第7話 byあーちゃん

詩乃は何を言おうとしていたのだろう。

龍馬は「大丈夫だよ」なとどいいながら、そのまま少女の前を離れてしまったことを不意に思い出した。詩乃はいつになく真剣なまなざしだったのに。

 佐部信次と話した、というより問いかけとうなずき、首の傾きという、そのやりとりからは何一つ事実を確認出来なかった。もともと、心を開いてもらえるかどうか、さぐりの質問だったのだ。人垂らしには自信のあった龍馬も歯が立たなかった。それだけだ。

姓をもっているのだから、四郎・信次親子は武士であろう。土佐藩に佐部姓のものはいただろうか。少なくとも龍馬に知り合いはいない。土佐藩のような小さな藩では、上士も下士も全員の名前はわかっているつもりだった。おそらく土佐藩には関わりのない者だろう。そういえば、詩乃も久留島姓を名乗っている。久留島は隣の伊予藩にある名前だが、土佐では聞いたことがなかった。

 龍馬は少し混乱した。言うまでもなく、溝渕広之丞は上士だ。土佐藩では上士と下士の身分差は大きく、広い家が構えられているのは上士の証だ。龍馬は広之丞が「縁があって」交際しているという広之丞の曖昧な紹介も思い出した。上士が、士分とはいえ、茶屋で働く女と縁組みをすることはない。当然、龍馬も江戸に置く「妾」だと了解していた。

 龍馬は、当時の常識として、こう考えたのだ。「浪人であった久留島が妻子を残して亡くなってしまったため、妻は茶屋で働くしかなくなってしまった。そこに溝渕が知り合って交際しているうちに家に出入りするようになったのだ」と。藩邸ではそうはいかないが、広之丞は藩邸とは別に、江戸に一軒自邸を構えていたのだから、そのようなことも可能だ。違うのだろうか。

今年に入って、後に安政の大獄と呼ばれる綱紀粛正の取締が始まった。幕府は各藩の藩士、個々のつながりに目を光らせている。久米島が浪人ではなく、他藩の士分のものであったのなら、残された妻子を妾としておくなど、幕府に目をつけられる絶好の口実になってしまう。上士であれば当然だ。広之丞はどこまで久留島親子の素性を調べたのだろうか。

 龍馬は故郷の家、それは百姓屋とほとんど変わりのない、土間といろり端と、わずかな寝間があるだけの、壁に隙間のある狭い家を思い出した。

「俺ならば・・・」

 龍馬はさらに、下士の家柄の、しかも次男で、五人目の子である自分を思い出した。他藩の者と縁組みしようが、養子にいこうが、大きな問題ではないだろう。しかし、広之丞は違う。

 詩乃の父親の死は、浪人の死であるから、奉行所も腰がひけて、謎が究明されないまま放置されたものと思っていた。浪人であるなら、町奉行所の管轄になる。けれども、それが思い込みで、もし久留島がどこかの藩士であるならば、その藩の江戸屋敷が動いただろう。町奉行所は手を出せない。久米島がどこかの藩士であったなら、その死はうやむやになったことも理解出来る。どこかの藩が、藩の不祥事として幕府に目をつけられるのを嫌って、意図的に早期収束を図ったのだ。真実を探ろうとした探偵・・・同心は病死した。

 佐部四郎はどうだったのだろう。どちらも浪人であったなら、二人の死は無関係な殺人であるかもしれない。けれども、どちらも藩士であるなら、そこにはなにがしかの藩の、なにがしかの意図がある、連続した事件なのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る