死の権利と輪廻転生

 死は権利である。霊界では、霊(魂)の消滅は創造神により禁じられている。消滅が禁じられているので、他者を傷つける事も禁じられている。だから、飢餓も支配も戦争も死も無い。


 対照的に、物質界(人間が生きている世界)では、この世の全ての悪と善が許容されている。ゆえに、物質界が出来た時、全ての霊は最初こそ霊界でのルールに従って善良に生きていたのだが、物欲に起因する家族間の喧嘩に始まり、他家との喧嘩、村同士の喧嘩と怒りと悲しみと痛みという未知だった体験にのめり込み、多くの霊が負の感情と苦痛に魅了されてしまった。

 その結果、大きな戦争に発展し、多くの人間が身体的に復元不可能な傷を負ってしまった。壊れた体は元に戻らない為、苦痛を感じ続ける状況が発生した。


 そうなって初めて創造神は学んだ。肉体の有る状態で死ねないのは拷問だと理解した。だから、古くなった体を捨てる。または、不完全になってしまった体を捨てる。苦痛が連続する状態から逃れる為に、死という概念を作った。


 だから、死は神から与えられた人間の権利である。


 自殺したくなったらするのが正しい。苦痛しかない人生に苦痛を与え続ける他の

創造神に、私は苦しいから、お前たちのせいで死ぬと宣言する事になるからだ。そうして相手はしてはいけないことを学ぶのだ。


 輪廻転生だが、霊は何度も物質界に来て人生を謳歌している。歌が好きな霊は歌を歌い。勉強が好きな魂は勉強を極め世界の法則を知る。運動が好きな者は運動で活躍する人生を何度も送っている。

 男性を極める者も居れば女性を極める者も居る。そして、原初の神、アメノミナカヌシを知ろうとするものは男の人生も女の人生も半々になるように輪廻転生する。


 性同一性障害とは、病気ではない。今まで、女性または男性として転生を繰り返してきた者が、お試しで別の性別を選んだが、元の性別が良かったという拒絶反応が発生した状態なのだ。


 アメノミナカヌシには性別は無い。中性なのだ。そこから、世界を面白くするために対立する二つの属性、陰と陽、男性と女性を作ったのだ。どちらも性質の違いでしかない。どちらも正しく、どちらも間違っている。陰陽合わせて正解なのだ。

 だから、アメノミナカヌシに創造神になりたいのなら、自分の中の善性と悪性を両方認める必要がある。その上で多くの創造神(人類)が幸せになる方法を考え、その中で幸せになる物語を作らなければならないのだ。


 輪廻転生できるのだから、死んでも良いと思ってやりたい事を思いっきりやってみると良い。その結果、人生が詰んでしまい。やり直したいと思ったら自殺すれば良いのだ。それは権利なのだから……。

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