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はじめは見間違いだと思った。なんせまったく俺の知る竜胆ではなくて、黒縁の眼鏡にぼさぼさの髪の毛、酷い隈に無精髭にと、本当にこいつが主人公か? などと疑うくらい体裁を整えない人間だったからだ。俺がいつも会う竜胆は違う。まともな服を着ていて、髪型は小ざっぱりしていて、整った顔立ちなのだがどこか目立たない雰囲気をしている。
でも気付いた。映画を観始めて三十分ほどした頃に、睡蓮、と呼び掛けられてどきりとした。ただの台詞だった。小説家の男は好きな植物を挙げていただけで、指折り数える中に偶々俺の名前が含まれていただけだった。
それが竜胆の声に重なって、よく聞けば確かに小説家は竜胆と声が似ていて、でも声自体はそう特徴のあるものでもないから偶然なのかどうかわからず、パソコンに向かっては何事かを呟く男のBGMも何もないシーンをじっと見つめた。
小説家は書き上げた文章をラストシーンの手前にすべて削除し、続くラストシーンでは伸び切っていた髪を部屋の中にあった包丁で無理矢理に斬り落としていた。
正直に言ってよくわからない映画だったけど、最後まで観続けてしまったのは、本当に主人公かと思いまでした小説家の男の人生みたいなものが、現実の手触りでずっとそこにあったからだ。実在する小説家のドキュメンタリーだと言われてもやっぱりそうだったのかと納得するほど、スクリーン上に人格が存在していた。
俺はもう合点がいっていた。ストーカーのように追い掛けてきたり、詐欺師のように喋り出したり、様々なものが複雑に絡み合った、妙な雰囲気が持っている理由が腑に落ちていた。
あー名字じゃなくて名前なのかと、三人ほどしかいなかった観客がすべて捌けた後に、俺は一人で呟いた。
始末屋はそう人数が多くもない。各都市に一つずつ支部がある程度で、大掛かりな案件があれば手の空いたやつが向かうことになる。
最近何人か辞めたらしい。死んだのかもしれないが、詳しくは聞かなかった。立ち入り過ぎても仕方がない。
そう、立ち入り過ぎても仕方がないんだよ。
俺は自分に言い聞かせつつも、遠くの支部に出張している間、竜胆に連絡を取り続けていた。映画のことは話さず、当たり障りなく、なんならとりあえず生きているだけでいいと思って、あいつの安否を確認していた。
「あんた最近、よく誰かに連絡してるね」
今回の相方が聞いてきた。仕事が終わった直後で、夜だった。もう清掃員には連絡していて後は帰るだけの状態だ。
相方はナイフの血を拭き、新人教育? とそれなりに当たっている質問を更に投げ掛けてくる。
「まあ、そういうやつだな」
「へえ? どんな子、続きそうな感じ?」
「続く……とは思うけど、他に問題があるっつうか……」
濁しつつスマートフォンを片付ける。ホテルは取っているがもうあっちに帰ろうか、さっさと竜胆に会って話をしたほうがいいかと悩みながら、相方と共に夜道を進む。
相方は問題には触れず、武器やら手際やらを聞いてくる。
それ自体は面白いから、俺はつい饒舌になった。
「竜胆っつうんだけど、こいつ刀使うんだよ。最初はあーはいはい憧れの刀みたいな……とか思ってたんだけど、普通に使えてて刀自体もちゃんとしたやつなんだ。検索して、銘柄とか前の持ち主も調べて買ったんだと。手際もいいぜ、はじめは狙いが逸れ気味だったけど今はそうでもない。今日殺した奴らみたいな、反撃してくる連中の相手ももう出来るんじゃないかな」
相方は数回瞬きを挟んでから、
「それあれじゃん、あなたに訪れない涅槃」
聞き覚えのあるフレーズを口にした。少し考えたがすぐにピンときた。
「小説だったよな? 始末屋の……多分これめちゃくちゃ調べたな、ってレベルの」
「そうそれ。五年前くらいだったかな、出た時にうちらの支部で回し読みしたんだよね。まー細かいのなんの、清掃屋のことも詳しく載ってるし、始末屋のお仕事小説じゃん! って私は思ったな」
「始末屋自体は小説だの漫画だのによく出てくるけど、あそこまで細かいのは本当に少ないもんな」
マイナーというか、アングラの仕事だから当たり前ではある。
始末屋の仕事内容以外はどんな小説だっけなと考えていると、
「あの主人公、刀でしょ」
相方が人差し指を立てながら言い始める。
「そうだっけ?」
「そうなんだよ、文庫持ってるし三回くらい読んだから間違いないよ」
「そんな気に入ってんだ?」
「うん、あれのねー、主人公が……可哀想? というか」
「アングラな仕事してる始末屋を可哀想にすんのはありきたりなんじゃねえの」
投げ出すと、いやそうじゃなくて、と反論された。
「主人公の柘榴って、斬った相手のこと全員覚えてるんだよ。自分のこと好きだった女とかも仕事で殺して、一緒に逃げたいって言われても全然響いてないんだけど、名前とか生前の雰囲気とか話し方とか服装とか、全部覚えて忘れない。それがタイトルにかかってて、斬られる末期の業も斬った自分の業も全部持って生きてるから涅槃なんて来ない、って意味になるらしいんだけど、それに反して柘榴は無心で斬る自分と掌合わせて命乞いする相手見て、逆転したんじゃないか? って悩むわけ。それで僕に対して仏に向かって拝むようにする相手を斬るか斬らないかって、葛藤するのがなんかね……真面目で不器用で、可哀想なんだよね」
相方はそこで息をつき、その新人さん今度連れてきなよ、と締めくくった。
嫌な汗が背中に滲んでいた。話を聞きながら俺はずっと竜胆のことを思い浮かべていて、用事で忙しいのだと言った時の影が落ちたような顔も思い出して、素早くスマートフォンを取り出した。
あなたに訪れない涅槃。検索欄に放り込むとすぐに出た。実写映画の制作が決定したという記事を見て、そういうことかと、腑に落ちたくないが腑に落ちた。
竜胆は、俳優の麻生田竜胆は、柘榴になるためにここまで来たんだと、わかってしまった。
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