<8・ツブレル。>

 趣味が悪い。

 結友が最初に抱いた印象は、それに尽きる。


「被害者は、芝園理露さん、十四歳。現場は彼女が通う音島中学校のエレベーターですねえ」


 パソコンの画面に写真データを表示しながら、やたらのんびりした口調で縁が言う。その後ろでは、光一郎が渋い顔で声を失っている。

 今はエレベーターでの怪死事件、そのデータが一つでも多く必要である。そう判断して、まずは都内も都外も関係なくデータ分析を進めていた、まさにその矢先のことだった。

 栃木県で新たに死者が出てしまった。それも今回は、中学二年生の女の子が、である。

 はっきり言って彼女が被害者だと分かったのが奇跡のようなものだった。なんせその体はバラバラのぐちゃぐちゃ、とてもじゃないが遺族に見せられるような有様ではなかったからである。先日都内で死んだ森村善一の方がまだ原型を留めていたと言えよう。芝園理露が死んでいたエレベーターは、床も天井も壁も、ところせましと血液と臓物、骨の欠片が飛び散っているという有様であったのだから。よくもまあこれだけの惨状で、エレベーターそのものが壊れていなかったものである。ボタン、基盤にもたっぷり血が染み込んでいたというのに。

 正体が彼女だと分かったのは、彼女と友人の江崎さくらが行方不明になっていると家族から知らせがあったこと。それでエレベーター中に飛び散った細胞のDNA解析を行ったところ芝園理露のそれと完全に一致したからである。

 遺体の状態が状態なのでまだはっきりしたことは言えないが、科捜研によれば今のところ、もう一人の行方不明者である江崎さくらの遺伝子情報は出てきていないという。血液量からしても、エレベーターで死んだのは恐らく理露一人であろう、というのが彼等の言であった。


「一体何をどうしたら、人間がこんな風にべっちゃべちゃのぐっちゃぐちゃになるんですか」


 灰色の壁や天井が全部ドス黒く染まるほどの血液。血だまりに、ところどころ布の破片がくっついた肉やら骨やらの欠片が落ちているのがなんとも生々しいが、もう此処までくるとこれが人間の死体だとも思えないほどである。

 結友も刑事であるため、残酷な死体の写真くらいは何度も見たことがあるが。高層ビルから転落死した遺体であっても、ここまでぐちゃぐちゃなのは見たことがない。顔が潰れてるとか首や手足が変な方向に曲がっているとか内臓がはみ出しているとか、あってもその程度のものなのである。

 それが、これではまるで。


「検死された皆さんも首を傾げてらっしゃいましたね」


 くるり、と振り返って縁が言う。


「まるで上空一万メートルくらいから硬いコンクリートの上に死体を落として、落としたところでそのぐちゃぐちゃになった死体をもう何度か落とし直したみたいな死体だって。それくらいの威力がないと、人間の死体がここまで潰れるってことはないみたいですよ。で、細胞の潰れ具合からしても圧死じゃなくて、転落しまくって死んだって方が正しい、と」

「よくそんな話、冷静にできるッスねあんた。中学生の女の子なんスよ?」

「仏さんに中学生の女の子もオジさんもないでしょう?可哀想なことには変わらないですし、そこで態度を変えるのは刑事としてどうなんです、結友さん」

「そ、それはそうッスけど……」


 どうにか結友が飲み込めたのは、これが“人間にはどうあっても不可能な犯行”らしいということである。先日の、森村善一ならばまだ“未知のウイルスだとか寄生虫だとかを解き放った人間がやったこと”だと無理やり解釈できなくもないが、今回ばかりはそういうわけにもいかないだろう。

 これが、単なる圧死死体をエレベーターに投げ込んだというのならまだ人間が機械で犯行を行ったかも?と思うこともできる。が、恐ろしいことに、僅かに残っていた肉片などの状況から、彼女の死因は明らかに転落死。しかも、死んでから叩き落とされたのではなく、叩き落とされて死んだ可能性が濃厚という。しかも、血まみれに遺体が運び込まれたわけではなく、エレベーター内で引き潰されて死んだとしか思えない状況だと。

 よくミステリーなどで言及されるが。その場で飛び散った血痕と、後で擦りつけられた血痕は明らかに痕跡が違うのだ。鑑識や科捜研がその違いを見分けられないはずがない。まあ探偵モノのドラマなどでは、刑事が優秀だと話が進まないので、そういうことも見抜けない無能扱いにされがちなのだが(そして実は刑事よりも、鑑識が無能扱いとなっていることが多いのである。探偵が状況からして簡単に推理できることを見抜けなかったり、というか証拠満載の素人探偵を現場にあっさり踏み込ませてしまったりするのだから。刑事でさえ、鑑識の捜査が終わるまではまず現場に入れて貰えないというのに)。


「もう一人の行方不明者の、江崎さくらは……まだ見つかっていないんだったな」


 顎をすりながら光一郎が言う。どうにも今日彼はその動作が多い。髭のヒゲの剃り残しでも気になっているのだろうか。


「確か、芝園理露とは非常に仲良しだったんだろう?ならば、今回の芝園理露の死亡とも関わりがあると思って良さそうだがな」

「まあ、間違いないでしょうねえ。何かにつけて二人で一緒に過ごしていたらしいですし。あ、栃木県警の皆さん結構優秀だったみたいで、昨日の段階でかなり聞き込み進めてくれたみたいですよ?」


 基本的に、●●県警、と別の都道府県の警察は折り合いが悪いことが多い。というか、それぞれ妙な縄張り意識があるせいで、合同捜査と行ってもきちんと連携がとれずにギクシャクすることが多いのだ。まあ、警視庁なんか特に、妙に他の県警に対して威圧的な態度を取ったり強権発動することが多いせいで嫌われがちというのもあるのだろうけれど。

 その栃木県警、がどうにもこの雨宮縁巡査部長には、随分するすると情報を渡しているらしい。まだ合同捜査本部が立ち上がったばかりであるというのに、早すぎやしないだろうか。まるで、他のどこよりも早く、縁に一番に情報を渡すという暗黙の了解でもできているようだる。


「人望あるんですか、雨宮サンて」


 思わず正直な感想を口にしてしまう、結友。すると縁も言わんとするところがわかったのか、違いますよ、と苦笑してきた。


「陰陽対策係って、捜査一課ってことになってるけど……実際は指揮系統が非常に特殊というか、権限も特殊というか。本来は、各都道府県の警察全部に専門の課を作りたかったところ、僕一人だけという状況になってしまっていますからね。特例がいっぱいあるんです。説明すると長くなりますけど、必要ですか?」

「あ、いえ、イイデス……」

「ですよね、今そういう場合じゃありませんもんね!」


 じゃあ訊くなよ、と心の中でぼやく。こいつ、実は滅茶苦茶毒舌タイプなのだろうか。いつもにこにこと人当たり良さそうにしているくせに。


「芝園理露と江崎さくらは親友同士で、何処に出かけるのも一緒……というか、この二人だけでクラスからちょっと浮いているような存在だったらしいですね。孤立していたと言ってもいいくらいかもしれません。……芝園理露が死んだとされているのは、音島中学校の創立記念日のお休みの日でした。本来、学校に来るような用事のない日です。で、二人でどこかに遊びにいく、と午前中に家を出たところを家族が目撃しています」

「遊びに行くと言って、実際に向かったのは学校だったと?」

「音島中学校は学校にしては珍しく、校舎が五階建てになっていて、公立中学校なのにしっかりエレベーターが設置されている学校でしてね。そのエレベーターで、儀式を試した可能性が濃厚なんですが……よりにもよって、エレベーター内の防犯カメラが故障していたらしく、記録が残っていないんです」


 何でよりにもよってこういう時に限ってカメラが壊れてるんだよ、と。口にしようとして、結友はギリギリで留まった。

 “こんな時に限って”。

 それが偶然だなんて、どうして言い切れるだろうか。誰かがカメラを壊した可能性がないと、どうして言えるのだろう。壊した犯人が、生きた人間であるかどうかは別として。

 そう、流石の結友も、そろそろ信じざるをえなくなってきているのである。この事件の犯人が、一般的な猟奇殺人犯ではなさそうだ、という事実を。


「公立中学校ですから、学校内のカメラはあと二か所……正門と裏門にしかありません。でも、二人揃って学校に来たところまでは、正門のカメラに映っているんです。で、出て行く記録は一切ない、と」

「まるで学校に、喰われちゃったみたいじゃないッスか……」


 思わず言ってしまってから、自分で自分の言葉にぞっとさせられた。

 理露のドロドロの死体を見てしまったら、あながち間違っているとも言えないのがなんとも恐ろしい。


「この、エレベーターで行う儀式のようなもの。この出所をまず確かめることが必要でしょうね。これだけ立て続けに人が死ぬということは、儀式を知っている人の数はけして少ないものではない。SNSなどで相当広まっていることが予想されます。一刻も早くそれらの情報を抹消しつつ、かつ“ワクチン”を作る方法を見つけないと」


 それから、と縁は椅子にもたれかかって言う。


「当然、この儀式を考え出して広めているどっかのバカをとっ捕まえる必要がある。儀式だけ潰しても、その人物がまた何かを広めだしたら結局元の木阿弥なわけですから」

「これ、本当に生きた人間が黒幕だと雨宮さんは思ってるんですか?」


 幽霊が犯人なのも恐ろしいが、人間が犯人なのも恐ろしい。結友はぶるり、と体を震わせた。何故ならば。


「犯人も、自分の儀式でこれだけ残酷に人が死にまくってるの気づいてますよね。……これだけのことをして、平気で笑ってる人間がいるなんて考えたくないし、動機も全然想像つかないんですけど」


 もしそんな奴がいるのなら、どんなサイコパスなのだろう。人を殺して、苦しめて、警察を振り回して楽しんでいるような。そんな人間がいるなんて、正直想像もしたくないことなのだが。


「案外、くだらないことなのかもしれないし、善意だったりするかもしれませんよ」


 そんな結友に、縁はあっさりと言うのである。


「犯人の動機を、悪意だとか、大きなものだとか決めつけない方がいいです。この世界にどれだけの人間がいると思っているのです?それこそ……行きたいお店がたまたま臨時休業でイライラしたから、程度の理由で人を殺す人間だって、この世の中にはごまんといるわけですからね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る