第24話 二人の騎士
「ジェシカさん?」
声を掛けられて思わず肩を揺らしてしまったジェシカは、誤魔化すように笑みを浮かべた。
「すみません、ステファニー様。ちょっと寝不足でぼんやりしてしまいました」
じっとこちらを見つめる紫の瞳は心の中まで見透かされそうで、少し怖くて、でもとても美しい。
「日を改めても構わないわよ」
「いえ、大丈夫です。せっかくお時間頂いたのに失礼しました」
わざわざ謝罪の場を設けてくれたステファニーに気を遣わせてしまった。昨晩の出来事は一旦考えないようにと思うのだが、グレイの言葉と表情が頭から離れない。
突然のエイデンの来店に固まりながらも、ジェシカは自分のすべきことを思い出し、まるで店に出たばかりの時のようにぎこちなくも席へと案内した。
「急遽遠征に連れて行かれて戻ってきたばかりなんだ。空腹に誘われて入ったが、ジェシカ嬢に会えるとは思わなかった」
そんなエイデンの説明にジェシカは納得しようとしたが、本当に偶然だろうかと考えずにはいられなかった。
(だってエイデン様ならもっと高級なレストランに行けるし、うちみたいな食事処は他にもたくさんあるじゃない!)
訊ねるよりも先に説明してくれたのは、疚しいことがあるからではないだろうか。そんな疑念を抱えながらも注文を聞いて厨房に戻れば、グレイが鋭い目つきを向けてくる。恐らくエイデンの素性に見当がついているのだろうが、両親の前で話すわけにはいかない。余計な心配を掛けたくないのだ。
「お前はまだ勉強があるんだろう。先に上がれよ」
これ以上ジェシカがエイデンと接点を持たないように言ってくれた言葉だと分かったが、そうなると食事を運ぶのは母かグレイのどちらかだ。事情を知らない母はエイデンが同じ学園に通う生徒で、ジェシカに魔術を教えてくれていると知れば歓迎するだろう。それはあまり良いことだとは思えない。
一方でグレイがエイデンに接触するのも何だか危険な気がするのだ。先ほどの目つきと言い、ピリピリとした雰囲気を肌で感じたジェシカが取るべき道は一つだった。
「大丈夫だよ。今日は片付けまで手伝うからね」
ぴくりと動いた眉がグレイの不機嫌さを物語っているようで、ジェシカはそれ以上見なかったことにしてそそくさと店内に戻ったのだ。
(せっかく心配してくれたのに、あんな風に断ったのが悪かったのかな……)
何が悪かったのかと自分の行動を振り返れば、胸がきゅっと苦しくなる。それでも何とかしなければという焦燥感から考えずにはいられなかった。
「ジェシカ!ステファニー、これはどういうことだ?話があるということだったが……」
怪訝な表情のコナーだが、そこに嫌悪感は見当たらない。酷いことを言ってしまったのに、気にする素振りがないコナーの優しさに、ジェシカは目の前のことに集中しようと決めた。ここで誠実に向き合わなければもっと自分のことが嫌いになるだろう。
「私がステファニー様にお願いをしたんです。コナー様、先日は心配していただいたのに酷いことを言ってごめんなさい。コナー様のお気遣いはとても嬉しかったです。でも私はもう大丈夫ですから」
「……俺も嘘を吐いたしジェシカが謝らなくていいぞ。だけどこれまで通り話しかけてくれればいいのに。いつからステファニーと親しくなったんだ?」
「それは、たまたまお会いして……」
階段から突き落とされそうになったところを助けてもらったとは言えない。あれはジェシカの判断力の甘さが原因だったこともあり、あまり事を大きくしたくなかった。一緒にいたステファニーはジェシカの意思を尊重してくれたが、コナーに伝えれば二度と同じことがないように何らかの罰を望むだろう。
また、あの時のジェシカが軽率だったのは、エイデンとコナーへの罪悪感からどこか自暴自棄な気持ちがあったからだと思っている。
「ステファニー、ジェシカに何か言ったのか?」
言葉を濁したジェシカの態度を不審に思ったのか、コナーはステファニーへと厳しい眼差しを向けた。
「っ、違います!ステファニー様は私を助けてくれたんです」
耐え切れずにそう告げれば、コナーが顔を顰めた。
「ジェシカ、助けられたってどういうこと?何があったか全部話してくれ」
(だから言いたくなかったのに……)
コナーに詰め寄られてジェシカが俯いた時、それまで静観していたステファニーが口を開いた。
「随分と強引ですわね。それでも騎士を目指す者なのですか、コナー様」
辛辣な口調にコナーは驚いた表情を浮かべながらも反論する。
「嫌がらせを放置することが正しいこととは思わない」
「ジェシカさんが話さなかったのは、貴方が過剰に反応すると分かっていたからですわ。守り方は一つではありません。貴方の方法ではジェシカさんは余計に反感を買うことになりますわ」
ばっさりと切り捨てるように返すステファニーは、さらに言葉を重ねる。
「男性と女性、物理的な暴力と嫌がらせ、それぞれ対処の仕方が異なります。騎士たるもの状況に応じて判断しなければなりません」
堂々とした態度と明朗な口調に呆然とするコナーは、ステファニーがこのような一面を持っていたことを知らなかったようだ。
「……そうかもしれないが、それでもこのままにしておくわけには――」
「昨日の件についてはわたくしが既に手を打っておりますからご心配なく。あとはコナー様がジェシカさんと適切な距離感を保っていただければ、彼女への批判は減りますわ」
あの場は令嬢たちを一瞥して反論を封じたステファニーだが、この言い方では他にも何か対応をしてくれたのだろう。改めて尊敬の念を覚えるとともに、コナーに対して同情が湧いた。
これが勝負であればステファニーの圧勝に違いない。
「ジェシカのことは妹としか見ていないと――」
「貴方はそうでもそう思わない方もいらっしゃいますわ。邪推する方も良くないでしょうが、されるような言動をするコナー様にも責任がありますのよ。……視野の狭さは相変わらずですわね」
小さく漏れた言葉にコナーの表情が困惑に変わる。
「それは、どういう――」
コナーは言葉を切り、ステファニーをじっと凝視し、首を捻った。
「……いや、まさか。そもそも髪色が違う」
「染めておりましたからね」
さらりと告げるステファニーに、コナーは瞠目した。言葉の端々から察するに、ステファニーはコナーとどこかで面識があったようだ。
「どうして……どうして今まで何も言わなかったんだ!」
「言ったら何かが変わりましたの?令嬢として褒められた振る舞いではないことを公言して家同士の婚約に要らぬ波風を立てるほど子供ではありませんわ」
激昂したように詰問するコナーだが、ステファニーは涼しい顔で答えている。
「守りたいから強くなると言っていたのに、騎士になることは諦めたのか?」
「わたくしだって騎士になりたかったですわ。鍛錬だって欠かしておりませんから、これでも自分の身ぐらいは自分で守れますのよ。ですがわたくしも貴族としての務めがありますし、剣を振るうことだけが大切な人を守ることではないと気づきましたの」
『ステファニー様はまるで騎士様みたいです』
『ありがとう。最高の褒め言葉だわ』
あれは紛れもなくステファニーの本心だったのだろう。鍛錬を欠かしてないという言葉から、可憐に見えても階段でジェシカを支えられたのはステファニーの努力の賜物だったのだ。
「貴族には社交という戦場がありますもの。だからもし貴方がそれを苦手とするなら、わたくしが守ってあげますわ」
凛とした表情で微笑むステファニーは可憐な妖精ではなく、気品を備えた女神のように美しい。呆然としたようにステファニーを見つめるコナーだったが、その頬は真っ赤に染まっていた。
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