サンルミエール帝国へ

 ダグラスは七歳から地下牢に幽閉されていたので、王族としての教養が全くない。

 そこで、サンルミエール帝国へ送られる前に王族としての教育を受けることになった。

 教育はかなり厳しいもので、出来なければ容赦なく鞭で打たれるダグラス。

 何とか必死で王族として必要なことを覚え、付け焼き刃ではあるが王族らしい振る舞いや教養を覚えた。


 そして、誰にも見送られることなく馬車に乗り込み、サンルミエール帝国へと向かった。

 サンルミエール帝国宮殿の謁見の間で、皇帝エイベルと皇妃アンドレアに挨拶をした後は、そこそこ大きな離れにある部屋に連れて行かれた。

 それなりの広さがあり、意匠が凝らされた家具が揃えられた部屋。

 ダグラスのように他国から連れて来られた王子や王女の為の部屋である。

(こんな立派な部屋……闇の魔力を持つ僕にはもったいない。分不相応だ……)

 ダグラスは俯いた。赤い目は輝きを失ったままで曇っている。

 ふと自身の右手首に目をやった。

 魔封じの腕輪はムヴェノワール王国にいた時に外されている。

 ムヴェノワール国王、王妃、弟のサイラス達はダグラスがサンルミエール帝国でうっかり闇の魔力を使って殺されたらいいと思っているのであろう。

 全てに疲れているダグラスは、ゆっくりと部屋のベッドに寝転がる。

(ベッド……こんなに柔らかいものだったのか……)

 用意されたベットの寝心地の良さに、そのまま意識を手放すのであった。






◇◇◇◇






 翌朝。

 ダグラスはゆっくりと目を覚ました。

(七歳以降、初めてぐっすり眠った気がする……)

 七歳以降十年間、地下牢暮らしだったダグラス。当然今までのベッドは硬く寝心地の悪いものだった。もうそれに慣れてしまったとはいえ、質の良い睡眠は取れていなかった。

 しかし、サンルミエール帝国で用意されたベッドでは、ぐっすりと質の良い睡眠を取ることが出来たのである。

(体が軽い……)

 少し体を動かしてみたダグラス。赤い目に、ほんの少しだけ輝きが戻る。

 そこへ食事が運ばれて来た。

 ダグラスは恐る恐るスープを飲む。

 温かく、口の中に広がるコンソメの旨味。

 気が付くとダグラスはその赤い目から涙をポロポロと零していた。

(スープは……こんなに美味しいものだったのか……!)

 ムヴェノワール王国では粗末な食事しか与えられていなかったダグラス。

 サンルミエール帝国での食事に思わず感動してしまったのである。

 温かなスープと柔らかいパン。新鮮な野菜のサラダに軽めの肉料理。

 ダグラスはゆっくりとではあるが、全て平らげた。

(駄目だ、僕は何も望んではいけないのに……)

 赤い目から零れる涙は止まらなかった。


 ダグラスがサンルミエール帝国に来て数日が経過した。

(……今日はどうしようかな?)

 拷問や痛めつけられることが一切なく、質の良い睡眠、バランスの取れた食事、そして入浴のお陰で、今まで死んだように生きていたダグラスは少しだけ気力を取り戻していた。

 赤い目も、少しだけ輝きがあった。

(敷地内は自由にして構わないと言われていたし……部屋の外に出てみようかな……)

 今までずっと部屋の中におり、使用人達が時々持って来る本を読む日々を過ごしていたダグラス。

 しかしこの日は外へ出る気力が湧いた。


 他国の王子や王女がいる敷地内は広々としており、散歩するには一日では回りきれないくらいである。

 ダグラスはゆっくりと庭園を歩いていた。

 ふわりと風が吹き、ダグラスは深呼吸をする。

(風が……空気が気持ち良い……)

 少しだけ、心が安らいでいた。

(こんな穏やかな日が……ずっと続いて欲しい……)

 ダグラスはただそれだけを願った。

 その時だ。

「おい、お前」

 誰かに声を掛けられたダグラスは、肩をビクッと震わせる。

 声がした方を見ると、ダグラスよりも大柄な少年が三人いた。ダグラスと同じくらいの年齢に見える。

 恐らく彼らもルミエール帝国に人質としてやって来た王子達であろう。

 ダグラスはムヴェノワール王国にいた頃、満足に食事が与えられていなかったので、彼らに比べて細く小柄だった。

「えっと……僕に何か……?」

 同世代とまともに会話したことがないダグラスは、少しオドオドしてしまう。

「見かけない顔だな。お前、どこの国の者だ?」

 大柄なリーダー格の少年が鋭い目でダグラスを覗き込む。

「……ムヴェノワール王国の……ダグラス・ムヴェノワールです」

 少し怯んでしまったが、ダグラスはきちんと答えることが出来た。

 すると少年達の顔色が変わる。

「ムヴェノワール王国だと……!?」

 そして彼らは魔力でダグラスに攻撃を仕掛けた。

 それをまともに喰らってしまうダグラス。

(どうして……? 僕は彼らに何かしたのだろうか……?)

 何が起こったのか理解するのに数秒かかった。

「俺達の国はムヴェノワール王国に恨みがあんだよ!

「武力で脅して食糧を奪いやがって!」

「俺の国はムヴェノワール王国に荒らされたんだ!」

 食糧自給率が低いムヴェノワール王国は、近隣の小国を武力で脅して食糧を不当に安く巻き上げていた。

 彼らはその被害を受けた国の王子達であったのだ。

 自国がムヴェノワール王国のせいで被った被害。目の前にいるムヴェノワールの王子であるダグラスを攻撃することで、その恨みを晴らそうとしているのだ。

 ダグラスは無抵抗だった。

 そしてリーダー格の王子が強力な水魔法でダグラスをずぶ濡れにする。

 ダグラスは惨めな姿だった。

 無抵抗なダグラスに興醒めしたのか、三人の王子達はつまらなさそうに立ち去った。

(やっぱり僕は少しの平穏も望んではいけないんだ……)

 ダグラスの赤い目は再び光を失い、死んだような目になった。


 部屋に戻ろうと、塀沿いをトボトボと歩くダグラス。

 人質の王子や王女達が生活する敷地内にそびえ立つ高い塀は、ダグラスを圧迫するようであった。

(どうか女神アナンケー様、禁忌とされる闇の魔力を持つ僕の命を奪ってください……)

 その時、何者かがダグラスの足元付近から出て来た。

「ふう、何とか通り抜けることが出来た」

 ダグラスと同い年くらいの、軍服姿の少女である。

 塀の低い位置に人が一人通れるくらいの穴が空いており、少女はそこから入って来たのだ。

「え……!?」

 ダグラスは思わず赤い目を見開いた。

 すると少女もダグラスに気が付く。

「これは驚いたな。まさか人がいるとは」

 ニッと口角を上げる少女。驚いたと言っている割に、動じていない様子だ。

 スラリと長身で、真っ直ぐ伸びた鮮やかな真紅の髪。そしてダグラスにとって何より印象的だったのは、少女の紫の目である。

 強い意志を持ったようなその紫の目は、まるでアメジストのように輝いていた。

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