<7・サクラ。>
何かおかしい。理露は違和感を覚え始めていた。階段を一番下の一階まで降りて来たというのに、いくら探してもさくらの姿が見えないのである。確かに声は、この階段の付近から聞こえて来ると言うのに。
「さくらー?何処なのー?」
段々と、理露の方も不安になってくる。
「ちょっと、泣いてちゃわかんないよ。返事してよおー」
不安が募ると同時に、段々と腹も立ってきてしまった。確かに自分も、このエレベーターの儀式に賛同したのは事実だ。面白そうだと思って諸手を挙げてやるやる言ったのだから、そこに関してさくらに責任をなすりつけるつもりはない。
でも。二人バラバラに行ってかくれんぼしてみよう、なんて無茶なことを言いだしたのもさくらである。理露はそんなことして大丈夫?と何度も念を押したというのに彼女が強行したのだ。
『平気平気!どうせ、モンスターがいる森っぽいところとか、あるいはお洒落な西洋風の町とかでしょ!』
――そりゃ、私もそういうところに出るんじゃないかと期待してたけどさあ。よくよく考えたらモンスターが出るような森って、普通にそれはそれで危なくないかな。
そもそも、小さな遊園地のお化け屋敷に一緒に行ってなお、半分失神しそうになっていたのはどこの誰であったか。例のネズミの王国のライド型のオバケ屋敷でさえ、ずっと一緒に乗っている理露の腕を引っ掴んでガクブルしていたことを自分は忘れていないのである。家族ぐるみで行った富士山近くの遊園地のお化け屋敷に至っては、やめておけばいいのに絶対行くと言って聴かず、結局誰かさんは泣きながら途中退場する羽目となったのである。
まあようするに。怖いもの見たさ、は先行するのだけれど。実際はめっちゃビビリ、なのがさくらなのである。
しかもそれがわかりきっているのに周囲の忠告を聞かないものだから、結局理露をはじめとした仲間が尻ぬぐいをすることになるのだ。富士山のところのお化け屋敷に至っては、理露は最後まで行きたかったのに――結局さくらに付き合って一緒にお化け屋敷を出る結果になってしまったのだからどうしようもない。親友だが、正直あの時の恨みは忘れていないのだ。
――きっとどうせ、暗くて足がすくんだとか、そんなんで泣いてるんでしょ。あの子のことだから!
それは、半分以上は願望。大して恐ろしいことが起きたわけでもないのに大袈裟に騒いでいるだけだと、そう思いたい自分のフィルターが強くかかっているという事実に、理露は気づいていなかった。
――さっさと見つけて帰って、まずはさくらにガツンと!それはもーうガツンと説教してやんなくちゃ!
そのためにはまず彼女を見つけないと、と暫くうろついたところでやっと理露は気づくのである。啜り泣く声が、階段の裏側から聞こえて来るという事実に。
「……?ちょっとさくら、隠れてんの?」
そういえば、階段の裏には半分物置と化しているスペースがあったような、と思い出した。月明かりが届かず、はっきり言って真っ暗な場所である。流石にちょっと怖いなと思いつつ裏側を覗き込んだ理露は、そこでやっとすんすんと泣いているさくらの姿を発見した。
どうやら荷物か何かの影に隠れているらしい。暗がりの中、理露から見えるのはさくらの顔のみである。
「う、うう……り、りつゆちゃ……」
やっとさくらは、理露が寄って来たことに気づいたらしい。ぐすぐすと鼻を鳴らしながら俯いていた顔を上げる。なんだか口調が妙に舌足らずに聞こえるのは、泣いているせいなのだろうか。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう。あたし、あたしさあ、あたしぃ……」
「もう、そんな大泣きするくらいなら、かくれんぼなんか提案しなけりゃ良かったじゃん。さくら、私よりも怖がりなんだからさあ。まあ、面白い異世界でもなんでもない、よくわかんない夜の学校みたいなところに来ちゃうとは思ってもみなかったけどー」
「違う、違うの、違うぅ……」
一体何が違うのだ。理露は首を傾げる。
「あの、あのあの、あのね。え、エレベーターから降りたら、あたし、隠れようとしたんだけど、そしたら、なんか、教室の中からへんなの、でてきて。それでね。そ、それで、それで。に、逃げたんだけど、あ、あ、あたし、あたし」
そういえば、いつまでそんな真っ暗なところに隠れてるんだろう。さっさと出てきなさいよ、と言いかけて――ここでやっと、何かがおかしいことに理露は気づく。
階段の下のスペースは、灯りが届かなくて真っ暗だ。まあそれはいい。でも。
なら、何故。自分には彼女の顔が見えているのだろう。
彼女の顔だけが、まるで。暗闇の中から浮き上がっているように見えているのか。ただ、物影に隠れているだけにしては妙だ。それならば腕とか、そうでなくても首や髪の毛くらいは見えていてもおかしくないはずだというのに。
「逃げたけど、つ、つ、捕まっちゃって、それで」
ずるり、べちゃり、と。妙に濡れた音が、した。理露は思わず一歩後ずさる。音と共に、夏場に魚でも腐らせたような――凄まじい生臭さが、鼻腔を突いたからだ。
さくらが暗がりから出て来ようとしているのがわかった。だが。
体の大きさが、おかしい。
顔のある位置が、おかしい。
体の形が、おかしい。
そして、言動が。
「それで、それで、それでそれでそれで……あ、あたし、どうしよう」
ずる、べちゃ。
「こ、ここここここ、こんな、カラダに、なっちゃってぇ……!」
あまりの驚きに、理露は声も出なかった。
階段下から這い出してきたさくらは、巨大な真っ黒な肉の塊のような姿になっていたのだ。そう、階段下が暗かったのではない。階段下に、みっちりと黒い肉が詰まっていたから、真っ暗に見えていただけであったのである。
その巨大な肉の塊の中心に、さくらの顔が埋まっていた。
そしてその真っ黒な肉の、ぶよぶよとしたてっぺんあたりに。彼女のものと思しき、靴下を履いた足が角のように突き立っている。逆に一番下の方からは、斜めに生えた腕が、まるで足になったように地面をずるずると這いずっていた。
それはまるで。巨大な肉塊に、バラバラにしたさくらの肉体を埋め込んだような、姿。
「た、タスケテ、りつゆ。こわいの、こわい、こわい、こわい、こわいコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ!」
肉の中心に埋まったさくらの顔。その眼球がどろり、と解けて――血の涙となって頬を零れ落ちた。
「だ、ダズゲデエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
濁った悲鳴を上げて、“さくらであった怪物”が手を伸ばしてきた瞬間。理露は絶叫し、廊下を走り出していた。
「マッデ、マッデヨ、マッデヨリヅユ、アダジをダズゲデえええええええ!」
肉塊は、泣き叫びながらずるずると音を立てて追いかけてくる。待ってと言われても、立ち止まれるはずがなかった。あれが本当にさくらだなんて、認めたくない。さくらであってもさくらでなくても、捕まったら同じ末路になるかもしれないと思えば、逃げないなんて選択肢はないのだ。自分はただのひ弱な女子中学生に過ぎないのだから。
――やだ、やだやだやだやだやだ!なにあれ、なにあれ!?な、何がどうなってんの、ねえ!?
幸い、広い校舎ではない。エレベーターのある場所まで辿りつくのはそう時間のかかることではなかった。友達を見捨てたかもしれないという罪悪感よりも、今は本能的な恐怖が勝っている。パニックのまま理露はエレベーターに飛び込むと、閉ボタンを連打して扉を閉じた。
「やだ、やだ……なんなの、これ。もうやだ、やだぁ……!」
自分は、悪い夢でも見ているのではないか。そう思いたかった。しかしいくらエレベーターの中で頭を抱えて呻いても、この恐ろしい夢が醒める気配はない。それどころか。
「り、り、リヅユ、ぢゃ」
「ひっ!」
べこん!と。濡れたものが、向こうからドアを叩くような音が聞こえる。いる。エレベーターのすぐ前に、あの肉の塊になってしまったさくららしき存在が。あるいは、さくらのフリをした怪物が。
「来ないで……来ないでよお……!」
この場所から、一刻も早く逃れたい。そのための方法は、一つしかなかった。自分達が試した儀式はちゃんと、元の世界に帰る方法が記されていたのだ。望んだ異世界に行ける方法ではなかった以上、その帰る方法の信憑性もだいぶ怪しいが――今は信じて、それを試してみる他ない。
「カギリ様、カギリ様。わたくしの血と、肉と、魂と、心を、どうか元いた世界へお返しくださいっ!カギリ様、カギリ様。わたくしの血と、肉と、魂と、心を、どうか元いた世界へお返しくださいっ!カギリ様、カギリ様。わたくしの血と、肉と、魂と、心を、どうか元いた世界へお返しくださっ!カギリ様、カギリ様。わたくしの血と、肉と、魂と、心を、どうか元いた世界へお返しください――!!」
一階のボタンを連打して、四回同じ呪文を唱える。これで元の世界に帰ることができる――そのはずだった。
だが。
「?」
がこん、と。何かが外れるような、音。エレベーターの中に、濁った声が響き渡った。
「下ニ、参リ、マズ」
――し、た?下って、なに?私、一階からエレベーターに乗ったはずでしょ。この学校、地下なんかない、でしょ?
そんなことを考えられたのは、一瞬のことだった。次の瞬間。
「ひっ」
何かのブレーキが壊れたように。エレベーターの籠が、凄まじい勢いで下に落下し始めたのである。
「ぎ、きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
恐怖の時間は何秒、何分、何時間続いたか。
エレベーターが“最下層”で叩きつけられた瞬間。理露の意識は全身の激痛と共に、真っ赤に弾けて消えたのである。
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