<31・エリナ。>

 もし今のセキエイがみんなに、明朗快活な陽キャに見えているのだとしたら。それはほぼ間違いなく彼女、石田絵里名の影響が大きいのだろう。

 今の自分の性格を、キャラクターを作ってくれたのは。ほぼほぼ間違いなく、彼女の力によるものなのだから。


『鈴原クンってさ、なんか勿体ないよね』

『え』


 彼女と出逢ったのは、美術サークルに入って大学のキャンパスで絵を描いていた時のこと。そう、絵里名とセキエイ――鈴原凌空は、元は大学の同級生だったのである。当時の凌空はどこまでも大人しくて、一人で趣味に没頭するようなタイプだった。勉強はできるね、と言われる。絵もそこそこ上手いね、と褒められる。が、それを人前で発表するのがどこまでも苦手で、友達もけして多い方ではなかった。すぐ緊張してしまうのもあるし、何一つとっても自信が持てるタイプではなかったからである。

 ネットの世界でひっそりと曲を作ったり、歌声っぽいものをアップしてみたり、イラストを描いてみたり。そういうことができるのも、自分がむしろ注目されていないとわかっているからこそ。本当の自分を、ネットの世界の誰も知られていないと思っているからこそだった。

 良い意味でも悪い意味でも、注目された途端怖くなってしまう。自分より凄い人なんかいくらでもいる。面白い人もかっこいい人も器用な人も頭の良い人も。それらと比べれば自分は何一つ取っても中途半端で、誇れるものなど何もない。だから自分は、好きなものをネットの片隅や、大学の片隅でひっそりと作っていられたらそれでいいと考えていた。――とても地味で、退屈な人生かもしれないけれど。それが、自分のように上手に人とおしゃべりすることもままならないハンパものには相応しいはずだと。

 だから、驚いたのだ。絵里名のように明るくて、ちょっとびっくりするくらい可愛い女の子に声をかけて貰えるだなんて思ってもみなかったから。


『君、気づいてないでしょ。私がいっつも君のこと見てたこと』

『え、え』

『木々の隙間をすーっと抜けるこもれびのあったかいのとか、そこを走って行く犬の躍動感とか、空の抜けるような青さとか。どこまでもリアルで、それでいてすっごく優しい絵。そんな絵を描いてるのが、これまたおとなしそうなイケメンくんじゃん?そりゃ、どんな人かなーって興味も湧くよねえ』

『い、い、いけめんってそんなこと、ない……』

『おお、わかりやすく真っ赤!可愛いねえ!』


 一つだけ年上、のわりに彼女は随分と大人びて見えた。お姉さんキャラだったとでも言えばいいのか。地味にこそこそ絵を描いているだけの男に興味を持ち、積極的に話しかけてくるようなタイプだったわけである。――しかもそれが、どこかイヤミにならない。己に自信はあるけれど、自信を保つために他人にマウントを取るようなことは絶対にしなかったからとでも言うべきか。

 彼女の凄いところは、人の長所を見つけるのが得意だったこと。そして、人を褒めてその気にさせるのがとても上手かったところと言えばいいだろうか。


『勿体ないな!そんな綺麗な絵が描けるのに、そんなすみっこで描いてるだけなんて。もっといろんな人に見て貰えばいいのにさ』


 彼女のそんな言葉を。最初、凌空は“絶対に無理だから”と拒否していたのだった。が、彼女と次第に話し、なんとなく一緒に出掛けて雑談に興じたりするうちに。彼女はますます、“その実力をいろんな人に知ってもらうべきだ”と思うようになっていったらしい。特に、押される形で一緒にカラオケに行った後など特に強く言われたものだ。


『すっごく綺麗な声!歌もうっまいし!うーん、そのアガリ症なところさえなければ、結構人前に出る仕事もうまくいくんじゃないかなー。イケメンで声も綺麗で絵も歌も上手くてついでに成績もいい。そんな人間が、何故にそんな自信がないのかわからん!私なんかいっつも学校のテストで墜落寸前なんだぞ、それでもこんなに明るくムボーに生きてるんだぞ?ちっとは見習ったらどうなんだ、うん?』

『そ、それは見習うっていうのかな……?』

『ポジティブに生きてるところだけは、見習ってほしいもんだね!』


 どこか男らしいとさえ言えるほど豪快に笑う人だった。なんだか、凌空の隣にもう一つ太陽が増えたかのような。存在感。彼女が自分にとって、なくてはならないかけがえのない人になるまでそう時間はかからなかった。――恋人として付き合うようになり、同棲を決めるようになるのも。

 ユーチューバーをやらないか、と言い出したのも彼女だった。

 アルバイトをして日銭を稼ぎながら、少しでも多く自分の大切な人を知ってもらえるようなことがしたいと。そのためのプランは自分が考えるから、と。


『大丈夫大丈夫!最初から生放送やれとか言わないし。台本用意するから、その通りに喋りなよ。ていうか、なんならはじめは紙芝居みたいな動画でもいいんだし、声だけでもいいし……って思ったらハードル下がらない?』

『出来るかなあ、俺に』

『出来る出来る!だってさ、凌空は本当は……いろんな人を幸せにする絵が描きたいって言ってたでしょ?それはやっぱり見て貰わないとだめなんだよ。動画も一緒。誰かを楽しませる、その助けになる仕事がしたいんでしょ?大丈夫、一人じゃないんだから!』


 ユーチューバー・セキエイはそうして誕生した。実際に表で喋るのは殆ど凌空一人だったが、実際はセキエイというユーチューバーは彼女と二人で一つのユニットのようなものだったのである。オカルト動画も考察動画も、実は彼女がみんな企画と台本を考えてくれていた。自分はそれに合わせて喋ったり、動画に必要なイラストを描いたり編集したりといったことをしていただけである。

 運よくそれが注目されるようになった頃、凌空はどうしても自分を支えてくれた大切な人のことをみんなに知ってもらいたくて仕方なくなったのだった。だから、声だけでいいからと彼女に出演を依頼したのである。


『“セキエイの彼女です”でいいよ。……今の俺がいるのも、稼げるようになったのも、みんなに人気になれたのも全部絵里名のおかげだ。俺には世界一大事な人がいるんだって、みんなに伝えたいんだけど……駄目かな?』


 ああ、何故。何故あんな提案をしてしまったのだろうと今でも思う。彼女がずっと裏方のままならば、セキエイの彼女という事実を隠したままであったのなら。あんな酷いことにはならなかったのかもしれないというのに。


『世界で一番大事な人、かあ……』


 頬を染めて、嬉しそうに微笑んだあの日の彼女の顔が、今でも忘れられない。


『なんかそれ、最高に嬉しくて……照れちゃうね』


 どうして自分は、守ることができなかったんだろう。己の太陽を――命よりも大切な存在を。




 ***




「……今の俺がいるのは全部、絵里名のおかげなんです」


 刑事二人が尋ねて来た時、セキエイは思った。ああ、来るべき時がついに来たのだ、と。


「だから、絵里名を奪った連中が許せなかった。それ、何かおかしなことですか」

「おかしなことじゃないが……」


 今の自分は、そこまで酷い顔をしているのだろうか。自分が何かを話すたび、参道光一郎とかいう中年の刑事は渋い顔になるのである。


「絵里名さんを攻撃した人以外の相手も巻き込んで、みんな殺してしまってもいいなんて。いくらなんでもそれは筋が通らないんじゃないのか。勿論、絵里名さんが受けた苦しみがわかるだなんて我々には言えないし、ネットいじめをした連中のことは許せないだろうが……」

「ネットいじめなんて、軽い言葉で片付けないでください。絵里名は、奴らに殺されたんですよ」

「セキエイ……」

「殺されたんです、魂を、心を。それなのに……犯人は捕まるどころか、警察もろくに追おうとしないじゃないですか。絵里名が明確に死体になってたら探してくれたんですか?そして、連中を捕まえて死刑にしてくれたんですか?違うでしょ」

「…………」


 絵里名がただ失踪したわけではないことくらい、セキエイもすぐに気づいた。財布も携帯も置きっぱなしで、終電もないのに徒歩で行ける距離なんて限られている。それなのに、どこをどう探してもその目撃情報はおろか痕跡の一つも見つからない。

 占い師である、ジュリアン早智子の元を尋ねたのは。最初はそんな、絵里名の行方を捜したかったからだった。勿論、絵里名を追い詰めた連中のことは憎い。憎い、がその正体を見つける糸口はまったく見つけられないまま。姿も見えない相手を捜して追い詰めるなど、有名ユーチューバーとはいえただの一般人でしかないセキエイが持ち合わせているはずもないのである。


『絵里名さんは、異界に消えたんでしょうね。どこでその方法を知ったのかは知らないけれど』


 そして出逢った早智子は、セキエイに提案したのだった。




『ねえ、これは提案なんだけど。……その絵里名さんを探しつつ、絵里名さんを追い詰めた奴らを消すっていう一石二鳥の方法がもしあるなら。貴方、試してみる気はないかしら?』




 早智子がただ、善意でそんな提案をしたわけではないことくらいセキエイにも分かっていたのである。それでも、その方法に縋る他に道はなかった。いつまでも絵里名のいない世界で腐ったように生き続けることができるほど、セキエイは強い人間ではなかったのだから。


「……他の人への儀式の拡散もそうだが、このままお前自身が異界に出入りし続けていたら……心が壊れて、お前も異界の住人になっちまう。自分でも、心と体がおかしくなってってるってことに気づいてるだろ?顔色最悪だぞ」


 だからもう、やめろ。光一郎は真摯に自分を説得しようとする。それは多分彼が刑事だからというだけじゃなく、人の親であるという気持ちもあってのことなのだろう。しかし。


「それでも、いいですよ。もう俺は」


 彼は気づいてないのだろう。自分を止められる時は、とっくの昔に過ぎているということに。


「そうやって、溶けて……俺が俺でなくなるなら、それでもいいです。どうせこのままこっちの世界で生き続けてたって、絵里名はいないんだから。……絵里名を殺した連中と一緒にくだらない世界で生きるくらいなら、俺は異界の住人になったって全然いい。もう、どうでもいい……自分が壊れたって、世界が壊れたって」


 逮捕されても構わなかった。もう矢は放たれたのだ。自分が何もしなくても動画は転載されているし、SNS中に儀式は広まっている。彼等は好き勝手に儀式を広め、生贄をどんどん異界に送り込んでくれることだろう。

 そして自分も。エレベーターを使わずとも異界へ行く方法を既に早智子から教わっている。刑務所に入れられようが、誰も自分が異界へ行くことを止めることはできない。それがわかっているからこそ、この刑事たちも問答無用で自分を捕まえることではなく、こうして説得するこを選んでいるのだろうが。


――復讐なんかいけない?そんなことわかってる。でも。……復讐しなくちゃ、生きていけない人間もこの世にはいるんだ。どれほど不毛でも、無意味でも、苦しみが増すとわかっていても。


 だからもう、いい。ほっといてほしい。

 自分なんて、もう。


「……いいんですか、それで」

「?」


 その時。口を開いたのはもう一人の若い刑事、日ノ本結友だった。


「それで、本当にいいんですか。自分を壊して……石田絵里名さんが愛した世界をも壊してしまっても」

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