第6話 byカカオ
「自殺じゃ、ない……?」
「突拍子もない事を言ってるのは理解しているよ。ただ、どうも…違和感がね、頭を離れん」
龍馬の頭にこびり付く、霧の様な違和感。全く証拠の無い飛び降り自殺。不自然に折れ曲った死体。推定自殺の目撃者は息子一人のみという事実。そしてコレらより、まっこと不可解なのが―――
「どれだけ捜査を続けようも自殺者、佐部四郎とその息子の佐部信次の素性を知る者が誰も見つからない」
昨日、龍馬は足が棒になるまで炎天下の中捜査を続けた。役所では、その名と二人の戸籍は確認できた。だが、人伝ての情報は全くと言っていいほど得られなかった。誰も彼も、「忘れてしまった」「知らない」と呟くばかりで、龍馬自身、狐に化かされているんじゃないかと疑い始める始末。結果、捜査で分かった事は、佐部親子は人との繋がりが完全に切れていた、という事だけである。その名も、その姿も、その声も、彼等の何もかもが姿を見せない。それはまるで、その『存在自体』が雲散霧消した様で。
「まぁそれで、煮詰まった結果ここに来たという事なんだけどね」
「おまん、また面倒なことに首ぃ突っ込んどるっちゅうがかよ?──と、また訛っちまった」
溝渕も基本人前では標準語なのだが、やはり自宅にいるせいか、なまりがもどっている。
「俺だって好きで突っ込んでる訳じゃないさ。でも、目の前で起きた不幸を見逃す訳にはいかなくてね」
龍馬がそう言うと、溝渕は眉を落とし、やめてくれと言わんばかりに口を開く。
「――早死にするぞ龍馬」
「はは…手厳しい」
溝渕の言葉とは裏腹に軽く流す龍馬に、溝渕は深くため息を吐き、何処か諦めた様に、出された茶を胃に流し込む。
「たく……今日は何しに来たがじゃ? また面倒ごとか?」
「いや、今日は信次君に用があってね」
「あぁ、あの坊主か」
あの事件以来、引き取り手が見つからない佐部信次は、龍馬の手回しにより溝渕が一時的に面倒を見ている。最初は渋い顔をしていた溝渕だったが、最終的に龍馬が飯を奢る事で取引は成立した。
「ほんじゃけんど難しいぞそれは」
「やっぱりまだ、喋れないのかい?」
事件当日から佐部四郎の息子、信次は口がきけなくなっている。いや、それ以前からきけない可能性も高いが、それは龍馬達には確かめようのないことだ。
「あぁ。頷いたり、首振るがは出来るがやが、なんちゃあ喋らん。」
「確か離れの間で寝ちゅーはずじゃ。呼んでくるか?」
「いや、大丈夫。俺が行くよ。―――あ、お菓子とかある?」
「あ、それなら炊事場の棚にあるよ。……それとね、龍馬様。後で少し、お話し聴いて欲しいんです」
「――?あぁ大丈夫だよ」
ほんの瞬きの間、龍馬の目に久留島詩乃の、子供らしからぬ苦渋の表情が映る。彼女の言う話とは変死した彼女の父の話だろうか。
(……もし、修業をもっと早く終わらせていれば、もし、世間の風に気を遣っていれば、もし、誰かが誰かを救っていれば。何か、変わっていたのだろうか。)
龍馬の頭に罪悪感と後悔が、線香花火の様に弾けては消えていく。そんな事を考えながら、龍馬は『救える力を持っていながら、救わなかった』責任を背負い、少女の前を離れた。─────────────
ガラガラと音を立てて離れの扉が開く。和室の中心にひっそりと、森に潜む、苔に塗れた岩石の様にソレが居た。
「こんにちは、信次君」
「――――――」
龍馬が声を掛けても返答は無く、少年は海を漂う様に空虚を見つめている。
――――気持ち悪い。それが少年に対して、最初に龍馬が抱いた感想であった。理性的な物ではなく、生理的な嫌悪感。例えるなら、骸を喰らう蟲を見ている気分だ。
「お話し聞いてくれるかな」
龍馬は腰を曲げて目線を少年に合わせる。瞳の奥を覗くと、そこには生命がごうごうと揺らめいていた。
「質問をいくつかするよ」
ゆっくりと少年が首を縦に振る。
「君は佐部四郎の息子の信次君かな?」
繰り返すように少年が首を振る。
「君のお父さんは普段、人と一緒にいたかい?」
否定。
「君はお父さんを愛しているかい?」
肯定。
「お父さんは君を愛していたかい?」
否定。
「じゃあ――お母さんはどう?」
――――肯定。
「……お母さんは今どこにいるか知ってる?」
否定。
「次が最後だ。――君は、父がどれだけ苦しんでも生きてて欲しいかい?」
否定。
「…ありがとう。これで終わりだ。また、会いにくるよ」
計七つの問答を終え龍馬は踵を返す。少年に背を向け、日の下へ戻る。
中庭から、母屋で忙しなく掃除をしている久留島詩乃が見える。それを愉快そうに溝渕が見つめている。少し離れた道場からは門下生達の鍛錬の音が飛んでくる。
人々のさざめき。その中に流れる、細く、けれど無限の如く広がるの言の葉の繋がり。そして、龍馬は一人、音無き陽の下で空を仰ぎ、自身に宣告する。
「――あぁ、アレは既に、『蟲』じゃ」
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