序論:俺はチョロい

『で、ミケくんは連絡先交換したんだ』

 俺が返事をする前に、画面に映った俺のアバターが本に頭を喰われた。

「うん」

 ミケは俺のハンドルネーム。ゲームオーバー、という文字に、淡々とセーブデータから開始を選ぶ。通話相手はSNSで知り合った俺のゲーム仲間。消しゴムという三秒でつけたハンドルネームを、どうしてこの名前にしたんだと五年ほど後悔しているらしい男性だ。同じ大学生ということもあり、かなりプライベートなことも話している。お互いの正確な年齢も本名も住所も知らないが、バイトでどんな仕事をしていているか、どんなことを勉強しているか、誕生日はいつか、それからお互いに友人が少ないことも知っている。それに対して、特に孤独を感じていないことも。俺たちはインターネット上の知り合いで一度も直接会ったことはないけど、たしかに友情を育んでいる。

『どんな気持ちでミケくんにそんなことを……』

「分からん。コワ」

 ズレてきたヘッドセットの位置を直す。コンティニューされた画面内で、確認するようにキャラクターをくるくる回す。

「でも悪意はないと見たから、付き合いを持とうと思う」

『いや、……いや?』

 ゴムくんが通話の向こうで首をひねっている気配がした。ゴムくんは『ミケくんは、チョロいよ』と神妙な声で言う。

『どんな人なの。その人……』

「ああ、彼。自販機くらい背が高いイケメンで……」

 じゃあ自販機男、とゴムくんが呼称を決める。

『自販機男本人に悪意のつもりはなかったとしても、ミケくんが公衆の面前で悪目立ちするっていう迷惑は、かけてるよ』

「え~……?」

 首をひねっていると『ミケくんさぁ』とゴムくんが呆れる気配がした。

『もうちょっと警戒心を持ちなよ。俺たち、付き合う人間を選ばないとロクなことにならないんだから』

「ゴムくんも俺もコミュ障だもんね」

『そうだよ。それから人の気持ちが分かんないタイプだから』

 この言葉のドッジボールが俺たちのデフォルトだ。たしかにね、とキーボードのキーをぽちぽち押してキャラクターを操作する。

「お互い傷つくのは嫌だもんな」

『そこでお互い、って相手を気遣えるのがミケくんのいいところだよね』

 少しくすぐったくなって、はにかんでしまった。

「そう言って褒めてくれるのも、ゴムくんのいいところ」

 俺の操作によって、キャラクターが洋館を歩く。時折落ちてくるデストラップを回避しながらドアを開ける。

「逆になんで俺に声をかけたのか、気になるし知りたいんだよなぁ」

 ぼやく俺に『関わらない方がよくね?』と、ゴムくんが呆れたように言う。それは本当にごもっとも、と思いつつ、俺は黙っていた。

『俺たちは人の悪意を見抜けないんだから、最悪弄ばれて晒しものにされるかも』

「それはさすがに人間不信すぎ」

 はは、と笑ってセーブポイントへ向かう。上書き保存。今日はここまで、と画面を閉じた。ぐーっと伸びをして、長い間画面を眺め続けていた目をしぱしぱさせる。椅子の背もたれに寄りかかって、息を吐く。目を瞑って眉間を揉んだ。

「どうして俺なんかに、興味を持ったんだろ」

 ぽつりと呟くと、『そこは直接聞かないと分かんないね』とゴムくんが言う。俺は「そうねぇ」とのんびり同意する。ちょうどパソコンの脇に置いていたスマホが振動した。手に持って画面を確認すれば、宮下からのメッセージ通知だった。

「噂をすれば、自販機男からなんか来た」

『はぇ~』

 ゴムくんが気の抜けた声を出す。俺がロックを外して確認すると、宮下は海の写真を送ってきていた。次いで「友達とドライブ」とメッセージが続く。

「海辺で友達とドライブだって」

『スゲェ! 陽キャって感じだ!』

 ゴムくんが頭の悪い興奮の仕方をする。

「ほんとにいるんだ! こういう奴!」

 俺も頭の悪い興奮の仕方をする。スゲェスゲェと二人で一頻り興奮して、『いや何してるんだ俺たち』というゴムくんの言葉で我に返った。俺はちょっと天井を見上げ、指を組んで背もたれに体重をかけ、しばらく沈黙する。

「いや、……よくなかった。自販機男に失礼だ。誰だって行くよな、友達と海辺へドライブくらい」

『俺たちが行かないだけだもんな。たぶん……』

 ごめんな……と頭の中で宮下に謝っておく。通話の向こうでごそごそ音がして、ゴムくんが『俺お菓子食うわ』と宣言した後にボリボリという音が続く。

『そういうどうでもいいこと、送ってくるんだな』

「暇なのかな。俺も暇だから野良猫の写真とか送ってるんだけど……」

『ワンチャンそれが原因で送ってきてるよ。自販機男、律儀か?』

 ゴムくんが言う。そうかも……と首をひねって、宮下へは「海、いいな」と返信する。続けて、今度俺と一緒に行かない? というメッセージが表示された。誘われたら行くけど、どうせ行くなら潮干狩りがいい。生態系を感じたい。そう打ち込めば、彼はきゅるきゅるの瞳をした子犬がこちらを見上げるスタンプを送ってきた。

「自販機男、本当に悪い奴ではないんだとは思うよ。ちゃんと返事くれるし。文化は明らかに違うけど」

『文化の違いってしんどくね?』

「俺としては、むしろ面白いというか」

 知らないことって面白いじゃん? と言えば、ゴムくんは『ミケくんらしい』とくつくつ笑った。

『知らないことをなんでも面白がるミケくんなら、たしかに自販機男は面白いかもね』

「さすがに限界はあるけど。自販機男が俺を馬鹿にしてなめてかかってるなら、それは対等な関係ではない。俺はお断りだ」

 それはそう、とゴムくんが同意する。俺は宮下とのチャット画面に、「潮干狩りは楽しいよ。宝探しみたいで楽しいし、手に入ったものは食べられるし……」と入力する。

 実のところ、彼には俺の方からメッセージを送ることも多い。最初は相手の出方を見たくて送っていたメッセージだが、最近は単純に、宮下と話したいために話しかけることも、なくはない。

 チャットを通じて分かったことは、宮下は会話するのが上手いということだ。おしゃべりだけど自分の話をするばかりではないし、俺の話を聞くのが上手くて、話を広げてくれる。相手の話を聞くのが下手で、ターンを奪うか、相槌を打つだけになる俺とは大違いだ。彼がいつもみんなに囲まれている理由が、少し分かった気がする。彼と話すのは楽しい。彼は俺の突拍子な発言をおもしろがることはあっても、決して馬鹿にはしない。だから話しやすい。

『ミケくんは、自販機男のことをどう思ってるの?』

「変な奴」

 通話口で、ゴムくんが『それはそうなんですが……』と笑う。

『でも満更でもなさそうだよね、ミケくん』

「まぁ……」

 口ごもりながら、言葉を探す。俺は彼のことが嫌いではないし、正直、興味を惹かれてもいた。好意とまではいかないが、俺もまた、彼を面白がっていた。

「好きとまではいかないけど、嫌いではない」

『仲良くなれそうなんだ?』

「そこまでは分からん」

 パソコンの検索タブを閉じて、通話アプリを開く。ゴムくんのアイコンが表示されて、その使い古された消しゴムの写真に向かって、俺はろくろを回す手つきをする。

「ミイラとりがミイラだ。俺は自販機男に興味を持たれ、どうして俺に興味があるのか探ろうとして、逆に自販機男へ興味を持ってしまった」

 向こうで、ゴムくんが息をのむ気配がした。

『チョ、チョロい。チョロすぎる』

「俺もそう思う」

 頷くと、『てことは、ミケくんは彼と仲良くなりたいってわけ?』とゴムくんがポテチを齧りながら言う。まぁ……と不承不承頷く。ぐうの音が出た。

「悔しいな。俺は、どうして彼が近寄ってくるのか知りたかっただけなのに」

『自分から接近していったのは、愚かすぎるよ』

 ゴムくんの呆れた声に「そうだね」と同意する。でも悪い気はしないんだ、と続ければ、ゴムくんは笑って『自販機男と友達になれたらいいね』と言ってくれた。

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