5

 細い裏路地を進み、通常なら訪れることのない荒れた一角を目指して歩いた。路地は入り組んでいて、蟻の巣を彷彿とさせる。こんなところ通れるのかと思うような建物の隙間さえ進んでいく。

 道すがら睡蓮は仕事の話をしてくれた。今日は逃げた犯罪者を始末する。どこにいるかは情報屋が調べ済みで、この先にある古びた通りの奥にいる。用がなければ行けない場所だ。訳アリの溜り場だと、知ってるやつは知っている。

「竜胆くんもまだ見たことない場所だろ、なんだかんだよく来るから覚えとくといい」

「……」

「竜胆くん?」

 ハッとして視線を上げる。先を歩く睡蓮は不思議そうにこちらを振り返っていた。

 まだ竜胆だ。そう自分に言い聞かせながら、睡蓮の言葉に答えた。彼は揶揄するような笑みを浮かべた。

「緊張してる?」

「あ、……そうだね、そうかも」

「相手は一人だから難しくもない仕事だよ。俺もいるんだし、緊張しなくて大丈夫」

「うん……」

「ここが終わった後に情報屋のことを教える。フリーだって言ってたろ、依頼も斡旋してくれるから、あそこをわかっておいたほうがいい」

 話しているうちに迷路のような路地を抜けた。情報屋、と文字列を頭に浮かべる。裏路地の向こうはろくに手入れのされていないうらぶれた場所だった。始末屋の仕事や情報をもらえるのであれば情報屋のことは知っておかなければならない。枯れかけた雑草や色褪せた空き缶のゴミが私道と思しき狭い通路に転がっている。睡蓮は二週間ほど他府県へ行き現地の始末屋と大きな依頼をこなすらしいからその間に一人で仕事をもらえるようになっておきたい。掠れた埃っぽい風が吹く。始末屋の役柄が不規則に息をする。

 一角には今にも崩れそうなぼろぼろの家が何軒も建っている。誰でも入居できる下宿らしく、始末対象がよく隠れ家に使うと睡蓮が話す。

 玄関は引き戸で、開けようと引いたところで割れていた硝子が欠片となって落ちた。埃とカビと、腐臭が綯い交ぜの空気は不快だ。

 当然のように土足で中に入った睡蓮の後に続くが、発砲音により進行は遮られた。即座に身を翻した睡蓮は無意識なのか腕を伸ばして俺を突き飛ばす。

 よろけつつ離れて、体を低くした。睡蓮がわざとらしく前へ進み出ると発砲音が追うように続き、どこから撃っているかが丸わかりになった。玄関から入ってすぐにある階段。その上から必死に撃っているようだった。

 刀の柄に手を添える。しかし睡蓮の方が早かった。階段横の黒ずんだ壁を思い切り殴る動きは迷いがなかった。

 木造の壁はバキバキと音を立てながら砕け落ち、階段自体が崩れ始める。

「竜胆くん」

 俺を呼ぶ声が階段上から聞こえた悲鳴と重なった。視線を上げると女と目が合った。落ちかけている女が、割れつつある階段に必死に縋り付いていた。遅れて落ちた拳銃を睡蓮は蹴り飛ばして遠くへやった。長髪が背中の上で波打つように躍った。

 柄に添えたままの手が勝手に動いて抜刀した。鈍色と銀色が埃の舞い上がる中に閃いた。ごとり、と重たい音がした。

 女の足が片方斬れて転がった。

 超音波のような甲高い悲鳴が響いた。女は痛みで手を離したらしく、成すすべもなく落下して、その後には声を上げられなくなった。睡蓮が顎を容赦なく蹴り砕いたからだった。

「やばいところの金を持ち逃げした女らしい」

 睡蓮は血肉を払い落とすために足を数回振る。

「金はある程度回収できたから殺せって依頼だ。あの銃は一緒に持ち逃げたもんらしいから、回収して仲介業者に渡す約束になってる」

「たしかに、楽な相手ではあるね。銃以外の戦闘力はないみたいだったし」

「竜胆くんそれ、やけに似合うな」

 それ、と言いながら視線は刀へと向けられた。抜刀したままだった。ひとまず鞘へ収めてから息をつき、どうするか悩んだけど、笑った。

「僕の愛刀だよ」

 答えると睡蓮も笑みを浮かべた。先程話していた拳銃を拾ってこちらへと差し出し、情報屋兼仲介屋のところへ案内すると、多少の信用が滲む声で言った。

 拳銃を受け取った。小型の自動式拳銃は既に弾切れで、動かなくなった女のせいでべたついており、掌には血がついた。


 睡蓮が案内した先はあの喫茶店ドゥルガーだった。顔見知り程度ではあった初老のマスターに睡蓮が諸々話をすると、店内奥の扉を指し示された。

 扉の向こうにはマスターもついてきた。窓のない薄暗い一室の中には無数のファイルと数台のパソコンやモニターが所狭しと並んでいた。

 拳銃はマスターに手渡した。彼は目尻に皺を滲ませながら微笑んだ。

「依頼が請けたければ、ここに来てください。睡蓮さんの紹介なら歓迎します」

 睡蓮は笑い声を上げ、マスターもつられたように肩を揺らし、狭くて暗い部屋の中は束の間明るい雰囲気になった。


 喫茶店を出て睡蓮と別れたあと、女の足を斬った一瞬を何度も思い返した。抜刀の力加減、鋭く光る剥き身の刃、踏み込み、呼吸音、断つ感触を逐一すべて脳内で転がした。

 それと同じくらい、睡蓮の動きを思い出した。迷いのない判断、脆くなっていたとはいえ壁を殴り壊す膂力、無駄のない所作、振る舞い。女の顎を蹴り砕く脚力と、それを平坦な雰囲気のまま行う胆力。

 睡蓮は恐ろしくて、やっぱり綺麗だ。モデルにしようと近付いて良かったと本当に思っている。

 でも間違いだった。笑いが込み上げてきた。役はもう出来上がるし、クランクインがいつになっても問題ない。でも間違いだ。受けるべき仕事では絶対になかったし、睡蓮を追い掛けた日に殴り殺されていた方が良かったのだ、きっと。


 詐欺師の「降りたほうがいい」という書き置きは、睡蓮や始末屋の恐ろしさのことではなかった。

 、という意味だったんだ。

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