第42話 俺はここに残る


「別にね……作品を描く上で、実体験をもとに作ることは、悪いことだとは思わないよ。でも、相手が未成年なら話は別でしょ?」

「いや、それはその……」


 ヤバい、航太との関係を完全に疑われている。

 いや、エロ漫画を読んだ彼女には、もう一線を越えた関係だと思われているに違いない。

 

 そこだけは、ちゃんと否定しておかないと。

 今の暮らしという以前に、刑務所にぶち込まれそう。


「翔ちゃん、この前はあんな悲しい別れになったけど……。私は本気だよ?」

「え? なにがだ?」

「あの時は気が動転して、言えなかったけど。私、実は来年に東京へ行くことになったの」

「お前が東京に……」

「そう、だから一緒に来ない? 新しい家でまたやり直そうよ。ふたりで……」


 未来は俺の目を見て、優しく微笑む。手のひらを差し出して。


 これはつまり、そういうことなのだろうか?

 復縁して東京へ行き、一緒に暮らし始める。

 そのまま、結婚して……俺は今、逆プロポーズされているのか。


「ま、待ってくれ……いきなりすぎて、そんなすぐには……」


 やんわりと断ろうとしたが、未来が怒鳴り声をあげる。


「ダメだよ、このままじゃ!」

「へ?」

「今なら戻れるよ、翔ちゃん! 私とここから、”藤の丸ふじのまる”から出て。昔みたいに暮らそう」

「そ、それは……」

「別に私のことは、気にしなくていいから。東京に行くことは、前々から編集部の人たちから勧められていたし……。それにもう、後悔したくない!」

「……未来」


 彼女の決意は、固いようだ。

 普段は温厚な女だが、今の未来は恐怖さえ感じる。


 きっと未成年の航太から、引き離したいという思いからだろう。

 でも、俺からすると、彼とはまだなにもしてないんだよな……。

 これからも。


  ※


 返答に困っていると、しびれを切らした未来が俺の右手を強く掴む。

 両手で一生懸命、俺の手を引っ張る。目に涙を浮かべて。

 

「翔ちゃん、私じゃダメ?」

「あのな、未来……」


 きっと、こいつにまた航太とのことを説明しても、混乱するだけだろう。


 ふと、喫茶店の窓から店内を眺めてみる。

 綾さんと並んで嬉しそうに、アイスクリームを食べる少年の姿が目に映る。

 もし俺が、航太のそばから離れたら、どうなるだろう?

 この前みたいに高熱を出したら、誰が助けてくれる。

 

 想像しただけでも、心配から身体がうずうずしてきた……。


 

「未来、悪い」


 冷たいと思ったが、俺は彼女の細い手を強く振り払う。

 今まで暴力なんて振るったことないから、力の加減が難しい。

 驚いた未来が「あっ!」と大きな声で叫ぶほど。

 

 しかし、ここは敢えて優しくしないと決めた。


「翔ちゃん……?」

「お前からの申し出は嬉しい。だけど……俺はここに残る。まだやることがあるんだ」

「そんなに、本気なの……」


 彼女の問いかけには、何も答えないことにした。


  ※


 店から出て、数十分は経ったと思う。

 いくら仕事だと嘘をついても、航太のことだから、心配して俺を探しにくるかも……。

 そう考えていたら、喫茶店の扉が開き、チャリンと鈴の音が聞こえてきた。

 

「おっさん~? どこ~?」


 ヤバい! また未来と会っているところを見たら、航太が誤解する。

 焦り始める俺とは対照的に、未来は呆然としていた。

 俺への心配からとはいえ、彼女を拒絶したからな。

 かなりショックを受けているようだ。


 しかし、このままでは”あの時”と同じ悲劇が起きてしまう。

 

 航太の声と足音がこちらへ近づいてくると共に、俺の心臓がバクバクとうるさい。

 どうしよう?

 もう、彼をあんな風に傷つけたくない。


「くっ……」

 

 俺は恐怖から瞼を閉じてしまう。

 すると、誰かが俺の肩をツンツンと突く。


「おっさん? こんなことろで、なにやってんの?」


 恐る恐る、瞼を開くと。

 そこには褐色の少年が立っていた。


「航太か!?」

「は? オレに決まってんじゃん? ずっと待ってたのに、戻ってこないんだもん……」


 と唇を尖がらせる。

 その愛らしい姿を見て、胸をなでおろす。


 いや、それよりも俺の元カノは?

 未来は一体どこへ行ったんだ……。

 まさか幽霊と話していたんじゃないよな。


 そんなアホなことを考えていると。

 ジーパンのポケットに入れいていた、スマホのベルが聞こえてきた。

 一件のメールが届いている。


『ひとりで東京へいきます。色々とごめんね』


 未来からだ。

 そうか……航太の声が聞こえてきたから、気を使ってくれたのか。

 

 喫茶店の反対側にあるコンビニから、一台のタクシーが出ていく。

 後部座席に誰かが座っていたが、彼女か分からない。

 本当に悪いことをしたな……。


 そう思っていたら、もう一件メールが届く。


『追伸、あのマンガみたいなことはしないでよね』


 今後の創作活動に、支障をきたしそうだ。

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