第15話 重ねた努力

ジョシュア殿下とアマンダ嬢の関係が改善されたのは、プロムから僅か三日後のことだった。

ジェシカに諭されて気づいたのだと眉を下げ、それでいてどこか晴れやかな表情のジョシュア殿下に喉元まで出かけた文句を呑み込んだ。


あれほど憤っていたにもかかわらず、あっさりと手の平を返すような態度には正直なところ不信感と怒りを感じた。仲間意識のようなものを感じていただけに裏切られたことに対する失望は大きかったが、ジョシュア殿下が決めたことを反対するわけにはいかない。


恐らく婚約破棄が叶わず、ベイリー公爵の顔を立てるためにもアマンダの機嫌を取る必要があったのだろう。


(それとも殿下も結局は自己保身に走ったのだろうか……)


言い訳のように事の経緯を語るジョシュア殿下の言葉に、サミュエルはそう思わずにはいられなかった。だからこそ自分だけはジェシカを絶対に守ろうと決めたのだ。




(それなのに何故そのジェシカから絶交宣言をされているのだろう……)


呆然と固まっていたことに気づき、誤解を解こうと口を開きかけたが、何がジェシカを怒らせたのかが分からない。


「……サミュエル様」


揺れる空色の瞳も、か細い声も、普段のヘザーからは考えられないもので、ひどく嫌な予感がした。


「わたくしはもうこれ以上、努力することができません。どうか私との婚約を……破棄してくださいませ」


それだけ告げるとヘザーはすぐさま顔を伏せてしまったが、大粒の涙が頬を伝いぽろぽろと零れ落ちていく。


(ヘザーはいつだって冷静で、感情的に振舞うことなんて一度もなかったのに……)


思わぬ状況に動揺したサミュエルはぼんやりとそんなことを考えていたが、ふと記憶の端に引っかかるものがあった。

嬉しそうに目を輝かせながら小さな笑みを浮かべていた彼女を見たのはいつのことだっただろうか。


ヘザーの隣ではジェシカがおろおろと視線を彷徨わせていたが、はっと何かに気づくとポケットを探っている。


(何をぼんやりしているんだ、私は)


泣いている婚約者にハンカチを差し出す、ただそれだけの行為なのに何故かとても緊張した。


「――っ……申し訳、ございません」


一瞬躊躇われはしたものの、受け取ってくれたことにほっと胸を撫で下ろす。だが不安と恐れが入り混じった感情を覚えていることに気づいたサミュエルは、そのことに困惑することになった。


(ヘザーから婚約破棄を告げられたからか?それとも彼女が泣いているから?)


そのどちらも正解だと言う気がした。ジョシュア殿下のように婚約破棄をするつもりなどなかったのだ。

多少高慢なところがあるからといって、それだけで破棄する理由にはならないし、何よりヘザーのような優秀な女性はそういない。だからこそサミュエルはヘザーを婚約者に決めたのだ。


サミュエルは深呼吸をして動揺を宥めながらヘザーに確認を行う。


「ヘザー嬢、貴女との婚約は家同士によって結ばれた契約です。当主の同意なく行えるものではありませんが、ラッセル子爵はご存知なのですか?」

「……いいえ、父にはまだ伝えておりません。それに……当家からそのような申し出は出来かねます」


そもそも子爵家と侯爵家では身分が釣り合わない。

だがサミュエルも両親も家格や条件よりも相手の性格や内面を重視していた。婚約者を決めるお茶会で、お洒落や流行について語る令嬢たちよりも本や勉強に興味を示すヘザーがサミュエルには好ましく思えたのだ。


(ラッセル子爵家からは婚約破棄はできない。だから私から破棄して欲しいということか)


その思考に納得はするものの、何故自分と婚約を破棄したいのか理解できない。婚約破棄は不名誉なことであり、トレス侯爵家よりも良い条件などないはずなのだ。

ふと見ればジェシカはヘザーの斜め後ろに立っていて、両腕で大きくバツを作りながら首を横に振っている。


(何だ……?私が何か間違っているということか?)


何がしたいのか分からず困惑していると、ジェシカの表情が険しくなっていく。ヘザーを指差し、目元に両手を当てた後に首を傾ける。


(泣いている理由を聞けというのか?)


顔を伏せたままのヘザーは時折小さく肩が震えているので、まだ涙が止まらないのだろう。そんな彼女に質問を重ねるのは不躾な気もしたが、半眼でこちらを睨むジェシカを見て、従った方が良いと本能的に察した。


「……貴女はそれほどに私との婚約が嫌なのでしょうか?」


途端にジェシカが顔を顰めて大きくバツを作る。直接伝えてくれればいいのだが、こんなに回りくどい方法を取るのは、どうやらヘザーのためらしい。


「……違います。でもわたくしでは、サミュエル様に釣り合わないだけです。力不足で申し訳ございません」

「それはどういう意味でしょうか?貴女ほど優秀な女性はそういないと思っていますが」


要領を得ないヘザーの言葉に、サミュエルは思ったことをそのまま口にしていた。


「それは違います。わたくしは少しでもサミュエル様の婚約者に相応しくなろうと努力しただけで、本当は優秀な人間ではないのです」


まだ涙の跡は残っていたが、ヘザーは顔を上げて自嘲気味に告げた。諦念を浮かべたその表情はいつもより幼い。


(……そうだ、ヘザーはいつだって努力をしていた)


トレス侯爵家の書庫を見て、喜びの表情を浮かべていたことでサミュエルはヘザーを婚約者に指名したが、侯爵家と子爵家では教育内容に大きな差があった。将来侯爵夫人となるのであれば高位貴族の教養とともに、城に勤めるサミュエルに代わり屋敷のことだけでなく領地経営についてもある程度見識がなければならない。


そのため侯爵家から家庭教師を付けたし、婚約者とのお茶会は勉強会になったがヘザーは文句を言うこともなく、一生懸命勉強に励んでいた。


二人で交わす話の内容が授業の進捗具合や、領地の課題など面白みのないものであっても、ヘザーは真剣な表情で聞いていたし、サミュエルに尊敬の眼差しを向けていた。

そんなヘザーの努力は好ましかったし、その勤勉さを褒めれば彼女はとても嬉しそうに微笑んでいたのだ。


(いつから私はヘザーにそんな言葉を掛けなくなっていた……?)


ジェシカに努力家だと言われて嬉しかったのに、自分はいつの間にかヘザーの努力を当然のように見做していたのだろう。ヘザーの態度を高慢だと判じていた自分こそ傲慢な態度を取っていたのだ。


「……ヘザー、すみません。非があるのは貴女ではなく、私のほうです」


自分の至らなさを痛感し、ヘザーにどう謝罪をすればよいのかということを真剣に考えるサミュエルは、ジェシカがいつの間にかその場を離れたことに気づくことはなかった。

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