント・サンルミエール。ダグラスと同じで今年十七歳になる、サンルミエール帝国皇太女。次期女帝となる存在で、光と炎の魔力をもつ少女である。おまけにミリセントが持つ魔力量は膨大なのだ。
「それで、其方はどこの国の王子だ?」
ミリセントはこの場所が人質として預けられた他国の王子や王女達が暮らす敷地内だと知っているようだ。
「皇太女殿下に先に名乗らせてしまい申し訳ございません。ムヴェノワール王国のダグラス・ムヴェノワールと申します」
「ムヴェノワール王国の王子であったか。其方と私は対等な立場。そのように畏まった態度は不要だ。私のことは、皇太女殿下ではなく、気軽にミリセントと呼んでくれて構わない」
堂々とした笑みのミリセントに、ダグラスは気後れしてしまう。
「そんな、大国の皇太女殿下に畏れ多いことを……」
ダグラスは俯いてしまう。
「代わりに、私も其方のことをダグラスと呼ばせてもらうぞ。これでどうだ?」
ハハっと明るく笑うミリセント。
「……そういうことでしたら……ミリセント様と呼ばせていただきます」
恐る恐る顔をあげ、そう答えるダグラス。
「様は不要だが……まあ其方の好きにしてくれて構わない。それより、濡れているから早くこれで拭くと良い」
「……ありがとうございます」
ミリセントが差し出したハンカチを、ダグラスは恐る恐る受け取る。
「ところで、ミリセント様はこんな場所にいてよろしいのですか? 先程大勢の方々が貴女様お探しでしたが……」
ダグラスがおずおずとそう聞くと、ミリセントは苦笑する。
「帝国の為に色々学んで入るが、私だってたまには息抜きしたい」
「そう……ですか」
ダグラスは何となく納得した。
(このお方はいずれ女帝となり、映えあるサンルミエール帝国を治めるお方……上に立つ者としての重圧もあるんだろうな……)
「それにしても、まさか隠れようとした先にダグラスがいるとは想定外だ」
楽しそうに笑うミリセント。
「それは……申し訳ございません」
「謝る必要はない。驚いたが、こうして他人と話すのも気分転換になる」
(ミリセント様……僕なんかと話して気分転換になるのだろうか? 忌避される魔力を持つ、何の取り柄のない僕なんかに……)
ダグラスは俯き、かつて魔封じの腕輪が着けられていた右手首を見る。
シャツの袖からチラリと見える右腕の無数の傷。
それを見たミリセントはアメジストの目を大きく見開いた。
「ダグラス、その傷はどうした!?」
ダグラスの右手を掴み、彼の濡れたシャツの袖を上まで捲り上げるミリセント。
「ミリセント様……!」
突然の行動に、ダグラスはビクリと肩を震わせ後ずさった。
露わになった白く細いダグラスの腕には、痛々しいくらいの傷や火傷の跡がたくさんあった。更にはあざまでもある。
「ダグラス、これらの傷はどうしたのだ……? 一体何があった?」
痛々しげな表情になるミリセント。
「……何でもありません。大したことではないですから」
俯いて怯え気味にそう答えるダグラス。
「何もなくてこうなるわけがないだろう。私の光の魔力で治療する」
「おやめください。わざわざミリセント様に治療していただかなくても大丈夫です」
ミリセントは自身の光の魔力を発動させようとしたが、ダグラスがそれを拒否した。
「これらは……僕の罪の証でもありますから。それでは失礼します」
ダグラスは逃げるようにミリセントの元を立ち去った。
背後から「ちょっと待て!」とミリセントの声が聞こえたが、ダグラスは振り返らずに部屋へ駆け込んだ。
(あんな風に他人と話したのは初めてだ……。でも、相手は映えあるサンルミエール帝国の皇太女ミリセント様)
ダグラスは先程のミリセントの様子を思い出す。
(……あんなに自信に満ち溢れて将来が約束された人といると、自分が余計に惨めに思える)
真っ直ぐ伸びた鮮やかな真紅の髪、真っ直ぐ自信に満ち溢れて輝いているアメジストの目。
自分とは正反対のミリセント。そんな彼女にダグラスは引け目を感じてしまった。
しかし同時に、ダグラスの心の中に深く鮮烈にミリセントの姿が刻み込まれていたのも確かなものだった。
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