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ホテルの部屋は別々だったけど、チェックインの後に睡蓮が俺の部屋まで来てくれた。
手に何かのコピーを数枚持っていた。部屋に入るなり無言で渡され、少し確認したところでちょっと驚いた。
伊吹が死んだ時の詳細が書かれている。情報屋からもらった資料だと睡蓮が説明を加えた。
「こっちはこっちで、竜胆くんが俳優の麻生田竜胆だってわかってから、諸々調べさせてはもらったんだよ」
「そう……なんだ」
睡蓮は部屋に備え付けの椅子に腰を下ろし、紙を読め、と言いたげに片手をひらりと振った。
遠慮なく読ませてもらうことにした。柘榴のモデルである始末屋の伊吹。小説家名は葦沢栄で、全員が同一人物だと言えるだろう。こなした最後の仕事の四ヶ月後に、西部の港で遺体が発見された。死体は船着場近くの海に浮かんでいて、目立った外傷はなかったから、事故か自殺として警察は発表した。
でも不可解な点がいくつかある。そもそも葦沢の住居から西の港は離れ過ぎているし、自殺スポットというわけでもない。それに、身を投げての自殺であれば住居近くにはいくらでも飛び降りやすい線路やビルがあった。事故にしても、葦沢に釣りやサーフボードのような海に関連する趣味はないから、海で死んでいる蓋然性自体が低い。
ここまでは俺も記事を調べて当時のブログなどを読んだため知っている。更には葦沢が伊吹という名の始末屋として仕事をしていたこともわかっているから、何らかの理由……涅槃を出版して始末屋界隈の逆鱗に触れたとか、さっき俺が睡蓮と馬酔木に聞いたように足抜けを理由に消されたとか、裏社会の掟じみた理由だと考えていた。
だが、違うらしかった。
「柘榴……っつうか伊吹か。始末屋を続けるんなら、小説はもう書けねえって思ってたらしいな」
顔を上げた俺に、睡蓮が詳しく話し始める。
「んで、始末屋の方を続けようと思ったらしいが、その相談をするために会ったこっち側の人間……伊吹を護衛で雇いたいって依頼を出した組合の人間に殺されたんだと」
「騙された、って話になるのか?」
「いや、交渉が決裂して銃殺された。その後、話し合いの場所近くの海に捨てられたらしい。でも裏社会絡みの事件だからな、銃殺の痕跡は隠されて、事故か自殺ってことで警察が発表した」
「……その、伊吹を殺した組合は?」
答えを予想しつつ聞けば、睡蓮はにやっと笑みを浮かべた。
「もちろん潰した。こいつらの一掃作戦自体は、俺も参加したんだよな。始末屋になったばっかっつうか……特に名前のないフリーのゴロツキみたいな生活してた時に、たまたまツテで持ち掛けられた仕事だった。それからこの仕事を正式にやる立場になったんだけど、まー、腕のいい始末屋が一人死んじまった後だったから、俺があっさり後釜に収まったって感じだろうな」
納得の出来すぎる答えだった。つい苦笑いを漏らしてしまって、肩を軽く小突かれた。
「ま、そんなわけだ。竜胆くんは始末屋辞めたら殺されるってビビってたみてえだけどそういうわけでもないからさ、そこは安心していいぜ」
「うん、……ちょっと拍子抜けではあるし、俺って自分で思ってたより臆病でネガティブなんだなってがっかりしたな……」
「あーそれは……竜胆くんがってより、柘榴が、ってことじゃないか?」
奇妙な言い分だった。眉を寄せる俺の目の前に、睡蓮は懐から取り出した文庫本を差し出した。あなたに訪れない涅槃というタイトルが、表紙写真の上に並んでいる。
「この涅槃さあ、始末屋のこと異様に詳しく書いてあるから、界隈でそこそこ人気らしいんだよ」
「あ、そうなんだ?」
「うん。俺もとりあえず読んでみたけど、この主人公の柘榴になるために、竜胆くんは色々やってきたんだろ? それならまあ、根暗になるんじゃないか? こいつの思考回路とか変に真面目なところとか、めちゃくちゃ諦め早くてマイナス方面にいってるし。竜胆くんはどっちかっていうとポジティブだし肝が据わってんだろ。思いっきり首折って人殺してる俺に普通に話し掛けてくるやつ、同業者以外じゃそうそういねえよ」
思わず睡蓮を凝視してしまった。俺の視線に気づいた彼は、なんだよ、と怪訝そうに聞いてくる。
自分の腰にある刀にそっと触れた。これの以前の持ち主は伊吹、いや、葦沢栄で、今はすっかり柘榴に……麻生田竜胆に、馴染んでいる。
俺は役柄が起きるといつも眠っていた。逆も然りだ。その変わらないと思っていたサイクルは、俺が俺を見失ってなくなって、じゃあ今の俺はどうなってるんだと、今この段階で改めて腑に落ち始めている。
「睡蓮さんから見た俺って、ポジティブなんだ?」
聞き返してみると、睡蓮は迷う様子もなく頷いた。その後にパラパラと文庫本を開いて、最後の章の辺りを見下ろしながら、ふと笑みを浮かべた。
「これさ、最後に殺される友達? みたいなやつ、すっげえ遠回しに一緒に死ねって言ってるよな?」
「……ああ、そういえば……俺そこが、柘榴は別にそれでも良かったんじゃないかなと思うところなんだけど、実際にやられてみないと確信持てないなって思ってる」
「おいお前、だから俺に斬り掛かってきたのかよ?」
「うん、それは本当にごめん。お金ならいくらでも出すから絶対に全快してもらう」
「綺麗にくっついたらしいから多分大丈夫だろ」
睡蓮は本を閉じ、
「俺は一緒に死ねって言わねえしさ、生きて帰って俳優に戻れよ」
そう付け加えて、欠伸を一つ落とした。
自分の部屋に戻って行った睡蓮を見送ってから、俺は部屋の鏡の前に立った。柘榴の見た目に寄せた髪型や表情が映るけど、そこにいるのはちゃんと麻生田竜胆で、俺はゆっくり両方の手を上げた。
一度だけ、強く打ち鳴らした。乾いた音が部屋の中に大きく響いて、俺は、眠らないまま、柘榴という役柄を呼び付けた。
おはよう俺。話し掛けると柘榴は口元だけで薄く笑った。
俺は今度こそ柘榴をまともに動かせる。
それはやっぱり、どの役柄でもなく、なんなら俳優でも始末屋でもない俺を殴り付けて絞め落として引っ張り出してくれた、睡蓮のおかげなのだろう。
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