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 車窓の向こう側を眺めながら、俳優としてスカウトされた日を思い出した。俺には特にやりたい仕事や、子供の頃からの夢なんてものはなくて、ただ、求められるように生きればいいと思っていた。

 それに、俳優は向いていると感じた。取り繕うのは得意だったし、役そのものに成り切ることが苦痛ではなかったし、実際に仕事は順調で問題は感じていなかった。

 他の誰かになる仕事より、他の誰かを殺す仕事の方が向いているとは思わなかったけど、俺の中に溶け込んだ詐欺師がいうには違うらしかった。

(竜胆は、物への価値観が単一なんだよ)

 そう話す。

(もっというと、こだわりがあんまりないんだ。だから俳優や殺人に向いてるっていうよりは、言われたことを無感情にこなすことに、向いてる)

 ずいぶん噛み砕いてくれたので、飲み込めた。特に、こだわりがない、に頷けた。

 詐欺師は満足したのか黙り、俺はふっと睡蓮に視線を移した。

「睡蓮さん」

「ん?」

「俺の映画、よくわかんなかったって言ってたでしょ」

「小説家のやつか。全然わかんなかったな、純文学? みてえな雰囲気で」

「もっと観やすいのにも出てるよ。俺が詐欺師役のがいいと思う。原作が人気の漫画で、ミステリロジックのエンタメだから」

「あー、面白いには面白いけど、続編に続く雰囲気で終わったし、詐欺師が竜胆くんのまま続投じゃねえと一気にカスになるだろ」

 思わず止まった。平坦な顔をしている睡蓮を凝視していると、

「多分大体観たぜ。睡蓮くんが前半三十分で退場するボクサー役のやつと、延々逃げてる逃亡犯のやつと、ヒロインをずっと追ってて最後は逮捕されるストーカーのやつと」

 指折り言い始めたのでそこで止めた。

「な、なんでそんなに、観てるの」

「まあ最初は……俺のこと殺しにかかるだろうから、なにかしら弱点でもつけねえかなっていう情報集め程度の視聴だったんだけど、なんつうか……最終的に竜胆くんが凄い役者って納得しただけだったな」

「俺は、……いや、ありがとう」

 素直に感謝すると、睡蓮は口元に笑みを浮かべた。

「素の状態の竜胆くんとこうやって話してると、余計にすげえなって思う」

 軽くて平坦な口調でそう付け足された。今度は返事を思い付かずに口を閉じる。見計らっていたように、ゆっくりと車が停車した。真っ暗な景色の中に廃港の姿がぼんやり浮かんでいる。

『竜胆くん、ファンとの対談は終わりね!』

 耳元で話され、馬酔木と通信が繋がったままだと思い出した。睡蓮がちっと舌打ちを落とす。

「ファンじゃねえよ」

『ファンでも友達でもなんでもいいけど仕事仕事! 車降りて、真っ直ぐ廃船の方に向かって。相手は絶対正面から来るから、正面から相手して』

「はい。他に指示は?」

『んーと、拳銃は弾切れにさせたから射撃の心配はないとして……竜胆くんはカウンタータイプか不意打ちタイプかな? それなら、相手は一撃キルのパワータイプ、目の前にいる美形ゴリラみたいな感じだから、対睡蓮で想定して闘うといいかな』

「誰が美形ゴリラだオラ」

 と返事をする顔は若干不機嫌だ。でも無表情に近い不機嫌顔で、そういうのわかるくらいは睡蓮のことを見てきたんだなと実感する。

 なら、いけるかもしれない。

「わかりました、行ってきます」

 睡蓮に目配せをしてから車を降りた。闇が満ちた廃港に人の気配はほとんどない。遠くにブルーシートが見える。髪を揺らす程度の潮風が常に吹いていて、据えた磯の匂いが鼻を突く。

『竜胆くん、向かいながら聞いて』

 見えないだろうが頷いた。廃船の上に、棒立ちになった人影が見える。

『殺そうとするより、動きを止めようとする方に注力して。相手は多分、君より強いし殺し慣れてるから、無理しなくても大丈夫。動きさえ止めてくれれば、私や睡蓮がとどめ刺しに行けるから』

 人影が動く。刀に手をかけながら、わかりました、と一言だけ返事をする。その直後に人影は飛んだ。テトラポットを蹴って近付いてきて、距離は一瞬で詰められた。振りかぶった足を見ながら重心を低くする。

 対睡蓮、と脳裏に浮かべてギリギリまで待った。

 居合で抜いた刀は、足の側面で受け止められた。

「っ、刀か」

 低い声だった。足にはサポーターかなにか巻かれているらしく、手応えが異様に硬かった。刃を持っていかれては堪らない。素早く身を引いて距離を保つと、上段の回し蹴りが飛んできた。身を屈めて躱すが蹴りは途中で踵落としに変わった。予想はしていたため鞘を盾代わりにどうにか防ぐ。

 骨が軋んだ。重い蹴りは、確かに睡蓮と同じくらいの威力があった。足は刀と同じくらいのリーチがある。鞘と刀の両方で弾き返し、中段の位置で横凪ぎを入れるがバックステップで避けられる。

 お互いを視界の真ん中に入れたまま、距離を空けて静止した。相手も出方に迷っているようだった。蹴り技中心だったが、今度は両拳を握り締めて体勢を整えた。見たことの、いや……。

 演ったことのあるスタイルだ。

 風が強く吹く。ブルーシートがばたばたと揺れる音が聞こえて、その更に奥に灯台のような縦長の建物が見える。視界の中で相手がふっと足を折り曲げ、一気に踏み込んで来る。

 ボクシング作法に則った右ストレートはギリギリで躱せた。相手と間近で目が合って、その時にはもう両手で握った刀を力一杯振り抜いていた。

 下腹部を服ごと斬った、つもりだった。

 相手はにやっと笑い、俺は即座に身を引いたが、刀を直接鷲掴みにされて動きが止まった。

「防御くらい、してる」

 相手が低く笑いながらいう。切り裂かれた服の隙間からは分厚いコルセットが見えていて、中にはおそらく鉄板でも入っている。

 刀を投げ出して逃げるかどうか一瞬迷ってしまった。その間に膝蹴りを繰り出されてまともに食らった。腹部が熱くなり、目の前が白くなるほどの痛みに体が勝手に折れ曲がる。

「ゔっ……え、」

 嘔吐はどうにか堪えたが、ふらついた視界の中には容赦のない上段蹴りが見えた。

 頭をまともに蹴り飛ばされた。重い蹴りに意識が途切れかけた。数歩よろめいた後に、なんとか握ったままの刀で防御の形をとったけど、多分防げないと自分でわかった。証明するような勢いの回し蹴りが飛んで来る。

 でも、予想した衝撃は来なかった。限界でも避けるためにと見開いていた目の中に、夜に紛れるような黒い長髪が見えた。

「後輩いじめんなよ、肉弾戦ゴリラ野郎」

 睡蓮は同じような蹴りで回し蹴りを防いでいた。相手は不意をつかれた顔で飛び退いたが、睡蓮はすぐに追い掛け無傷の腕でガードの上から相手を思い切り殴り飛ばした。

 相手は呻きながらよろけ、どっちもゴリラじゃんと耳元で馬酔木が揶揄して、俺は気力で刀を握り締めた。

 足が駄目、下腹部も駄目と考える前に体が動いた。俺の中で柘榴が言う。見えてるところを斬ればいい。

 その助言通りに振った刀は相手の首筋を数センチ切り裂いた。

 噴き出した血は然程多くはなかったが、動きを止めるには充分だった。

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