<3・オカルト。>
刑事が初動捜査に出る時、必ず持ち歩くようにと言われる装備。それに近年、追加されたものがある。それがこの霊測感知機というものだった。
「これ持っていく意味あるんですかね。なんか落としそうで怖いんですけど」
「毎回同じこと言わすな。規則だ規則。あと落としたら始末書じゃ済まないからな?」
「わ、わかってますってば!」
そうは言っても、光一郎も光一郎で、納得していませんという声が滲んでいる気がするのだが。ベテラン刑事であるからこそ、このようなものを刑事が持ち歩くのには疑念を抱かずにはいられないのだろう。スマホサイズの機械とはいえ、荷物になるのも間違いないから尚更に。
――ああもう……色んな意味で、気が進まないー……。
鑑識の情報を鑑みても、やはり自分達が現場に行って周辺の情報を集めるのが最適な判断だろうという結論に達した。グダグタ机の上で写真だけ眺めていても捜査にならないのは事実なのだから仕方ないと言えば仕方ないが。
そんなわけで、怪しい虫が潜んでいるかもしれないマンションに、結友は光一郎と共に向かっている最中な訳である。高級マンションというだけあって、大きな駅からほど近い場所だ。駅前の交差点を渡ればすぐ、のっぺりとした赤茶色の建物が見えてくる。
――綺麗なマンションなのに、可哀想だよなぁ。
都民憧れの、まるで美術館のようなマンション。そうやって売り出された建物だったらしい。かなりの価格であるというのに、未だに“買いたい人がたくさんいるので、売ってくださる方を募集しています”のチラシが大量に入ってくるようなところだったのだとか。まあ駅も近いしコンビニも近いし、ついでに小学校も近いと来ている。少し裕福な家族連れなんぞが、やや高いローンを組んででも購入したくなるような場所だったのは間違いないのだろう。
が、それも今回の事件で大きく変わってしまうはずだ。流石にマスコミにはエレベーター内で被害者が“具体的にどのようにして”死んでいたかの情報は伏せて流しているはすだが、それでも情報を完全にシャットアウトすることはできない。マンションのエレベーター内で人が無惨な死体で発見された、血まみれだった――程度の情報が広まるだけで、十分にアウトなのだ。
確実に、事故物件になるのは免れられない。
部屋の中で死んだわけではないというのがかえってまずいかもしれない。なんせ、エレベーターはどの部屋に住んでいてもほぼ確実に使うものである。死人が住んでいた部屋に住まなければいいなんてものではないのだ。
――流石に、人喰い虫が出たかもーなんて話は伏せられてる、だろうけど。それも時間の問題なんだろーしなぁ。
そんな話がどこかから漏れたら、確実に近隣住民は大パニックになるだろう。なんとしてでもその前に、この事件の全貌を解き明かす必要があるのは間違いない。なんせ、その“人喰い虫”にやられたような死体が出た事件だけで、都内のものだけ合わせても三例目なのだから。
実際には、他の県でも同じような事件は起きている。比較的首都圏が多いというだけだ。
もしも本当に何かのパンデミックで、人間を喰い殺したあと虫がどっかに逃げただけだというのなら、今頃日本中は人喰い虫だらけという状況かもしれないのである。はっきり言って、結友が一番逃げ出したくてたまらなかった。いろいろあって刑事になったはいいものの、世間一般のイメージにあるように“この国を守る使命感に燃えて!”とかでは全然ないのである。はっきり言って、今時の若者あるあるの、やる気ない系軽め男子な結友だった。わりと本気で、この仕事をなんで選んじゃったのかと一年目にして後悔しているくらいには。
――さっさと解決しなくちゃいけない事件なのはわかる!わかるけどー!それって俺じゃなくても良くないかな本来はっ!
それに、霊測感知器についてもそう。
万が一これが反応したら、つまりはそういうこと、になってしまう。正直なところ、それはそれで御免被りたいのだが。
「せんぱーい……」
交差点での信号待ちの最中。結友は小声で光一郎に声をかけた。
「先輩、刑事歴長いですよね。この感知器を持つようにってなったのは二年前かららしいですけど……マジでこれ、反応したことあるんです?というか、先輩的には微妙だとは思わないんッスか」
「微妙って?」
「……だってそうでしょ」
はぐらかす光一郎に、結友は声を顰めて言う。
「だって法律がいくらそう変わったからって、刑事がコレ持つって。それってつまり……幽霊による犯罪、がマジであるって認めたようなものじゃないッスか。刑事として、それってどうなんですかね」
そう。この装置を所轄の刑事が持たされるようになった最大の理由は、オカルト的な犯罪の存在を政府が認めてしまったため。
つまり、そういった法律が出来てしまったがためなのだ。
幽霊などの人外、あるいは不可視の術による犯罪がこの世には存在しうる。それに対処するための装備と、対処可能な法律が必要である、と。それが大凡三年前のことである。テレビでそんなニュースが流れた時は、お茶の間の人々の多くが“なんでそんな馬鹿な法律なんぞ作ったんだ”と呆れるなり笑うなりした筈だ。実際、結友もまたその一人だったのだから。
刑事ドラマやミステリー小説において、オカルト要素は所謂天敵と言っても過言ではないものである。
犯人が犯罪を犯す理由として登場するのであればなんら問題はないし、村ぐるみの怪しい風習を示すための装置としてオカルトがあってもいいだろう。だが、実際の真相が“悪霊が夜な夜な人を呪い殺してました”なんてものであったなら、ミステリーファンは激怒するはずだ。こんなのミステリーではない、と。
そして現実における刑事という存在は、探偵と並んでミステリーの守護者としての立ち位置でもあると結友は思っているのである。その点、フィクションも現実も変わらない。幽霊が犯人なので捕まえられません、なんてことを刑事が認めてしまったら最後、本当の犯人を逃してしまう。現実に地に足ついたミステリーではなく、ファンタジーかホラーに変わってしまうではないか。
現実にはミステリーはあっても、ホラーやファンタジーはあってはならない。それは空想の産物だと証明しなければならないのが、刑事という職の人間なのではないのか。
それなのに。――こんな、幽霊の力を感知するための装置、なんてものを持たされて。
幽霊が犯人だった時の対処を約束する法律なんてものが設定されて。
そんなもの、本来あるべき刑事の姿だと言えるのか。それで、光一郎はどうして納得できるのか。実際、結友が刑事になってから一度も、こんな玩具が役に立ったことなどないというのに。
「……まあ、お前が言いたいこともわかるよ。俺も大体同じ感想持ったしな」
はぁ、と深く息を吐く光一郎。
「幽霊が人殺しをしてましたっていうよりはまだ、未知の寄生虫やウイルスが暴れてますって言ったほうが有り得そうだなって思っちまう。前者がオカルトで、後者が科学の部類だからなんだろうな。解明されてない存在ならどっちも同じ“未知”のはずだってのに、なんでだか人はオカルトってもんをぎりぎりまで信じたくない生き物なんだ。命の危機が同等だとしてもな」
「そりゃ、幽霊なんか誰も見たことないからでしょ。あっても大抵人間が犯人か、集団ヒステリーの見間違いとかなんですから。今は心霊写真だってアテにならない時代です、フォトショで簡単に加工できちゃうんだし」
「そうそう。見たことあるって誰かが言っても、それが真実なんて証明できない。……幽霊がいないことを証明するのは本来、いることを証明するより遥かに難しいはずなんだがな」
悪魔の証明だと言いたいらしい。確かにそれは事実としてそうなのだろう。幽霊なんかいない、と思っていてもいないことを証明するのは実質不可能に近い。
その上で、幽霊なんかいないと大抵の人間が思い込んでいるという、矛盾した状況になっているのも確かではあるけれど。
「ただ、事実として」
信号が青に変わる。人波と共に、結友と光一郎も歩き出す。
「政府は、オカルト的な犯罪がこの世にあることを“認めて”、それに対して処分が下せる法律を作った。呪殺した人間を殺人罪で裁く法律。悪魔を呼び出して人に危害を加えた奴を逮捕できる法律、ってな具合にな。実例がなかったら、そんな法改正通るわきゃない。でもってお前は知らんのかもしれないが、この法改正に関しては野党も文句言わずに満場一致で衆議院通してるんだ」
「つまり?」
「俺も詳しく知らないがな。政府の、力を持ったお偉いさんが複数人、そういった事件に巻き込まれたことがあるんだと思ってるよ。だから、多少強権発動しても、与党と野党で一時的に手を組んででも法案を通したんだろうさ。……もしそうでないなら、当時の与党と野党がまるまる怪しい宗教に染まって洗脳されてたってことになるんだが、お前はそっちの結論の方がいいか?」
「うげ」
それは、考えるだけで恐ろしい。
いや、たしかにそれもそれで別方向に怖いとはいえ、ならば本当に幽霊がいますということを刑事の自分が認めてしまうのはどうなのか。ぐぬぬぬ、とジレンマに呻く結友。
「……先輩は、本当に。悪霊だとか、呪術だとか、そんなの信じてるんッスかー?」
何だか釈然としなくて、ついつい子供のように足元の小石を蹴ってしまう。
「俺とコンビ組んでからは、一度も鳴ってないですよね霊測感知器」
「コンビ組んでからまだ一ヶ月だろ。それまでお前は実質強行犯係の雑用係みたいなもんだっただろうが。あと、オフィスの掃除係で事務係」
「そ、そうですけどぉ……ってそんなはっきり言わなくても!」
なんでも、幽霊の気配?だとか残留思念?みたいなものを感知する装置らしいとは聞いている。スマホサイズの、灰色の板にメーターがついてるみたいなその機械。知らない人が見たら、放射能の測定をする機械か何かだと思うだろう。
万が一これが鳴ったら、その事件はオカルト絡みである疑惑があるとして捜査方法が変わってくることになる。具体的にはその時点で――強行犯係と、とある別の係での合同捜査となるのだ。
その、とある別の係、には。現在人員が一名しか在籍していないのだけれど。
「本当に鳴ったことあるんだよ、ソレ」
ちらり、と結友のコートのポケットを見て、光一郎は言った。
「幽霊なんか俺は見ちゃいない。でも装置が鳴って、“あいつ”と一緒に捜査して、ホシを挙げたことはある」
「幽霊見てないのに、逮捕?幽霊捕まえたとでも言うんッスか?」
「アホ」
そうじゃないだろ、と彼は続けた。
「お前は事の本質をちっともわかってないな。なんで例の係が、よりにもよって天下の警視庁捜査一課に増設されることになったと思ってるんだ。つまりは……」
光一郎の言葉はそこで不自然に途切れた。結友は危うく彼の背中に激突しそうになる。光一郎が突然立ち止まったからに他ならない。
「せ、先輩?どうし……」
「あらあらあら!刑事さんなの、本当に!?どこかの高校生の男の子かと思ったらー!」
結友の言いかけた言葉を遮るように、聞こえてきたのはテンションMAXな中年女性の声。なんだなんだと思えば、マンションの玄関前で買い物袋を下げた中年女性が立っているではないか。どうやらもう一人、彼女と楽しくお喋りしている人物がいるらしい。紺色の制服なのかスーツなのかわからない服を着ている、小柄な青年が立っている。こちらに背を向けていて顔はわからないが、やや緑がかったように見える黒髪があっちこっちに跳ねたような特徴的な髪型をしているようだった。
光一郎が、心底嫌そうに呟く。
「何で、
「え」
その言葉で、結友は気づくのである。
彼が先程まで話していた例の係――警視庁捜査一課陰陽対策係唯一のメンバー、
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