7
クランクインの前に、ドゥルガーで簡単な仕事を貰った。人を刺し殺して逃げている男を始末するという内容で、まあ、簡単だった。潜伏先はとっくに割れていた。でもなぜ通報されず始末屋に話が来るかと言えば、そいつは裏側の人間で、罪を償わせるまでもなく殺せという話だった。
風俗店の女性の部屋に匿われていた。女性には事情を話し、殺人犯だと知ればあっさりと男を引き渡す約束をした。
彼女は勤務後の立ち話の最中に、ふと目を細めてこちらに指先を伸ばしてきた。
「あんた……そっちの筋の人? かわいい顔してる、風俗は行かないタイプ?」
半歩下がって指を避けた。女はあからさまにむっとしたが、肩を竦めてすぐに諦めた。
「情報ありがとう、助かるよ」
差し出した報酬入りの封筒はすぐに鞄へと放り込まれた。立ち去りかけた彼女に竜胆という役者を知っているか聞けば、詐欺師のやつは観た、と不思議そうな顔で返してくれた。
礼を言って、立ち去った。本来の自分と役柄に剥離があるからか、毎回ああやって本人だと気付かれないが、今回はまた話が違うとも思った。
刀の柄を緩く撫でる。僕は竜胆、同時に柘榴だ。
そして故人になっている作者でもあるのかもかれない。
斬った男が狭い部屋の真ん中に転がっている。必要なものは既に女が片付けていて、返り血を浴びたのは褪せたカーテンとスプリングが消耗したベッドくらいだ。刀を振って血を飛ばす。仕事の終了連絡は直接依頼人にして、後片付けは片付け専門の業者に頼んだ。
清掃を専門に長年やっているという男性は部屋の中で待っていた僕を見て束の間まばたきを止めた。
「どうかしましたか?」
「ああ、いや」
男性はマスク越しに苦笑して、
「昔にいた始末屋さんに、似ていたもんで……」
独り言のように言い、転がる死体に目を向けた。あまり血が飛びすぎないよう、心臓を一突きにした死体だ。清掃の男性は慣れた様子でその傍にしゃがみ込み、別の清掃員に声を掛けて、人が一人入る大きさの黒い袋を持ってこさせた。
「なんて名前の人ですか?」
袋に詰められた死体が持ち出された後、聞いた。
「伊吹さんて人だよ」
男性は懐かしそうに言ってから、いつの間にか会わなくなった、と静かな声で付け足した。
伊吹。名字なのか名前なのかはわからないし、あの小説の作者名とも違っている。でも恐らく当人だ。男性が伊吹を見なくなったのは少なくとも五年は前で、小説の出版日は六年前。遺作でもある。監督や演出家は、出版されてすぐに映像化権を取ったらしかったが、原作者とは顔を合わせることはなかったようだった。
僕も多少調べたが、「あなたに訪れない涅槃」の出版後、作者の行方がわからなくなっている。それから一年ほど後に死亡していたと報道された。死体の確認はされていたため、本人で間違いはないだろう。
監督たちが話したように、死因だけがはっきりしない。自殺としている記事がいくつか見つかったが、死亡経緯を探ろうとするブログには不自然な点がいくつか列挙されていた。ただこれは掘り起こしたスクリーンショットで、該当ブログは消されていた。ブログ主の安否も不明だ。他にも別の死因を書いた記事はあったがすべて後で真偽は不明だと訂正されていた。
別に死因が知りたいわけではないため、検索はそこでやめた。
そもそもほぼ確定だ。原作者……伊吹は始末屋の道を選び、殺された。恐らくあの本を書き上げてしまったからだ。
僕にはもうわかる。「あなたに訪れない涅槃」は「始末屋の主人公」を克明に描き過ぎている。
睡蓮と久々に会ったのは一ヶ月後だった。ドゥルガーではなく、適当な居酒屋で落ち合った。相変わらず平坦な表情をしていて、長い髪もそのままだった。睡蓮は僕を見て笑った後に少し眉を寄せた。
「竜胆くん、ちょっと顔付き変わったな」
「そう? 自分では、あんまりわからないな……」
「まーでも、あれだろ。仕事、いくつかこなしたって言ってたから、慣れてきた雰囲気っつうか」
「うん、仕事は慣れたよ。……この子も、斬ることを思い出したみたい」
携えている刀を指すと、睡蓮は眉を下げながらなんだそれと笑い、僕の肩をばしりと叩いた。
居酒屋は混んでいて、僕と睡蓮は奥のカウンター席に並んで座った。多少狭くて、偶に肩や肘が触れ合ったが、睡蓮は特に気にした様子はなかった。
どこかから聞こえてきた大きな笑い声の裏側で、お互いの仕事の結果を話し、軽い情報交換をした。
睡蓮はカウンターに肘をつき、焼酎の水割りを一口飲んでから、溢れた長髪を耳にかけた。
「竜胆くんが上手くやってるみたいで良かった」
「うん、お陰様で……簡単な仕事なら、もう一人でも問題ないよ」
「今度、まあまあ大掛かりな案件あるけど、お前も行く? また他府県に飛ぶから二週間くらい出張ってことになるけど」
「……行きたいけど、難しいな」
こちらを見た睡蓮と視線を合わせる。クランクインしたから長期で空けることはできないと、彼に伝えるわけにはいかない。急にでかい仕事は怖いかと聞いた彼の肩にわざと肩をぶつける。近付いた距離に、睡蓮は反射のように口を閉ざした。
「次……そうだな、僕は、大人数より……睡蓮さんだけのほうが、いいよ。あなたが一番、僕の理想だ。……他の人の仕事も見てみたけど、睡蓮さんより綺麗じゃなかった。仕事だって割り切った遠慮のなさが、他の人にはみえなかったんだよ、僕には」
睡蓮は明らかに困った顔をしたが、
「そういうなら、俺が誰か相方が欲しい時に、お前に声掛けるよ」
と了承した。
楽しみにしてる。そう言ってから、触れたままの肩を離す。手元の日本酒は氷が溶けて薄くなっていた。刺し身をその薄さで流し込みながら隣を窺うと、頬杖をついて眉を寄せている横顔が見えた。
睡蓮さん。僕の呼び掛けに視線は向かなかったが、唇はゆっくりと開いた。
「竜胆くんさ、多重人格みたいな症状……あったりするか?」
今度は僕が口を閉ざす番だった。睡蓮は顔ごとこちらに向けて、大丈夫なのかと、真剣な顔で聞いてきた。
何も答えられなかった。無意識に手を叩いていたが、呼ぼうとした詐欺師を含めた役柄たちは、僕の中には既に存在しなかった。
あなたに訪れない涅槃の撮影は順調だ。きっと代表作で引退作で、遺作だ。柘榴なのだからそうなるし、伊吹のことがあるから絶対だ。
でもじゃあ、竜胆はどこに行ったのか。
僕の位置からは何も見えなくなっている。
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