第12話 言葉の足りない二人

アマンダと顔合わせをしたのは九歳の時だった。緋色のつやつやした髪が鮮やかで緊張しているのか笑顔はなく、切れ長の瞳はしっかりとした意志を感じさせるものの睨んでいるようにも見える。


「アマンダ・ベイリーと申します。ジョシュア王子殿下にお会いできて光栄に存じますわ」


優雅なカーテシーだが声は固く、一生懸命に振舞おうとしているのが分かった。


「アマンダ嬢、今日は来てくれてありがとう。良かったら庭を案内したいのだけど、どうかな?」


少しでも彼女の緊張を解きたくてそう提案すれば、アマンダは少し驚いたような顔をしながらも頷いてくれた。

優秀で将来が確定している兄二人と違い、ジョシュアは三番目の王子ということもあり比較的自由に過ごす時間が多く、その中でもお気に入りの場所が王族専用の庭園だったのだ。


エスコートのために差し出した手を握る指先は冷たくて、思わずぎゅっと握りこむとアマンダはまた少し驚いたような表情を浮かべながらも、振りほどかれはしなかった。


(僕の婚約者は可愛いな)


温室では侍女たちが離れた場所に控えており、ジョシュアはベンチに並んでアマンダに色々な質問をしながら、自分のことも話した。そうするうちにアマンダの表情にも変化があり、はにかんだ笑みを見せるようになり、ジョシュアはますますアマンダが可愛く思えてくる。


ジョシュアが国王にそれを伝えたことにより、候補だったアマンダは一週間後に正式にジョシュアの婚約者となったのだ。ジョシュアにとっては嬉しい知らせだが、それをアマンダがどう思ったのか。


それを考えるようになったのはアマンダの登城を楽しみにしていたある日のことだった。


「おや、ベイリー公爵。この度はご令嬢と第三王子殿下とのご婚約おめでとうございます」


祝いの言葉にもかかわらず、ひどく嫌な感じの物言いにジョシュアは足を止めて咄嗟に身を隠した。


「わざわざご丁寧にありがとうございます。大変光栄なことだと思っております」


応えるベイリー公爵の声も冷ややかで、そんな応酬に慣れていないジョシュアは直接言われていないにもかかわらず、はらはらしてしまう。


「第二王子殿下のお眼鏡には叶わなかったようですが、第三王子と言えども王族には変わりありませんからな」

「……その言い方はジョシュア殿下に対して不敬となります。今回だけは聞かなかったことにしておきましょう」


立ち去るベイリー公爵に向けて、男が憎々し気に言葉を吐いた。


「ふん、負け惜しみを言いおって。役立たずの第三王子と婚約させても何の利も得られないというのに哀れなことよ」


役立たずの王子、そう陰口を叩かれることは初めてではない。優秀な兄二人がいれば盤石なこの国でジョシュアに与えられる役割はほとんどないからだ。両親も兄もジョシュアのことを可愛がってはくれるが、仕事を振られている兄たちとは違い顔を合わせる機会は圧倒的に少ない。


ジョシュアはいつも孤独を感じていたが常に穏やかで優しい王子として振舞っていた。役に立たない自分がそんな我儘を言ってはならないと自分に言い聞かせながら。


(アマンダも僕よりロルフ兄上の婚約者が良かったと思ってる?)


王を補佐する王弟としての活躍を期待されている次兄のほうが立場も強く、聡明で気遣いに溢れた人柄は弟の目から見ても魅力的な人物だった。

それに引き換えジョシュアは何一つ誇れるものなどない。アマンダも心の中ではロルフに想いをを寄せているのではないだろうか。


一度考えてしまえばそれが当然のように思えてくる。

定期的に開催される婚約者とのお茶会も心から楽しめなくなり、それに比例するようにアマンダも社交辞令的な会話しか口にしなくなり、段々と距離を感じるようになった。


だが最初にアマンダとの婚約を望んだのは自分であるため、そう簡単に解消するわけにもいかない。たとえ愛情の無い夫婦生活を送ることになっても政略結婚では珍しいことではないのだと自分に言い聞かせても、どこかで満たされない思いを抱えていた時に、ジェシカと出会ったのだ。




父である国王に婚約破棄を申し出れば溜息を吐かれ、母からも甘やかしすぎたと険しい表情で叱責された。

それでもジェシーだけは護ろうとお茶会に駆け付けたのに、どうして彼女はアマンダを庇うのだろう。どうしてアマンダは恥じらうように顔を赤く染めているのだろう。


「あとはお二人で話し合ってくださいね」


席を立ったジェシーが一瞬クッキーに視線を向けたような気がしたが、小さく頭を下げるとそのまま立ち去ってしまった。どこかよそよそしいジェシーに戸惑いながらも、まずは気になっていたことを訊ねることにした。


「アマンダ、さっきジェシーが言っていたことは本当?」


未だに赤らめた頬を扇子で隠し、視線を合わせないままにアマンダがぽつりと答える。


「それもありますが……あの子に嫉妬していたのも事実ですわ。こんな浅ましい女では殿下に嫌われてしまうのも無理はありません」


(嫉妬……アマンダが?!)


沈痛な表情も、目じりにうっすらと滲む涙も、これまで一度も見たことがない。いつも自身に溢れ毅然とした態度しか見せなかったアマンダの本心に初めて触れた気がした。


いつからか王子である自分の身分や、王家の血を公爵家に迎え入れるための婚約なのだと納得していた。

気品のある言動や隙のない振る舞いや、成長するにつれて美しさが際立つ彼女に気後れし、変わってしまったと思い込んでいただけなのかもしれない。

驚愕に言葉を失うジョシュアの沈黙を肯定と受け取ったのか、アマンダはさらに言葉を重ねた。


「わたくしから父に婚約破棄を願い出れば、きっと殿下は解放されて……他の方と幸せになれますわ」


俯いているため表情は見えなかったが、震える声にジョシュアは反射的に声を上げた。


「いやだ」

「え……」


顔を上げた拍子にアマンダの瞳から一粒の涙がこぼれた。自分のせいで泣かせてしまったのだと自覚すれば胸が痛んだ。


「僕は……ずっとアマンダのことが好きだった。でも君は僕なんかよりロルフ兄上のことが好きなんだと思って――」

「ロルフ殿下をお慕いになったことなど一度もありませんわ!初めて会った時から優しくしてくださったジョシュア殿下をわたくしは――あっ……」


慌てて口を押さえるアマンダだが、ジョシュアの耳にはしっかりと届いていた。


(もしもあの日僕がアマンダの気持ちを確かめていれば……いや、それ以前に僕がアマンダに自分の気持ちを伝えていなかったんだ)


アマンダがジェシーにしたことは許されることではないが、傷つくことを恐れて行動しなかった自分こそが元凶なのだと思えば責めるべきは彼女ではなく自分自身だ。


「アマンダ、僕が臆病なせいで君に対して配慮が欠ける言動をしてしまった。君が望むなら王家有責で婚約破棄でも構わない。正直なところ君に対する想いはかつてと違っているのかもしれないが……もし叶うならもう一度君と向き合ってみたいと思うんだ」


まるで告白のような言葉だと気づいて、ジョシュアは顔が熱くなるのを感じた。それでも告げた内容はジョシュアの本心で、訂正するつもりはない。

美しい琥珀色の瞳がじっとジョシュアを見つめていて、気恥ずかしくなり視線を逸らす。


「……ふふ」


微かに笑い声が聞こえて顔を向ければ、アマンダは口の端を上げて優しい表情でジョシュアを見ていた。


「殿下、先程から昔の呼び方に戻っておりますわね」

「……あ」


あっという間に一人前の淑女になっていくアマンダに置いていかれないようにと、「僕」から「私」へと自分の呼び方を変えたのは、婚約から少し経ってからのことだった。


「わたくしも、ジョシュア殿下のことをもっと知りたいと思いますわ」


はにかんだ笑みを浮かべるアマンダを見てジョシュアは初めて会った日の気持ちを思い出していた。

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