竜胆と睡蓮
1
絞め落とされながら、睡蓮さんはやっぱり強いな、なんて当たり前のことを思った。このまま殺されるんだろうなって続けて考えて、本当に死んだつもりだったけど俺の目は再び開いた。
白い天井が太陽の明かりを跳ね返している。ぼんやりしながらも病院だとは気付いて、起こそうとした身体は伸びてきた掌に止められた。
「よう、起きたか」
睡蓮がいた。フラットな口調で、世間話でもするような顔で、俺を見下ろしていた。
「睡蓮さん……今、何時……」
自分の声はけっこう掠れていた。喉が妙に乾いているし少し痛い。頭は心なしか重い。
俺の困惑する様子を見てか、睡蓮は口角を片方上げて笑った。
「まだ半日ちょっとしか経ってねえよ、あれから」
「……じゃあ、朝……?」
「おー、もうすぐ昼だろうけど」
「睡蓮さん」
「ん」
「腕、くっついた?」
自虐半分、後悔半分の問いだった。睡蓮は鼻で笑ってから、三角巾に吊られた左腕を軽く上げてみせてきた。
「一応縫合手術は終わった」
「……あの、」
「切断面が異様に綺麗で縫いやすかったってよ」
返す言葉に困った。俺の様子が面白いのか、睡蓮は笑ったままだ。半日前には斬ったり殴ったり殺伐としていたことが嘘みたいに思えて来る。
俺の方は、どうしても睡蓮に拳を向けられたい理由があったわけだけど……。
「あ、そうだ撮影」
本末転倒だ。撮影のためにしたことで撮影に遅れては意味がない。
慌ててスマホを探し始めると、
「休ませるって連絡した」
睡蓮があっさり言った。ベッドの足元に、俺の黒いスマホがぽんと置かれる。
「休ませる、って……通ったの?」
「通ったっつうか通させた。こっちの業界の話はできねえから、まー、お前の身内がたいへんってことにした」
俺に身内はほぼ存在しないし、それはマネージャーも知っている。俺の無言の圧に睡蓮は目を細め、情報屋経由で諸々、と言い添えた。
「……通ったんなら、別にいいよ。絞め落とされて寝込んでたなんて、言えないわけだしね……」
「あー、言っとくけど寝込ませねえよ。こっちの都合でお前の身体が要るんだわ」
「……、それは、俺を始末する……って話?」
覚悟を決めて聞いたつもりだった。でも睡蓮はきょとんとした顔を向けて来て、俺達は数秒無言で見つめ合うことになった。
やがて睡蓮が、吊られた腕をアピールしながらにやっと笑った。
「竜胆くん。何勘違いしてんだか知らないけどさ、お前のせいで仕事に穴が空くんだからお前が代わりに埋めんだよって話を俺はしてるつもりだよ」
「睡蓮さんの仕事を、俺が代わりに?」
「そう。西の方に行かなきゃなんねえし、撮影は五日くらい不参加ってことでもう決まったから、こっちの穴開けた分をどうにかしてくれ」
「……、睡蓮さん、俺は」
俺はもう竜胆だった。絞め落とされる前に、他の誰でもない睡蓮が、麻生田竜胆のことを話した。だから今の俺が、柘榴のように刀を振れるかどうかわからない。いなくなってしまった役柄達を思うと、既に俳優ですらないかもしれない。
このすべてを上手く説明できる気がしなかった。結局何も言えずに黙っていると、睡蓮は溜め息混じりに俺を見た。
「あのさ、竜胆くん」
「うん……」
「どうしても他の奴に振れない仕事だからお前に頼んでるんだけど、これが終わったらさ、もう二度と始末の依頼なんて請けるなよ」
思わず顔を上げる。睡蓮は苦笑しつつ立ち上がり、じゃあ行くか、と軽く言う。
スマホを掴み、ベッドを降りた。服はワイシャツにスラックスのままで、病室の出入り口にジャケットとコートは吊るされていた。
袖を通したところで、手を差し出された。睡蓮の手に握られている刀を、一瞬は躊躇ったけど、受け取った。
思いのほか馴染んだまま、刀は俺の手の中に収まった。
睡蓮に案内されて、西の町を目指した。運転手つきの車が迎えに来て、車内で必要書類を渡されて、口頭で段取りを説明された。西は最近荒れていて、特に廃港付近が酷い有様だ。乗り捨てられた船や錆びた工場に浮浪者が住み着くだけならまだしも、徒党を組んで抵抗するから、始末屋側にも被害が出ている。一掃する案が出て、それの実行が明日から。裏で警察組織とも連携する規模の動きになる。
「俺……というか、俺と竜胆くんは、浮浪者側のボス枠の野郎を始末するのが仕事」
「用心棒みたいなのがいる……って理解でいい?」
「そう。……まあ情けない話、かなり手練れらしくてなあ、数人返り討ちに遭って死んだんだと」
「そうなんだ……」
「俺も、話持ち掛けられたの今朝だしさ」
睡蓮は溜め息をつき、縫合したばかりの腕へと視線を落とす。
「良い悪い関係なく、タイミングってのは重なるな」
反射で謝罪が出かけたが飲み込んだ。なんとか斬るよ。そう自分に言い聞かせるつもりもあって口にすると、睡蓮は肩を竦めて窓の外へ視線を投げた。
「……そういやあ、涅槃の作者……伊吹っていう始末屋は、西の港で死んだらしいな……」
睡蓮の独り言じみた呟きには頷きだけを返した。
西はどんどん近付いていた。
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