6

 相手は首を押さえながらよろけ、その背後に睡蓮が素早く回り込む。首の裏に拳を入れる姿は相変わらず鮮やかだ。

 柘榴のことを置いておけば、俺はこの人に憧れて始末屋に興味を持ったのだろうなと、こんな場面で改めて感じた。

『オッケー、二人とも離れて』

 馬酔木の指示が飛び、反射で従った。睡蓮も同じように相手から離れるが、急所を二箇所攻撃されたにも拘らず、相手はその場に膝をついたのみで意識があった。怒りを露わにした表情が睡蓮ではなく俺へと向けられて、咄嗟に構え直すがその必要はすぐに無くなった。

 耳元で強い発砲音が響いた。立ち上がろうとした相手の側頭部を、鋭い弾丸が真っ直ぐに突き抜けた。白目になり、血を垂らしながら俯せに倒れる姿を、俺と睡蓮は見届けた。

『クリア! 撃ちやすくて助かったよ、ありがとー』

「一人で狙撃できねえのかよ、ノーコン」

『無理無理! そいつ長距離狙撃ずっと警戒してて大体船の中にいたし』

 あっそ、と言いながら睡蓮は倒れ伏した相手に近付いていく。遅れて背を追った。念の為とどめを刺すのだろうと心臓部に切先を向けるが、グローブの嵌まった腕に止められた。

「竜胆くんは、もうやんなくていいよ」

 睡蓮はそう言ってから、相手の首を思い切り踏み付けた。ごきんと鈍い音が響いて、相手は一度だけ大きく痙攣したが、その後は指先を不規則に振るわせるだけになった。

 おつかれー、と馬酔木が言う。どこから撃ったのだろうと首を回すと、灯台、と睡蓮に教えられた。

 ブルーシートの更に向こうに見えていた灯台を思い出し、そっちへ視線を向ける。俺の目線に気付いた様子で小さなライトが二回点滅した。本当にあそこにいるようだった。

「でもあれ……バレた時に、逃げ場がない位置じゃない……?」

 となんとなく呟く。馬酔木は笑い、睡蓮は俺の背中をいつものように叩いた。

「あいつ単体なら別のとこから撃ってる。今日は竜胆くんと俺っていう足止めがいるからあそこにいるんだよ」

『そーそー。んでもって、まともな狙撃ポイントがなくてねこの辺は。だから余計に難航してたってわけよ、本当にお疲れ様、竜胆くん』

「あ、はい、お疲れ様です」

『刀もいい腕だし門外漢の狙撃位置にも言及できるの、超よくない? このまま始末屋続けなよー』

 え、と思わず漏らすが、

「ダメダメ、竜胆くんは別の仕事が待ってんだから」

 睡蓮が即座に断り、馬酔木は不満そうな声を上げた。

 流れに乗り遅れつつ、なんて割り込めばいいかもわからず、軽口を叩き合う二人の会話を聞いた。その間に迎えの車と、清掃屋が数人やってきて、痙攣もしなくなった用心棒の死体をさっさと黒い袋の中へ押し込んだ。

『清掃屋さんも来たし、状況終了! 通信もこれで終わりね、二人とも西支部の失態の尻拭い本当にありがとう』

 馬酔木はそう言い残して通信を切った。外したイヤホンは睡蓮が受け取り、話が通っているらしい清掃屋の一人に手渡した。

 車に乗り込み、昨日とは違うホテルへと送られながら、黙っている睡蓮を見た。

 ホテルで寝て、起きて、始末屋を辞めるって話を仲介屋に通して、俳優に戻る。そうするべきだし、そうしたいと俺は思っているけど、このまま止まることのない車に乗り続けていても構わないと感じる理由が一つだけ存在する。

 始末屋を辞めて、この界隈に近付かなくなったあと、俺は睡蓮に二度と会えないだろう。

 それだけは、嫌だと感じていた。でも仕方がないんだとわかってもいた。

 だから結局何も言えずにいると、窓の外を眺めていた睡蓮の口がゆっくり開いた。

「あなたに訪れない涅槃て、公開予定とか目処立ってんの?」

 意図のわからない質問だった。そして目処は立っていないが、俺の分の撮影はかなり終わっていて、戻ってからは最後の戦闘シーンをメインで撮ることになる。

 この通りに伝えると、睡蓮はこっちを向いた。

「もう撮れるだろ。俺とさっきの用心棒、両方ステゴロ野郎なんだし、資料は充分じゃねえのか」

「ああ……うん、できると思う。……柘榴ももう、協力的だよ。途中はほぼ呑まれてたんだけど」

「言い分はよくわかんねえけど、まー、涅槃にしろその後の何かしろ、頑張れよ」

 頷いてから、睡蓮の目を真っ直ぐに見た。初めて会った時から変わらない平坦な雰囲気が、ほんの少し揺らいだ気がした。睡蓮は息をつき、背もたれに深く体を沈めて、前に回している長い髪を手持ち無沙汰そうに指先で弾いて、

「後輩がいたんだよ」

 急に話し出した。

「結構可愛がってたやつで、お前みたいに色んな仕事連れて行ったり、基本が後方援護のやつだったから、馬酔木に声かけて射撃練習させてやったり。……そいつがおかしくなってきたのは、始末屋の人数が減ってきて、そいつも一人で仕事に行かなきゃいけねえようになったぐらいからで……殺したやつの死に顔が忘れられねえし夢に出てくるしって言い始めて、俺と一緒じゃないと仕事に行けなくなった」

「……今、その人は?」

「自分で頭撃ち抜いて涅槃だよ。……死ぬほど安らかな死に顔だった、ちょっと笑ってすらいたな」

 睡蓮は窓の外をふっと見た。車はもう止まっていたけど、運転手は何も言ってこない。

 それを確認してから、睡蓮はふたたびこちらへと顔を向けた。

「竜胆くんはそいつよりメンタルも強ければ、飲み込みの良さとか頭の回転の速さとか……正直、才能みてえなもんが確かにあるよ。馬酔木が引き止める気持ちはすげーわかるし、このまま東の支部にいてくれれば、俺らはかなり助かると思う」

 真剣な声で、嬉しい評価を受けた。

 他でもない彼が必要としてくれるならと、後少しで伝えるところだった。

「でも、俳優やってるお前の方が見たいんだよな、俺がさ」

 そう苦笑気味に続いたから、開きかけた口は閉じた。

 しっかり頷くだけにした。睡蓮も首を縦に揺らし、じっと待っていた運転手に礼を投げかけてから、二人で車の外に出た。もう深夜だったし、睡蓮は眠いと言って欠伸を落とした。

 怪我もしているのに、危ないところを助けてもらった。無理をさせた後悔が過ぎり、早く休んでもらおうと手早く受付を済ませてからは、すぐに別々の部屋へと引っ込んだ。

 それで最後だった。翌朝はもう、落ち合えなかった。

 睡蓮はさっさとチェックアウトを済ませていて、俺のところには一通だけメッセージが届いていた。


『辞職の話や廃港での仕事の後処理は自分と馬酔木でやっておく。これを送った後にこの連絡先は削除して作り直すから返事はいい。メッセージも念の為消しておけよ。じゃあな。  南十川睡蓮』


 読み終わってから、削除ボタンに指を置いた。それ以上動かなかった。チェックアウトの迫る部屋の中で俺は時間でも止まったようにしばらく突っ立っていた。

 やっと押せた画面は濡れて滑った。

 演技以外で泣くことがあるなんて俺は思ってもいなくて、削除しましたという無機質な文章を見下ろしたまま、結局チェックアウトの時間になってもそこに立ち尽くしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る