大戸島の娘 第一部 笑う島民たち

御堂 圭

第1話

大戸島の娘 第一部「笑う島民」(前編)


 西からの陽光を受けて、キラキラと輝いている太平洋の大海原。その中を一路東へと航行するアメリカの新型航空母艦「ドナルド・トランプ」のシルエットがあった。

 その空母内の一室で、ジャーナリストの中島真理亜は取り調べを受けていた。いや、正しくは「元ジャーナリスト」と言うべきかもしれない。何せ、彼女が属していた東西新聞社は、多分今はもう存在しないであろうからだ。

 窓際、小さな窓を横にし、素朴な机をはさんで向かい合う取調官と真理亜。真理亜は進行方向に座っていて、顔の左半分しか見えていなかった。

「もう何日も黙ったままだね。いい加減、何でも良いから話してくれないか」

 日系人とおぼしき取調官が流ちょうな日本語で真理亜に話しかけていたが、しかし、真理亜は黙りこくったままだった。もう何日も、こんな光景が繰り返されていた。

「……全部話したら、日本に戻してくれる?」この日、真理亜は初めて口を開いた。

「ああ、約束するよ。だから、君が知っていること、経験したことを詳しく話してくれないか」

「ほとんどテレビやネットで出ていた通りのことよ。もう知ってるでしょ」

「いや、我々が詳しく知りたいのは、彼女と彼がどんな人物だったかだ」

「そうね……、二人ともいたって普通の人よ。それに……、とても良い人だったわ。おだやかで平和な日々がそこにはあったのよ」

 この二年間に大戸島および東京でおきた出来事について、彼女の口から語られ始めた。


 大戸島は、小笠原諸島の中でも東のはずれに位置している風光明媚な小さなサンゴ礁の島である。南国特有の様々な花々が咲き乱れ、南国特有のカラフルな鳥たちが集う美しい島だ。島の中心には、大きな瓢箪の形をしたカルデラ湖があるが、火山があるというわけではない。湖は大きな円が二つ重なっているような形をしており、その形状から「瓢箪湖」と名付けられていた。そして、そのカルデラ湖の湖畔には、創建年代も分からないような古い神社が二つ鎮座している。厳密に言うならば、その神社のそばにはもう一つの小さな円形のくぼみがあり、そこにも湖の水が流れこんでいるため、全体として、湖は瓢箪の横っちょに小さな丸がくっついているような形状になっていた。

 この島では、美しい自然やサンゴ礁の海を目玉として、特に観光に力を入れてる。しかしながら、美しいだけのこの南の島には、三階建ての町役場以上の大きな建造物は存在せず、大きな商店街、ましてやショッピングモールというものも存在しない。島の多くの人々は漁民であり、皆そこそこの船を所有し、近海に漁に出かけては、それを生業としていた。狭い島のあちこちにある平地にはいくばくかの田畑もあるにはあるが、それは、何軒かの家庭が漁業の合間に、ほんのついでにやっているような農地でしかなく、島の産業を支えているというほどのものではない。家のつくりはというと、南に島にありがちな、台風に備えた石造りの平たい頑丈そうな建造物が多くみられる。ただし、たいていの田舎がそうであるように、敷地は広く、たいていは母屋の隣に納屋があった。そして、そこには農具とか園芸用の道具とかが放り込まれていた。

 町の人々の性格はとても穏やかで、いつもニコニコと笑顔を絶やすことが無かった。いや、この島に関して言えば、怒っている人の光景を目にしたことさえなかった。憤怒とか激怒とか、はたまた恫喝というような言葉が必要のない(もしくは存在しない)島だと言えた。


 三島笑子(えみこ)は、その大戸島町役場内にある観光課で働いている島の娘である。性格はめっぽう明るく、素直で笑顔を絶やさない。死んだ母親が、いつも笑っている子でいられるように「笑子」と名付けたのだという。彼女は自分の生まれ育った美しい大戸島をとても愛している。幼少の頃、早くに病で母を亡くした彼女は、今は祖母の須磨子とともに暮らしており、その祖母の三島須磨子は、大戸島での長老という立場の人物でもあり、島の皆からは「おばばさま」と呼ばれている。

 大戸島の町役場は、島にある町の通り(これが目抜き通りなのだが)にある。ここは小高い丘の上にあり、裏側が海に面していて、裏手の窓を開ければ、そこからは太平洋の眺望が広がっている。

「おはようございます。」笑子が、今日も明るい笑顔で出勤してきた。

 ここ観光課は、比較的若い事務員五名で構成されている。観光課は、今日は会議の日だ。事務室の隣にある小さな会議室で、毎週水曜日の午後から今後の方針について会議をすることになっている。観光課での最近の課題は、いかにして大戸島を観光地としてアピールするかだ。サンゴ礁の海が存在しているのに、あまり東京の人間には知られていないようなのだ。

「ねえ、『ウミガメといっしょに泳いでみませんか。』とか、『ダイビングスポットもあります』みたいなのはどうかな」笑子が提案する。

「そのまえに、うちの島は観光船を受け入れる港のインフラがないからなあ」

「これだけ美しい自然が残っている島なのに、たいしたPRもせずに、本土から来る客を相手しているだけじゃ、観光客何て増えるはずないじゃない。もっと打って出ないと」

「結局は、いつも堂々巡りの議論だもんな。まあ、だからこそ皆に知られずに自然が守られているのかもしれないけど」

「やはり、ここは一度東京に行って、大手の旅行代理店とちゃんと企画を練らないとダメなんじゃないか」

「そうねえ。だけど私たちあまり島から出るなって言われて育てられてるし、それに、笑子のおばあちゃんが、そういうのってちょっとね……。ね、笑子」

「おばあちゃんは、みんなが思っているほど怖い人じゃないわ。やさしい人よ。ね、修二」

 笑子がそう促した男は、同じ観光課に勤めている職員の蛭子エビス修二だ。笑子とは幼なじみの同い年だ。笑子の促したことに対して、修二はニコニコとして、何か口の奥の方でもごもごと言うような感じだった。誠実な性格であるが、なかなか本音をストレートには言えないタイプだ。

「もう、修二ったら! いつも黙ってばかりで、自分の意見を言わないんだから」

 幼馴染の修二に対して、笑子はいつもずけずけとものを言うのであるが、生来が大人しくて自分自身を出したがらない修二の方は、常に笑子に押されている。でも、修二とっては、この関係性こそが好ましいと思っていたのだ。彼は、内心、笑子のことがずっと前から好きだった。初恋? いや、物心ついたときからずっと彼女のことが好きだったのかもしれない。彼女はいつも彼の目の前にいて、引っ込み思案の彼に対してつっこみを入れてくれる。頼もしくて暖かい存在なのだ。もちろん、彼の性格上、彼女のことを好きだなんてことは、なかなか笑子に言い出せない。彼にとっては、ずっとこの状態が続いてくれればよいと思っているのだ。今は、彼女と同じ職場でいっしょに仕事をするだけで楽しいのである。そんな彼は、父親の方を事故で失っていた。彼の首には、常に父の形見のペンダントが光っていた。

「修二が笑子に話せないのは、笑子が苦手ってわけじゃないからなんじゃないの」

ある男性職員が修二を冷やかした。

 皆も修二の気持ちは察しがついているようで、にやにや笑っている。

「え? 何それ」

 笑子だけは、そのことに気付いていないようだった。彼女は、無垢であり天使爛漫なのだが、人生の起伏の経験値の無さから、人の心とか機微を読むことはできないのだ。彼女は、ずっと今まで性善説で生きてきたのだ。

「そうだ! いっそのこと赤社と青社を観光スポットにするってのはどうだ」ある男性職員が言った。「『古代のロマンあふれるカルデラ湖と神社』みたいな」

「それこそ絶対だめよー!」今度は笑子が間髪入れずに反論した。

「あそこだけは、絶対に外部の人間を入れるなって、昔から固く言われてるじゃない」


 そのとき、事務所内に電話が鳴った。しかし、もともと職員数が少ないうえに、午後は会議が入っていたため、観光課のメンバーしか事務所にはいなかった。

「電話ですよー」笑子が隣にある事務所に向かって声をかけてみる。

 しかし、電話が鳴り続けているだけで、職員が出る気配がない。

「あ、そうか。今日は会議で誰もいないのか。はいはい。ちょっと待ってくださいね」

「もしもし。大戸島町役場の三島でございます」事務所に入っていって笑子が電話に出た。

「お世話になっております。こちらは、東京にあります経済産業省、資源エネルギー庁、電力・ガス事業部、放射性対策課でございます。村長がおられましたら、おつなぎいただくことは可能でしょうか?」

「え! 東京から……ですか?」

「今、皆さん会議中ですので、こちらから折り返しお電話いたします。もう一度お名前をいただけますか?」

「どっからなの? 笑子」同僚の女性が笑子に問う。

「東京からだって。経済産業省のどうとかこうとか……、長いお役所の名前のところ。村長に話があるみたい。なんだろね」

「そう言えばさあ。うちの旦那が言ってたんだけど、近頃うちの島の近海で正負の調査船らしい船をここ何日も見かけたらしいよ」

「えー! なんだろ」


 その日の夕方、笑子は島の漁協で今晩の魚と惣菜を勝って帰宅した。

 漁協はちょっとしたスーパーマーケットのような機能を持っており、海鮮物以外の野菜とか果物、米、さらには本土からまとめ買いしたお菓子類や雑貨なども売っていたのだ。笑子は美しいピンクとオレンジ色の夕陽を背にし、前のかごには幸せをいっぱい詰め込んで帰宅した。

 笑子と須磨子の住んでいる家は、島の北側に位置する海岸に近い場所に位置している。比較的大きな家で、母屋の隣には大きな白い土倉造りの納屋がある。おそらくここは、昔は大きな蔵だったのだろうと思われる。

「ただいま、おばあちゃん」

 笑子は自転車を玄関の横に自転車を止め、大きなアルミサッシ製の玄関を横にスライドさせて家に入った。

「おかえり」

 居間の縁側に近い場所には、籐椅子に座り針仕事をしながら笑子の帰りを待つ祖母の須磨子の姿があった。

「今日はぶりの良いのがあったよ。すぐご飯作るからね」

 買い出しと夕飯の支度は、たいていの場合は笑子だ。

 笑子は、夕餉の席で祖母の須磨子に今日の電話のことを話した。

「ねえ、おばあちゃん。最近島のそばで政府の調査船みたいな船を見た人がいるらしいけど、何か聞いてる? 今日は村長宛に東京の環境庁のエネルギー何とかってところから電話があったし……」

「いいや、私は何も聞いちゃいないよ。ただ、この島は誰にも荒らさせはせんし、お前たち島のもんは、これまで通り外へ出ちゃならねー。ここの美しい自然に囲まれて、一生にこにこと笑って暮らしとれば良いだけだよ」そう、須磨子が答えた。

「もちろんよー。私だってこの島が好きだからこそ観光課で頑張ってるんだからね」

「ただ、あんまり大っぴらに東京とかに宣伝して本土のもんが大勢この島に来られるもの考えもんだからな。そこは考えとかにゃならねえぞ」

「分かってるわよー。あばあちゃんが心配するようなことはしないからね」

「夜分の遅くすみませーん。おばばさま。いらっしゃるかな?」

 その日の夜、八時をまわった頃だったろうか、突然村長が三島家を訪れてきた。

「村長が今時分に何事だろ?」

 須磨子は玄関に出て行って応対した。

 それから小一時間ほど、村長と須磨子は何やら話し込んでいたようだった。笑子には、話の内容は分からなかったが、何やら村長に島の運営をするにあたって困ったことが起きてしまったような雰囲気を感じた。そして、今日のあの電話と何かしら関連があるのではないかと考えていた。

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