<13・カミカクシ。>

 霊感があるのか?そう尋ねられたら、まあ“一応ある”というレベルなのだと縁は結友に言った。むしろ、その“一応ある”レベルなのが自分くらいしかいなかったので、たった一人だけの係を任されることになってしまったのだとも。


「霊感を目覚めさせる方法ってなんだか知ってます?……一番てっとり早いのは、自殺の名所だとか幽霊が出るとか、そういうオカルト的スポットに行くことです。まあ、一応そういう儀式を試すというのもあるのですけどね。それで何か起きたり、“起きるかも知れなくて怖い”って思うだけで、強制的に霊能力が目覚めてしまうケースもあるらしいですよ」


 見えない何かを弄ぶように、空中で指をくるくると回しながら彼は語る。


「で、まあ僕もそういうパターンというわけです。ちょっと恐ろしい目に遭ったので霊感が目覚めてしまったというか。ぶっちゃけて言うと、神隠し的なものに遭いまして」

「ぶっちゃけすぎでは」

「だって本当にその表現が正しいのかわからないんですもん。後になって考えれば、そういう表現しかできないなーってだけで」


 あはは、と軽い笑い声が上がった。どこか、空しい響きで。


「僕は十二歳の時、神隠しっぽい体験をしました。……十歳下の、弟と一緒に」


 そして弟は帰ってこなかったんです、と。

 縁はどこか遠くを見るような眼で、語ったのである。




 ***




 雨宮縁には、弟がいた。当時二歳、十歳年下の可愛い可愛い弟が。それだけ年が離れていると、あまり兄弟という印象もないのだという。張り合うどころか、ひたすら庇護しなければならない相手。その感覚はどこか、弟というより息子に近いと言っても過言ではなかったのだそうだ。

 生まれつき体が小さいことがコンプレックスであった縁だが、弟のたまきはさらに輪をかけて小さかった。そして、幼いながらに非常に気が強くて負けず嫌いな性格だったのである。保育園で気にくわない男の子と毎日のように殴り合いの喧嘩をしては、保育士の先生を困らせてしまうほどには。


『おれ、おばけなんかいないと思う!』


 その当時。幼いわりに妙に口が達者だった少年が(早生まれだったため、同じ二歳の子ども達と比較すると成長が早かったというのもあるだろうが)、喧嘩相手の少年と揉めていたことはそんな話だったそうだ。まあようするに、おばけが本当にいるのかいないのか、で大いに意見が食い違ったというわけである。なんとも子供らしい話題ではある。


『だっておれ、おばけ見たことねーし!よる、ひとりでトイレにいけるし、カズとはぜんぜんちげーし、すげーつえーしー!』


 ちなみに、とても口が悪かったのは正直兄の影響が大きかったと思う。今そう話すと驚かれるのだが、昔の縁は今と違って非常に乱暴な言葉遣いの少年だったというのだ。弟はいつも、自分よりずっと年上の兄にひっついて回っていたのでその喋り方がうつってしまったのだろう。お兄ちゃんがもう少しお上品な子だったら、なんて両親にはしょっちゅう嘆かれていたらしい。確かに、二歳の男の子があんまりにも乱暴な喋り方をしたら、親としては心配になるものなのかもしれない。

 そう。おばけがいる、と主張するカズという少年と。おばけなんかいるわけがない、という環で口論となり、しまいに殴り合いになったというのがことの顛末。保育士の先生は喧嘩両成敗で両方とも叱ってくれたし、お互い擦り傷だらけになったこともあって両親も呼び出される羽目となった。ちょっとヤンチャな幼子ならばあるあるな話だろう。問題は――それを、“ちょっとヤンチャな幼児の喧嘩”だと思わなかった人間がいたということである。

 カズ少年の、兄である。

 面倒なことに、この兄貴というのが厄介な人物だった。縁よりも一歳下の小学校五年生。しかし、体は中学生でも通りそうなほど大きくて力持ち、いわゆるガキ大将タイプであったのである。そして、小さな弟を溺愛しまくる、いわゆるブラコン兄貴であった。こいつがよりにもよって、保育園児の喧嘩に首を突っ込んできたのである。

 多分それは、当時妙に学校でモテていた縁に対し、ムカムカを募らせていたというのもあるだろう。小学校のサッカー部で、縁はストライカーを務めていた。学校の成績も良かったし、自分で言うのもアレだが学校内でも随一のモテっぷりだったんじゃないですかね、と彼は語る。それで、残念ながらその微妙すぎる容姿と乱暴者な性格もあってモテ要素皆無だった兄貴の嫉妬を買ったんだろう、と。

 土曜日のある日。公園で遊んでいた環を無理やり連れだすと、縁を呼出して言ったのである。学校の裏山の、オバケ神社の洞窟を探検しろ、と。オバケ神社、というのは勿論正式名称ではない。なんだか複雑で面倒な名前がついていたのだが、子供達は覚えていなかったので適当にイメージのまま“オバケ神社”なんて不名誉な通称をつけられてしまっていたというだけである。

 そこは昔から、絶対に子供だけで入ってはいけないと言われる洞窟だった。

 入ったら最後、あの世に取り込まれて出られなくなると噂されていた。

 縁は“きっと崩落の危険があるから、子供を近づかせないための方便なのだろうな”と考えていたそうだ。恐らく、それも間違ってはいないだろう。なんせ、子供が二人くらいでどうにか入れるくらいの、とても小さな洞窟であったからである。しかし、どうやらブラコン兄貴と弟は、そこに本当にオバケが出て、あの世に繋がっていると信じていた上で二人を呼び出したらしかった。つまり。


『言われた通り、懐中電灯は持ってきたな?……へへ、オバケなんかいない、って言ってるらしいよなお前ら。だったら、二人でそれを証明して来いよ!この中に入って一時間以上過ごして、ビビらないで無事に出て来られたらオバケなんかいないって認めてやらあ』


 今だったら、“馬鹿なんですかお前?”と呆れているところだと縁は語る。オバケがいるかいないか、で喧嘩した弟コンビはどっちもどっちであっただろうが。よりにもよってそれに兄貴が首を突っ込んだあげく、実際に命の危険があるかもしれない場所に無理やり連れ込もうなんて頭がイカレているとしか思えない。大人になった今の自分がその場に遭遇したら、“ビビリだと思いたければそれでどうぞ”と弟を引っ張ってその場から逃げていたことだろう、と。

 しかし。残念ながら、ガキ大将とその取り巻きに取り囲まれた状態で、普通に逃げるのはなかなか困難を極めることだった。その上で、挑発された縁も当時十二歳の小学生、弟に至ってはもうすぐ三歳になるばかりの保育園児。二人揃ってまだまだ幼く、ついでに言うならやたらと負けん気が強い性格だった。

 たった一時間、洞窟の中を探検してくればそれでいいのだからと、挑発に乗せられるままその中に入って行ってしまったのだという。

 そして。

 実際縁がそこから出られたのは――なんと、三日も過ぎた後だったのだそうだ。


「その時まで僕は環と同じように、オバケも妖怪もまったく信じてはいませんでした。全て、大人達が作ったお伽噺の産物だと。何か危険なことがあると、それから遠ざけるために大人達が怖い妖怪の話でも生み出して、それで約束事を守らせようとしているだけなのだと。あるいは、何かの天災を神格化したもの。……無駄に勉強ができて、知識ばかりがあったから……一種、驕っていたのでしょうね」


 最初は、ただの洞窟だったはずだった。ただ弟の手を引いて、雑談をしながら暗闇の中を進んでいた。一本道、迷うこともない――そのはずだったというのに。

 気づけば前も後ろも、それどころか上下左右さえわからないような空間に迷い出てしまっていたのだという。どろどろと空気がとろけて濁ったような奇妙な場所。周囲を紫がかった闇が蠢き、時々腕の形となって生え、脚となって蹴りつけてきて、口を開けては奇怪な声でげらげらと笑い転げる始末。

 最初は意地を張っていた弟も、恐怖からぐずり始めた。しかし縁は、そんな弟の手前、絶対に泣くものかと心に誓ったのだというのだ。

 何処であろうと、どうなろうと、小さな弟を守れるのは自分だけなのである。その手だけは絶対に離すものか、出口を見つけて必ず帰るのだと、その一心だけで歩き続けたのだった。


「その空間は、けして人が入っていい場所ではなかったし、見ていい場所でもなかったのだと今ならわかります。恐らく、あれこそが“異界”と呼ばれるものなんでしょう。エレベーターで転移した人達が行ったのも、似たような場所だったのかもしれませんねえ」


 そこにいるだけで、精神を鑢でガリガリと削ってくるような場所だった。

 しかしそれ以上に恐ろしかったのは、二人の目の前に次から次へと、人間のカタチをした怪物が現れたことだと言う。多分、人間の悪意がゴミのように溜まって、固まった存在ではないかと縁は語る。あるいは死んで地獄に落ちた人間が迷い込み、本来の姿を失ってしまったのではないか、と。

 彼等は罵詈雑言を吐きながら、幼い兄弟に襲い掛かってきたそうだ。


「“ダレ”なのかわからないけれど、恐らくは……強盗殺人犯、動物虐待の常習犯、ロリコンショタコンな誘拐犯、SNSいじめの犯人、痴漢の常習犯、強姦殺人犯、ひき逃げの犯人から拷問趣味のサイコパス……それくらいはレパートリーに富んでいたと思われます」

「な、なんでそう思うんスか」

「そりゃ決まってるでしょ」


 振り返り、縁はにやりと笑う。








 彼等に襲われると、彼等の悪意や欲望の空間に強引に引きずり込まれることになる。

 ある時は二人揃ってどこかの拷問部屋で縛りつけられ、全身に釘を打ちこまれた。そして命を落としたと思ったら傷が治っていて、元の異空間に戻っている。

 そこからさらに次の影に襲われると、今度はどこかのビルの一室で頭の中身が割れるほど金属バットで殴られたり。あるいはどこかの満員電車の中で、二人揃ってショタコン趣味の変態に痴漢されたり、それ以上のことまでされたり。

 どこかの教室に閉じ込められてひたすら罵倒される。トイレに閉じ込められて水を飲まされる、かけられる。

 恐らくは、全てその悪意の存在の妄想などの疑似体験なのだろう。あるいは本当に、あの空間ではあらゆる傷が負った端から治る仕様であったのかもしれない。あらゆる苦痛と恐怖に晒され、それでも縁は弟を守りたい一心で走り続けた。とにかく、出口がどこかにあると信じていたかったからである。弟の存在が、少年の心を支える唯一の糧であったのだそうだ。

 だが。


「僕は逃げるのに必死すぎて、気づくのが遅れたんです。途中から……弟の泣き声が聞こえなくなっていることに」


 汚泥のような闇の中から、やっと出口の光らしきものが見えたと思った時。ボロボロになりながらも、安堵と共に――ずっと手を繋いでいた弟を振り返ったのだった。

 そして、見てしまった。


「僕が手を繋いでいた相手はもう、弟ではなくなっていたんです。弟の名残は、その小さな手だけ。あの場所での精神の崩壊は、そのまま肉体の崩壊を意味する。そこにいたのは、弟の右手だけを持った……どろどろに溶けた、肉の塊でした。弟はとっくの昔に耐え切れなくて壊れてしまっていたんです。僕は、あの子を……守ってあげることができなかった。そればかりか」




『オニイ、ヂャ、ン……』




 肉塊にはまだ、弟の意識が残っていた。その名残があった。それなのに。




『あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』




 縁の精神もまた、その瞬間に崩れ落ちた。

 発狂して、そのまま。小さな手を振りほどいて、逃げ出してしまったのである。


「気が付いた時には、僕は病院のベッドの上でした。……生還したのは僕一人だけ、だったというわけです。弟は帰ってこなかった。僕が、あの狂った空間に置き去りにしてしまったんです」

「あ、雨宮、さ……」

「僕はずっと後悔しています。あの時どうして弟を守れなかったのかと。あの小さな手を、離してしまったのかと」


 弟は、あいつらに“殺された”。

 しかし死体もなく、神隠しされたなどという話を信じてくれる大人もなく。ついでに、少年達はまだ十一歳以下の子供の集団。当然のように、罪に問われることはなかったという。


「人を殺す怪異であると知りながら陥れておいて、何故罪に問われないのか。何故報いを受けさせてやることができないのか。……僕はずっと納得できずにいたんです」


 だから、と。縁は話を締めくくったのだ。


「だから僕は……そのあと幽霊らしきモノが見えるようになってから、ずっと考えていたんです。どうすれば、そういうモノを使って人に害を成す“人間”を裁けるのかと。だからこの仕事は、まさに天職のようなものなんですよ。ま、それだけのことなんです」


 悲惨極まりない過去を語ったとは思えないほど、淡々とした口調で。

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