天国と地獄

■天国

 全てが平等で争いの無い平和な世界、欲を捨て他人と見比べることなく楽しく生きられる人間だけが住む世界。難点は欲を持って居ると退屈な事と、やってはいけない事が多くあり、違反すると簡単に追放される世界で有る事。

 守るべきルールは多いが、みんなが平穏無事に過ごせて食う事には困らず。新しい発明があればタダで供給される。そして、死ぬ時期も自分で決めることが出来る。簡単に言うと不老不死なのだ。


■地獄

 全てが不平等で争いのある世界、欲望のままに生きる人間が楽しく生きられる場所、天国のルールを1つでも破ると落とされる世界、今の地球である。

 難点は、競争に敗れると、ほぼ確実に再起不能の奴隷になる。一度奴隷になると、天国で過ごせる性格に成らない限り、贅沢な暮らしは出来ず。最悪、貧困により餓死する。

 強者だけが心地よい世界なので、大勢の人間が苦しんでいる。しかも、居るのは天国で罪を犯した罪人だけ、ほとんど助けが来ることは無い。救ってくれる神様は居るが、手助けするには厳密なルールがあり、そのルールに沿った手助けしか出来ない。

 そのルールは明示されていないが、一つだけ確かな事は、神様は選択肢を提示してくる。どちらを選ぶかは神様に救いを求めた者が決める事になっている。

 その選択は、天国で暮らすのが楽しいか、地獄で暮らす方が楽しいのかを判別する選択を与えられる。天国のルールを知っていれば、天国に行く選択肢を選ぶことは簡単なのだが、欲があると地獄に残る選択をしてしまう。

 勝負事が好きだったり、ヒーローに成りたかったり、他人から称賛されたり、他人よりも贅沢に暮らしたいと思っている場合は、地獄で暮らした方が楽しいだろう。


■本当の世界

 全てが平等で、全てが不平等な世界、欲を全て捨てているし、欲を全て持って居る世界、何を言っているのか分からないと思うが、これが理解できれば不老不死でありながら他人を傷つける事無く平等に特別な存在として人生を体験できる。


 仏教の教典に書かれている悟りは数字で表すと0の世界、零であり霊の世界だ。そこに世界は存在しないという。原初の状態への回帰を促す教えだ。最終的には世界は終わる。


 新約聖書に書かれているのは数字で表すと2の世界、愛と憎の世界だ。天国と地獄の世界であり、人々はどちらからの世界で生きる事を強いられる。天国では人は繁殖せずに滅び、地獄では殺し合いの末に滅ぶ。


 そして、釈迦とキリストがたどり着いた悟りは数字で表すと①の世界、一であり十の世界だ。天国でもなく地獄でもない。そして0に回帰しない世界だ。

 だが、仏典も新約聖書も釈迦とキリストがたどり着いた境地を文字に出来ていない。本当の悟りの意味を理解できない者が書いたから、そうなってしまっている。


 ①世界では全てが許される。善行も悪行も好きにしていい世界だ。そこにはあなたしかいない。他人は存在しない。全てがあなたであり、殴った相手もあなたなのだ。自分で自分を殴った時、あなたは何を思うのか?

 殴った自分を許せないと思うのであれば2の世界に行く事になる。自分で殴るのだから、殴らなければいいと思ったのなら0の世界に行く事になる。自分で自分を殴った、超ウケルと思えたのなら1の世界に行けるのだ。


 これが、仏教で言いう弥勒の世であり、キリスト教でいう楽園なのだ。私たちは最初から楽園に居る。そうだと認識できないのは、あなたが全てを許せていないからだ。善も悪も許し、受け入れて楽しいと思えた時、世界は楽園に変わる。

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