大学でイケメン陽キャに迫られてるけど君は暗算できないしうるさいし好みじゃない
鳥羽ミワ
結論から言って俺は絆される
十二月二十五日の十八時半、冬風吹きすさぶ真っ暗な大学図書館前広場。俺たち以外に人影はない。教室棟を出たときから俺の手を強く引いていた宮下祐樹が手を離して、その長い腕で俺を抱きしめた。思わず驚いて固まる俺を、宮下はますます強く抱きしめる。
「充希くん、ごめん。俺もう限界」
自販機くらい背の高い彼は、頭一つ分背の低い俺へ覆いかぶさるように、熱っぽく上擦った声で呼ぶ。触れ合う頬は、こんなに寒いというのに熱かった。途方に暮れて夜空を見上げれば、ド田舎のやたら澄んだ夜空が、観念しろと言わんばかりにロマンチックに光っていて。あーあ、とため息をつく。それに宮下がびくりと動揺して、「ちがうって」と彼の背中に手を回して、とんとんと叩いてやった。彼は徐々に身体の力を抜いて、俺を改めてぎゅうぎゅうと抱きしめ直す。
「いいよ、宮下。俺もだいたい分かってる。だいじょうぶ」
そう言って、俺も彼を抱きしめ返した。彼は感極まったように「すき」と呟いて、俺とおでこを突き合わせた。至近距離でじっと見つめてやれば、彼の瞳は潤んで、今にも涙をこぼしそうだ。普段スカしているくせに、こういうところはかわいい。俺の前では、ずっとそうしていてほしい。
「すき、充希くん。付き合って」
クリスマス当日を試験最終日にするこの非人道的な大学に来てよかったな、と思った。そうでなければきっと今頃帰省していて、彼とは今日という日に、会えなかっただろうから。
俺は春から始まったこの腐れ縁に、今から決着をつける。
今年の春は、例年よりも桜の開花が早かった。
毎年入学式頃には散りかけの桜は新歓の時期にはもう葉桜で、特にサークルに入っているわけでもない俺は、せっせと履修とバイトの予定を組んでいた。家ではあまり集中できないタイプなので、広場近くのカフェテリアに設置された椅子とテーブルを借りて(一応コーヒーを一杯買って)作業をしていた。気持ちのいい快晴だったから、図書館の中より、外で風を感じたかった。
机中に手帳やルーズリーフ、スマホ、シラバスを拡げてあれこれ思案していると、勝手に向かいの席に座り込む人がいた。誰だ、と顔を上げると、そこにはちょっと類を見ない、背の高いハンサムボーイが微笑んでいた。高い鼻梁がすっと通った印象的な彫りの深い顔立ちに、切れ長のすずやかな瞳。明るい茶髪はしっかりセットされて、衣服も相まって、彼が身なりにかなり気を遣っていることが窺えた。有り体に言えば、かなり俺のタイプの見た目で、一瞬見惚れてしまった。
「千草充希くんだよね。哲学主専攻だったっけ」
「誰?」
率直な感想が思わず漏れる。目の前の席に座ったその男子は、その大きくて唇の薄い口で、特に気にした様子でもなく笑った。
「俺、言語学主専攻の宮下祐樹。ほら、去年一緒のクラスだった」
「覚えてない」
それを聞いて、何がおかしいのか宮下はまた笑う。さすがにムッとしてにらみつけると、彼は「ごめんごめん」と軽い調子で手を振った。
「千草くんはそういうタイプだよね」
「つまり、俺はクラスメイトの顔も覚えてない薄情な奴ってこと?」
「そこまでは言ってないよ」
宮下は快活に笑って、「俺もちょっと作業」と勝手に俺の冊子類をどかして自分の手帳を広げ始めた。俺は諦めて、机の端からこぼれそうになっていた自分のルーズリーフを引き寄せる。
「……宮下くんは、何の作業してるの」
「履修登録。なんで俺が君に声かけたか、聞きたくない?」
「別に。興味ない」
俺の愛想のない返事でも彼は気分を害した様子もなく、「ずっと充希くんのことが気になってて」と勝手に話しはじめる。特に遮る理由もないので、そのままラジオ代わりに彼の声を聞き流すことにした。
「去年の学祭打ち上げで一緒のテーブルにいたんだけど、案外充希くんてよく喋るんだと思って。話す内容も面白そうだったから、実はずっと気になっててさ。三ケタの掛け算が得意な人が好みなんだっけ?」
「そうだけど」
彼はニコニコしながら「充希くんて面白いね」と頬杖をつき、こちらを上目遣いに伺った。背の高い男なので、小柄な僕を見上げるために頑張って身を屈めている。
「どうして三ケタの掛け算が得意な人が好みのタイプなの?」
「俺ができないことができるの、かっこいいじゃん。俺、暗算は苦手だから」
唐突な話題に戸惑いつつ答えれば、宮下は「なるほど」と神妙な顔でうなずいた。
「俺も三ケタの掛け算は暗算じゃできないな。ちなみに俺の好きなタイプは守りたくなるような子なんだけど」
それは別に聞いてないんだよな、と意識のフォーカスを目の前の科目一覧表に向けなおした。今年開講の哲学科の授業はできるだけとっておきたいし、できれば民俗学の授業もとりたい。
「俺がその人にとって頼りになるかどうかっていうか、俺が守りたいって思う人って、やっぱ俺にとって魅力があるわけ。庇護欲をかきたてる相手って、少なくとも自分にとってはかわいい相手だし、守るメリットがある。君の言う『自分にできないことができる人はかっこいいから好み』とは逆かもね」
「うん」
彼の話を聞き流しつつ、時間割アプリで仮組みしていく。できるだけ一限の授業は減らしたい。この宗教学の授業は隔年開講だから必ずとっておきたくて、従って時間が被っているこのサンスクリット語は諦めなければいけない。彼はないな、と思った。さきほど感じたトキメキが、饒舌さに掻き消されていく。頭脳明晰で寡黙な人が好みだけど、それを彼に言う理由はない。
「でも君みたいに、かっこいい人が好みっていうのも分かるよ。やっぱかっこいいとかわいいって、いちばん分かりやすい魅力だからさ。だからみんなかっこよくなりたいしかわいくなりたいんじゃないかな。つまりみんなの目標で、希望で、夢」
「何の話? サンリオ?」
その言葉を聞いた瞬間、宮下が爆笑しはじめた。周りで優雅にお茶をしていた人たち全員が振り向くほどの大きな声だった。俺はひたすらにドン引きして、彼から離れようと少し椅子を引いた。
「充希くん、マジで全然話聞いてないのね」
ひー、と呼吸困難になりそうなくらい笑っている宮下。箸が転んでもおかしいお年頃だったとしても、俺の言葉は転んだ箸の面白さに勝っているとは思えない。彼は満面の笑みを浮かべながらスマホを取り出し、「最高」とのたまった。
「充希くん、かわい~!」
「俺はマスコットキャラじゃないぞ」
慄きながらそう言うと、彼は首を横に振る。
「マスコットキャラ以外もかわいいよ。犬とかね」
そう言って彼はメールアプリを起動し、友達登録画面を開く。
「ねえ、充希くん。俺と友達になってよ」
「今そんな流れだったか?」
「その流れにしたよ。俺が」
彼は飄々とした口ぶりで「充希くん、スマホ出して」と促す。咄嗟に断ろうと理由を考えたのだが、特に何も思い浮かばなかった。周りの人が全員振り返るくらい突然爆笑しても、それは彼の人間性が悪いことを保証するわけではない。では彼が俺を馬鹿にした言動をとったのかと言うと、そうではない、と主観的には思う。単純にこういうコミュニケーションを取る人というだけだろう。はやくはやく、と急かす彼の目をじっと見つめる。ただ、彼の本心がまるで分からなかった。どうして顔見知り以下の俺に突然、馴れ馴れしく声をかけたのか。突然面白がられて、ただただ困惑している。ちらりと様子をうかがえば、彼は余裕たっぷりな表情でこちらを見て、スマホを揺らしている。それに少し、悔しいと思った。
「…………いいよ」
たっぷり沈黙してから俺もスマホを取り出して、友達登録画面を開いた。彼は嬉しそうに画面を操作して、QRコードを表示する。俺はそれを読み取って、「これでいい?」とだけメッセージを送る。既読はすぐについた
「カンペキ」
彼は薄い唇を笑みの形にして、俺に微笑みかけた。それから、からかうように口を開く。
「というか充希くんって、夢と希望のことをサンリオだと思ってるんだ」
「罪を贖うのは夢と希望だ」
え……? と、彼が戸惑った声を上げる。俺は彼に優しく、意味深に微笑んでやった。全部口から出まかせである。
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