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 竜胆はあからさまに驚いて目を見開いた。受けると思わなかったのだろう、ほんの僅かだが間合いの中に隙が生まれた。

 今度はこっちが踏み込んだ。片腕は手首の下が半分切断されたが構っている暇はない。咄嗟の動きで振られた刀は鉄板入りのグローブでギリギリ跳ね返した。足を止めずに懐へと素早く潜り込み、見上げると竜胆は何故か呆けた顔をしていた。不可解だが好都合だった。首を振り、鼻から顎に向けてのラインに思い切り頭突きを食らわせた。まともに食らった竜胆は当然よろける。それを見越して俺は既に背後へと回り込んでいた。

 頭を片腕で抱えて締め上げる。牽制程度に側頭部などとぬるいことはせず、気道の真上、首が確実に絞まる角度で抱え込むが、血で滑って力は入り切っていない。でも竜胆は刀を取り落とした。よほど頭突きが効いたのか、地面に膝までつき始める。俺の手を外させようともがくが流れる血のせいで力が込められないみたいだった。このまま絞め続ければ死ぬかもと思う。竜胆もだけど、俺も多分、出血多量でお陀仏だ。なんて呑気に考えている間に千切れかかっている手がどんどん痛くなってくるし、俺の手に力が入らなくなるか竜胆を絞め落とすかどっちが早くても時間はそうない。

 だから、今のうちに話すか、と思い付く。

「竜胆、あのさあ、竜胆くん……」

 色々観た。竜胆は小説家だったり詐欺師だったり、ボクサーだったり逃亡犯だったり、その全部で役柄そのもので、じゃあ、でも、それはどうなんだろうなと俺は、喫茶店前で顔を合わせるまでの間に考えた。

 実際に顔を合わせたあとは、これは竜胆なのか柘榴なのかどっちなんだろうなって考えた。

 今この瞬間までずっと。

「俺……観たって言った、小説家役の映画さ……正直全然、意味わかんねえんだよ。根暗の小説家が一人で悩んで塞ぎ込んで……最後は勝手に吹っ切れて、心配してた周りのやつら、置いてけぼりだっただろ。何のための映画か、マジで一ミリもわかんねえ」

「……っ、……、っゔ……」

「まーでも、最後まで観ちまったし……最後観ちまったのは、やっぱ、竜胆くんが演ってたからだと、思うんだよな……だから正直全然意味わかんねえ映画だけど、俺はなんとなく、理解とか理屈ってとこ以外で、あの映画のこと嫌いじゃないっつうか……またああいうの、やりなよ、こんなことやってねえでさ……」

 腕が滑る。粘ついた血液は多少止まっているけど、もう感覚はほとんどない。痛いには痛い。俺の手を掴んでいた竜胆の腕が、力を失い地面の上にどさりと落ちる。

 俺も手を離した。竜胆はそのまま地面に横たわり、俺は自分のネクタイを引き抜き腕に巻いて、止血しながら電話をかけた。清掃屋はすぐに来る。同時に病院にも連絡がいったから、まあ、お互い生き残るには生き残るだろう。

「竜胆くん」

 気を失っている竜胆の傍に膝をつく。

「俺、南十川睡蓮みなとがわすいれん。聞こえてんなら、覚えときなよ」

 救急車のサイレンが耳に届く。そこでやっと俺も気が抜けた。地面に胡座をかいて座り込み、息を吐きながら瞼を下ろした。


 竜胆は俺を、知っている人間を斬り付けて、確かに動揺した。予想外の行動に対する驚きだけじゃなかったと、間近で見たからにはわかっている。

 孤高の始末屋として生きていく柘榴には、そんな動揺は生まれない。

 だからお前は竜胆だ。俺が気に入って連れ回した、俳優の麻生田竜胆で間違いないと俺は思うよ。





 柘榴が刀を滑り落とした。その数巡前には、相手がもう倒れ伏している。柘榴も無傷ではなかったが、些末な話だった。男の傍に膝を折り、後は死ぬばかりの身体の上へ、掌を置いた。

「僕は──」

 譫言のような柘榴の声が、静寂に満ちたこの場に響く。

「仏でも神でもない、ただ在るだけで、他が勝手に価値を付随するんだ──でも、それを貴方だけは、哀れだと言ったことがある──覚えているかな」

 ふと、押し殺した笑い声が返る。相手は柘榴の手を払い除け、自ら仰向けになった。自分を見下ろす柘榴の背後、暗い予想に落ちる無数の星屑を視界に入れて、次ははっきりとした声量で笑った。

「覚えていたら、なんなんだ?」

 力の入らない拳が柘榴の胸板を弱く叩いた。

「哀れだな、始末屋柘榴。──黙って俺に殺されてりゃあ、それで終いだったのに」


(「あなたに訪れない涅槃」文庫版317ページより抜粋)


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