第2話 転機

 会場後方の出入口から聞こえたのは、男性の声だった。

 ケルンを始め、その場にいた全員が驚愕して声の主に顔を向けると、数十人の警官たちが視界に入った。


 皆一様に黒スーツに身を包んでおり、黒や紫、青、緑などのそれぞれ色が異なるネクタイを装着している。彼らは素早く場内を取り囲むように配置について、拳銃や警棒で牽制した。

 先ほど制止を呼びかけた警官はどうやら指揮官らしい。彼は出入口のところに立ったまま声高に身元を明かした。

 

「我々は警視庁違法競売取締部、特別捜査隊である! この人身オークションを主催した〈アコニ〉の拠点は既に制圧された。よって、今この場にいるアコニ関係者、およびオークション参加者は全員逮捕する」

「なっ、本部が制圧されただと⁉」


 真っ先に声を焦燥の声をあげたのは、司会者の男だった。

 それから波紋が広がるようにして、会場内が一気にざわめく。


「逃走を図ったり、抵抗したりすれば命の保証はしない。行け!」


 指揮官の命令に、部下たちは一斉に捕縛に取りかかる。

 だが、早速指揮官の忠告を無視する者たちがいた。それにより会場内は数多の銃声や殴打音が響き渡り、阿鼻叫喚状態に陥った。


「チッ、OPに見つかるなんて……」


 女帝の舌打ちに、呆けていたケルンは我に返る。


「お前たち、退路を確保しなさい!」


 女帝の指示を受けて秘書やSPと思しき男性たちは彼女とケルンを守りつつ、下手側の舞台袖にある隠し通路へと急ぐ。


「待った」


 そこで、ケルンたちの前に一人の警官が立ちはだかる。

 二十代後半か、三十代前半くらいだろうか。丁寧にセットされた焦げ茶の髪に、精悍な顔立ちが印象的な男だった。警察官という字をそのまま体現したかのような生真面目さがうかがえる。


「その子を離せ。そして、両手をゆっくり上にあげて膝をつけ」


 銃口を女帝に向けて、緑色のネクタイを締めた警官は落ち着いた声音で指示を下す。


「あらあら。小さい子が目の前にいるのに、よくもまあそんな物騒なものを向けられるわね。間違ってこの子にでも当たったらどうするの?」

「子供を気遣う素振りを見せて、俺の隙を突こうとしても無駄だ」


 それに俺は、一度銃口を向けた奴を絶対に逃さない。


 得も言われぬ冷徹な気迫に、女帝と付き人たちはたじろぐ。

 ふと、ケルンと警官の視線がかち合った。彼は僅かに口角をあげて言った。


「すまない。今から荒っぽいことをするが、すぐに終わる。私がいいと言うまで、目を閉じていてくれ」


 ケルンはおずおず頷いて、言われた通り両目を閉ざした。

 それを確認して、警官は再度眼光を鋭くさせる。


「っ……お前たち、早くあの男を始末して!」


 焦りを伴った女帝の厳命を受け、SPたちが警官に襲いかかる。

 警官は眉一つ動かさずに、SPたちの肩や足を狙って三発連続で発砲した。彼らは呻き声をあげてその場にくずおれる。

 その速射能力と命中率は目を瞠るほどで、女帝は思わず一歩後ずさった。


「わ、わたしはこんなところで捕まるわけにはいかない……」


 そこをどきなさいッ!!


 甲高い喚声をあげながら突進してくる女帝に、警官は呆れたように小さく嘆息した。そして、拳を突きつけてくる女帝の腕を掴んでは捻り上げる。


「くっ……!」


 そのまま両腕を後ろに組ませ、バンド状の簡易手錠をつける。使用前は何の変哲も無い一本の帯だが、手首に軽く叩きつけるとその衝撃で瞬時に輪を作り、犯罪者の手首を拘束する仕組みになっている。警視庁の人間なら誰しもが持ち歩いているマストアイテムだった。


「こっちに来てくれ」


 すると、自分の腕を大きくて分厚い手が掴んだ。

 ケルンは驚きつつも、警官の優しい手つきと温もりに身を委ねた。


「目を開けていいよ」


 警官に言われ、ケルンはゆっくりまぶたを持ち上げる。

 そこは上手側の舞台袖だった。既に他の警察官によって保護された子供たちもいて、なかにはあの悪漢に買われていた少女の姿もあった。ケルンはほっと安堵の息をつく。

 舞台上や客席側からは、未だ怒号や発砲音が鳴り響いていた。


「すまない。我々がもっと早くここに来ていれば、君を恐ろしい目に遭わさずに済んだ」


 警官は面目なさげに呟きながら膝を折り、手錠を外してくれた。

 やっと両手の自由が戻って、ケルンは手首を摩りながらかぶりを振る。


「おじさんたちが来てくれなかったら、おれや他の子たちはアイツらの所有物になってた。だから、助けに来てくれてありがとう」

 

 ケルンの感謝の言葉に、警官はふっと柔らかな笑みを浮かべた。

 その瞬間、餌に飢えた獣の如き咆哮が鼓膜をつんざく。


「そのガキ共はオレのものだっ!」

「いいや、俺だ!」

「手ぶらなまま独房行きになってたまるかよッ!!」


 護衛やSPを犠牲にして運よく警察隊の牽制から逃れた連中が、警官の後方から襲い来る。

 ケルンや他の子供たちが警戒し、身構えていると、警官がすぐさま立ち上がって携帯していた警棒を取り出した。そして、目にも止まらぬ速さで駆けだす。

 

 それからの出来事は一瞬で、ケルンは終始見惚れていた。警官の流麗な体捌きや棒術に、自然と感嘆の息が零れ出た。

 警官は殴りかかってきた男の拳をすんなりとかわして、背を警棒で叩きつけた。さらには別の男が隠し持っていたナイフの刺突攻撃をけつつ、警棒でナイフを払い、腹部を足蹴にして突き飛ばす。終いには、相手の片腕を掴んで思い切り体を背負い投げた。


 無駄や隙が一切無い美しい体技。

 警官は簡易手錠をつけて、何事も無かったかのように表情一つ変えずに戻ってきた。


「すげえ……!」


 きらきらとした羨望の眼差しを自身に向けるケルンに、警官は目を丸くする。


「たった一人で複数を相手に……それも、一瞬でやっつけるなんて! おじさん、本当にすごいよ!」

「はは、大したことないよ。相手がほぼ非武装で戦闘において素人だったから、手間取らなかっただけだ」

「それでも、あんな綺麗な戦い方見たことない」


 

 おれも、おじさんみたいに強くなりたい!!



 警官の勇姿を目の当たりにして、ケルンのなかで一つの大きな夢が生まれた。


「どうしたら、おじさんみたいな強くてかっこいい警察官になれる?」


 興奮したように頬を僅かに赤らめて、弾んだ声音で問う少年。

 警官は大きく目を見開きつつも、再度頬を緩めて片膝をつく。そして、ケルンの頭を優しく撫でながら答えた。


「常に目標に向かって努力し続ける志と、人を守りたいという確かな想い。その二つがあれば、きっと君は私を超える素晴らしい警察官になれるよ」


 

 いつか、君と一緒に肩を並べられる日を待っている。



 ケルンは満面の笑みで大きく頷いた。

 その健気で純粋な姿に笑みを深めつつ、警官は少年の名を尋ねる。

 

「君の名前は?」

「ケルン」

「ケルンか。覚えておこう」

「おじさんは?」


 警官は膝を伸ばして、ケルンにとって生涯の目標となる名を紡いだ。






「シュタム・フォードだ」






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