<2・ケイジ。>

 何度見てもそれは、異様な事件だとしか思えなかった。

 写真をくるくると回しながら、警視庁捜査一課強行犯係の新人刑事、日ノ本結友ひのもとゆうは言う。


「先輩!誰がどう見ても俺にはこの事件荷が重いと思うんッスけど!」

「煩い!真面目にやれ、人が死んでるんだぞ。お前も刑事になったからには、担当する事件選り好みできると思ってんじゃねえ」

「ぶうう」


 どす、と後ろから先輩の参道光一郎さんどうこういちろうにもろにチョップを食らった。柔道三段だとかいうがっしりした体躯の彼の空手チョップは地味に痛い――いや、本気ではないのだろうけれど。面倒を見る新米巡査に、もうちょっと優しくしてくれてもいいのではないか。結友は内心腐りたくて仕方ない。

 なんせ、こんな凶悪事件を担当することなど本当の本当に始めてなのだ。今までは、ちっちゃなボヤ騒ぎとか、ちょっとした過失傷害だとか、えっちな真似しただのしてないだのという事件のサポートに呼ばれることが精々だった。荷が重いを正直に思って何がいけないのだろう。ハコヅメ=交番勤務になるより楽だと思って刑事になったけれど、よくよく考えたらどっちも楽なんてことはなかったというオチである。


――まあ、誰かが死んだということは、誰かが悲しんでいるということなわけで。誰かが頑張って解決しなきゃ、遺族が浮かばれないってのもわかってるんだけど。


 二十五歳。要領の良さと持ち前のラッキーだけでここまで来たという自負がある結友は、じっと写真を見つめて言った。


――だからって。いきなりこんな訳わかんない事件任せなくたっていいじゃんか。


 今結友が手元に持っているのも、デスクにずらっと並んでいるのも。全て、ある事件の現場を撮影した写真のコピーであった。

 どれもこれも、ちょっと見ただけで吐き気がするほど酷いものばかりである。ただ人が血を流して倒れている、というだけならばどれほど良かっただろうか。

 それは、最近続いている連続怪死事件のものだった。――なんとここのところ、エレベーターで突然人が死ぬ事件が多発しているのである。

 勿論その内容が、やれエレベーターのワイヤーが切れて落下しただの、ドアに人が挟まって死んだだのというのなら完全に事故を疑う流れだ。管理会社、あるいはエレベーターの製造会社の問題である可能性が高く、業務上過失致死の疑い濃厚と見て捜査するのが妥当だったことだろう。問題は、これが完全にそういう類ではないということである。被害者はみんな、エレベーターの中に突如死体となって現れるのだ。それも、殺されたのか病気なのか事故なのかもさっぱりわからないような惨たらしい死体で、である。


――最新の事件は、東京都S区、●●町のマンション。被害者の名前は、森村善一もりむらぜんいち三十七歳……職業は、無職、と。


 事件が発生したのは一昨日の早朝。

 そのマンションはオートロックであり、管理費も高く、毎朝清掃業者が来るような場所だった。朝早くからエレベーターの清掃をしようと、清掃業者の女性が一階にてエレベーターを呼び出した。この時エレベーターは、最上階である十階で止まっていたという。そして、ドアが開いた途端、凄まじい光景と血の匂いで悲鳴を上げたのだそうだ。――中では森村善一が、それはそれは悲惨な姿で死んでいたのだから。

 エレベーターの中は、彼のものと思われる血で完全に海になっていた。天井まで血液が飛び散り、極めて酷い惨状となっていたという。

 奇妙なのは、被害者の死に方だ。彼は仰向けに、エレベーター内で大の字になるようになって倒れていた(ちなみにこのエレベーターはかなり大きいので、成人男性が斜めに倒れられるくらいの広さはあったものと説明しておく)。男の靴は脱げ、靴下はびりびりに破れて足首にまとわりついている状態。両手両足の爪は剥がれ、その二十本の指の先は不自然に小さな穴が開いていたという。まるで、爪の先に太い棒でも無理やり突き刺そうとでもしたかのように。

 さらにおぞましいのが、彼の穴という穴が派手に抉られたようになっていること。

 両目の眼球は潰れて瞼は引き裂け、脳まで貫通するかのような深い穴を作って血を垂れ流していた。検死結果を聞いたところによれば、まるで両目から虫のようなものでも侵入して脳みそまで食い荒らしたかのようになっていたという。それは鼻、口、耳も同じ。もっと恐ろしいのは下半身も同様の状況ということで、尿道と肛門も何らかの“生物”に掘り進められたようになっていたという。当然、性器は崩壊し肛門は断裂。腸やら膀胱やら精巣やらは、軒並み内側から虫食い状態となっていたんだそうな。


――それらの殆どに生活反応があったって……しかも、脳を喰われてすぐに意識がなくなった可能性も低そうだって……うげえ。


 まるで、新種の寄生虫にでも襲われたみたいな死体だった、と検死の担当者は語った。グログロもいいところである。殺人事件の死体なんて見慣れているはずの彼女があれだけ渋い顔をするのだからよっぽどだったのだろう。自分、検死官にならなくて良かった、とやや申し訳ないことを思ってしまうくらいには。

 幸い、被害者を殺したと思しき“虫”本体は発見されておらず、また被害者の体内にもそれらしいウイルスや細菌の痕跡はなかったという。が、それが余計に事件がややこしくしているのである。

 なんせ、そっくりな死体はこれで三件目なのだ。

 都内のエレベーター内での怪死事件、というだけでもこの一カ月だけで十二件目だというのに。


「鑑識の結果が出るまでだってやれることはあるだろうが」


 嫌だ嫌だ気持ち悪い、という感情がもろに顔に出ていたのだろう。結友の顔を覗き込んでくる渋いおっさん――ならぬ先輩刑事の光一郎。


「この時間は頭を回すのに使え。少なくとも、この十二件目はお前と俺で調べるってことになってんだから」

「でも、鑑識さんのお答えが出ないとわかんないことだらけじゃないですか。事故だと考えても病死だと考えても殺人だと考えても変でしょ?……流石にまあ、皆さん自殺の線は追ってないでしょうが」


 悪い人ではないが、あまり顔を近づけないでほしいと思う。ぶっちゃけ、イマドキの若者らしく煙草の臭いが駄目なのだ、自分は。刑事がみんな煙草をふかして張り込みをしていました、なんてのは遠い昔の時代の話、もしくは刑事ドラマの中だけだと知っている。


「あのマンション……テンペストヒルズ・キタガミには。二基のエレベーターがあったんッスよね。今回死体が発見されあのは、その西側の方でした、と」


 ぴん、と二本に指を立てて言う結友。


「で、あのマンションにはいろーんな人が住んでる。普通に考えるなら早朝に遺体が発見されたってことはその時間のちょっと前くらいに遺体があの場所に出現したってことになるでしょ」

「そうだな」

「あのマンション、管理人が二十四時間いるじゃないですか。エレベーターには防犯カメラもちゃんとついてる。本来なら真っ先に死体に気づくの、管理人のはずでしょ。何で清掃業者なんッスか。まるで、本当の本当に、お掃除のオバちゃんがエレベーターを呼ぶまで死体が発見エレベーター内に無かったみたいなかんじでしょ?」


 実際管理人から通報はなく、彼もまた清掃スタッフの女性の悲鳴を聴きつけてすっとんでいった結果、エレベーターの惨状を見て同じように腰を抜かしていたという。それを見た清掃スタッフのチーフがどうにか冷静さを保って警察に通報、という流れらしい。いや本当に、あまりにも常識から外れた光景を見ると、人はとっさに正しい判断が下せなくなるというものらしかった。


「まだ、聴き込みが全部終わってないからアレっすけど……ヒキコモリだった被害者の両親いわく、彼と最後に会ったのは晩飯の時だった、とのこと。本人は老いた両親に面倒見て貰ってる身ではあったけど、一緒に食事をするってことはほとんどなかったぽいんスよね。おかーさんがいつものように八時にご飯の乗ったおぼんを持っていくと、普通に部屋から出てきて受け取ってくれたんだとか。で、そのあとこの老夫婦は二人揃って夜十時には就寝。朝、マンションの外の外が妙に騒がしいなってんで起きてきたのが六時半ってところ。十時まで息子が家を出てないことまでは確認できてるけど、十時から朝まで息子さんがどうしてたのかは不明ってことで」


 多分、息子は自分で家を出ていったのだろうとは言われている。彼の靴がなくなっていたし、財布と携帯も持ち出していたと見られるからである。コンビニかどこかに出かけようとしていたのか、あるいは何か別の用事があったのかは定かではない。ただ、涙ながらに語ってくれた両親によると、息子が家を出るのは非常に珍しいことではあったという。

 最近は欲しいゲームの類も通販で買っていた。精々どうしてもおなかが空いた時に、一番近くのコンビニまで行くことがごく稀にあるかどうかといったところであったようだ。


「被害者が何のために家を出たか……被害者のパソコンでも調べてみれば何かわかるかも?ってくらいですよね。まあそっちも結果待ちなわけッスけど」

「そうなるな」

「そうなるな……ってここまでは先輩だってわかってんでしょ。俺が気づいてて先輩が気づかないことなんかどうせないんッスから」


 ぷくー、と頬を膨らませる結友。


「はっきり言って、得体の知れない虫に襲われたっぽい死体に人間の犯人がいるとも思えないし、事故であんな風になるとも思えないし。そんでもって、その虫も見つかってないってなら、今できることって被害者周辺の聞き込みとか、変な虫が出てこないか探すってことくらいじゃないですか。ていうか本当にそんな虫が出てきそうな事件現場に何度も行くこと自体とっても遠慮したいキモチなんですが?」

「アホ」

「ほげっ」


 だから、なんでツッコミをするたびに自分の頭にチョップなのだこの先輩は!自分は漫才のボケ担当ではないというのに、と頭を抱えつつ結友は思う。


「そんな単純な話じゃなさそうだから問題なんだろうが。さっきお前、自分でも言っただろ。死体を管理人が最初に見つけてないのがおかしいって。まるで、清掃会社の女性が見つける直前に死体が出現したみたいだって」


 不思議なことに。そんな結友以上に、光一郎は嫌な顔をしていた。それこそ、苦虫をかみつぶした、とでも言うような。


「俺の経験上な。こういう事件って、大抵アレなんだよな……」

「アレ?」

「……とりあえず、鑑識の結果が来たら即出かけるぞ」


 詳しく説明するのも面倒だ、というように彼は続ける。


「忘れずに、“霊測感知器”を持って行けよな」

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