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 自宅である狭いアパートに戻り、寝て起きてからスマートフォンをすぐ覗いたが、竜胆からの返事はなかった。

 仕事の依頼はいくつかある。後で見ることにして一旦すべて閉じ、どうするかな、なんて独り言をぼやきながら適当な私服に着替えた。朝飯もないし今日は休むと決めている。自営業みたいなものだから、休日は俺が勝手に選ぶ。

 かなり伸びてきた髪も雑に縛り、まだ朝の時間帯の中、明るい外に踏み出した。一応グローブは持っているが別に外で襲われたりなどはしない。でも恨みは買ったりするから、念の為の意味合いが強い。

 徒歩圏内にあるファーストフード店でハンバーガーのセットを注文した。それなりに混む店内で味わう気もなく流し込み、徒歩のまま大通りの方面へと出る。本屋の看板が離れている俺からも見えた。

 真っ直ぐに向かった。店内を探すまでもなく、目当ての本は文庫コーナーで平積みになっていた。

 映像化決定の帯が表紙をぐるりと囲んでいた。

「一回読んだんだけどな……」

 あなたに訪れない涅槃は、昨日の相方が言ったように界隈で多少流行った。始末屋に馴染みがない一般層にも売れたようだし、まあ、作者の代表作みたいなもんなんだろう。

 一冊を手に取りレジに行く。カバーも袋も要らないと告げ、鞄はないから左手に持って店を出た。

 家に帰ってからすぐに開いた。なんとなく読み覚えはあったし、始末屋についてかなり詳しく書いてあるのはもう当然のものとして、俺の目はやっぱり武器へと向いた。刀。主人公の柘榴が腰に携えている。柄は赤黒く、それが柘榴の由来なのかと捲りながら考える。

 ふとページを止めた。読み込もうとしたところで、スマートフォンが振動した。

 表示された「竜胆」の文字を見て、俺は本をその場に置いた。


 待ち合わせ場所はいつものドゥルガーだった。大通りからは離れた奥まった位置にあり、店の壁には蔦が絡んでいて看板は褪せている。古めかしさが目立つからか人がさほどいない。俺からすると、同業者ばっかりだ。店内のカウンターでスマートフォンを眺めている主婦っぽい女だって、情報をまとめ売りに来ているこっち側のやつだ。

 とはいえ一般層もいる。店内は思っていたより綺麗だと話す普通のカップルの隣を通り過ぎて、奥の席にいるコートの男の肩へと手を置いた。

 ふっと顔を上げた竜胆は、口の端を少しだけ上向けた。

「睡蓮さん。久しぶり……」

「おー、一ヶ月くらい空いたか?」

「多分ね……僕はあんまり、月日の感覚がないんだ、元々」

 ふうん、と聞き流しながら、対面の席に腰掛ける。ブラックコーヒーを飲んでいる姿を見つつ店員を呼び、自分のコーヒーも届いてから、改めて竜胆に向き直る。

「何かあったのか?」

 声に出したあとにもうちょいまともに聞けよな俺……と思ったが、竜胆は素直に頷いた。

 わりと驚いた。竜胆は初見の時は思い切り誤魔化そうとしたし、その後急に話し出した時も多分何かしら隠してんなとは思っていたけど、今は妙に……いや。

 観た映画を思い出す。竜胆だと気付けないほどうだつの上がらない小説家だった姿を浮かべてから、読んできた本を続けて引っ張り出してくる。

 柘榴は基本的に真面目で素直だ。柔らかい口調の端々はなんだか厭世的だが、殺した相手の死に様を見続けていると大体のやつはそうなっていく。俺も含めてだ。

 湯気を吐くコーヒーを一口飲み、視線をテーブルに落としている竜胆を見る。

 恐らくこいつはもう、始末屋として存在している時は、竜胆じゃなくて柘榴なんだろう。

「竜胆くん」

 敢えていつも通りに呼ぶ。

「用事やらなんやら忙しそうだったけど、休みはまともに入れた方がいいぞ。俺も前は休みなく始末しまくってたけど、まー、そういうのもよくねえんだ。竜胆くんも色々あるんだろうけどさ、倒れたら終わりだよ、全部な」

 竜胆は俺を見た。窓越しに昼の光を帯びた表情は、相談があると呼び出したくせに穏やかだった。

「睡蓮さん。……一緒に行って欲しい、仕事があって……呼んだんだ」

 竜胆はふと振り向き、片手を上げた。カウンター席にいた女が立ち上がる。迷いなくこっちまでやってきて、竜胆と俺を交互に見下ろし、机の真ん中に紙を裏返して置いた。その後にすぐ離れていった。情報屋の中枢である店主と一言二言話してから、金を支払い出て行った。

「睡蓮さん、逃げた始末屋の始末、したことある?」

 竜胆は話しながら置かれた紙をひっくり返す。

「話を貰ったんだけど、僕一人じゃ不安なんだ……ついてきてくれると、嬉しい」

 紙に書かれた内容へと視線を落とす。竜胆は俺の目の前までそれを押し、知ってる人だったらごめん、と呟くように言った。

 名前は、聞き覚えはあるかな、程度の相手だった。そこじゃないところが引っかかった。

 手を伸ばして紙を持つ。場所は出張ほどの位置ではない、日帰りは可能だ。始末屋相手なら返り討ちで死ぬかもしれないが、それはこんな仕事をしていると仕方がない。竜胆との二人がかりならまあ問題ないと思う。

 対象が逃げた時の状況が最後に書かれていた。

 相方を射殺して逃亡。対象は辞める寸前だったから、そのことで争いが起きたと思われる。

 対象はほとんど一人では仕事に行けないほど追い詰められた様子だった。

「睡蓮さん」

 竜胆か柘榴かわからない声に話し掛けられる。

「僕は、一人でも行く。……そうしなきゃ、いけないから」

 溜め息が出た。考えが何もまとまらなかった。自殺して転がっていた後輩の姿を掻き消したくて口が勝手に開いた。

「行くよ」

 竜胆はほっとしたような顔をする。演技かどうか、なんて考えは浮かばない。始末屋の柘榴をやっている限り竜胆は俺の後輩で、面倒を見ようと決めたのは自分の意思だ。

 俺は竜胆越しに見てしまった後輩の面影とか自分が死んだあとの引き継ぎだとか、そういうもんの落とし前をつけなきゃいけないんだよ。

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