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 雑誌に載る共演者との対談や、公式サイトに掲載されるコメント、番組用の宣伝VTR録りなどを缶詰め状態で済ませていく。

 マネージャーは俺のやり方を充分わかっているので容赦なく予定を詰め込んでくれた。送迎も完璧だ。次は監督と脚本家との対談が行われるスタジオに向かっていた。マネージャーが運転する車の中で早めの夕飯を放り込みながら、鞄に入れていた台本を引っ張り出した。

 バックミラー越しにマネージャーがちらりと俺を見た。

「竜胆さん。今回の役作り、どうするんですか?」

 鏡越しに視線を合わせる。聞きたいことはふたつあるようだったから、まずは笑みを向けておく。

「始末屋のモデルに出来そうなアテはできたんだ、だからそっちはひとまずオーケー」

「あれ、早いですね」

「うん、ラッキーだった。だからそっちは平気だし……」

 息を吐きつつ、膝上の台本に視線を落とす。

「……始末屋の役も、多分言うこと聞くと思うよ」

 そう続けると、マネージャーは間を置きはしたが、竜胆さんが資本ですしね、と納得した。

 役柄が反乱を起こすことはない。乱暴なボクサーの役の時だって、逃げ回る殺人犯の役の時だって、スタッフやマネージャーに手を上げることはなかった。

 最も、どっちももうんだけど。

 信号待ちで車が止まる。揺れで落ちかけた台本を持ち上げて、自分の役柄である始末屋の台詞に目を向けた。柘榴ざくろ、と名字だけがふってある。口調は柔らかくて、一人称は「僕」で、言葉の端々に慈悲がない。友達にはなりたくないタイプだ。

「脚本家さんが原作小説を送ってくれましたよ」

 右へハンドルを切りながらマネージャーが言う。

「帰りに渡します。目を通す時間があるかはわかりませんが、参考程度にと。竜胆さんが役柄に入り込む役者さんだと知っているから、その一助なんだと思います」

「ん、わかった。ありがとう」

 などと返事をしつつ、役柄に入り込む、とは多少違うなと思う。

 台本を閉じた。表側には、飾り気のない明朝体でタイトルが書かれている。あなたに訪れない涅槃。

 ぼくは駄作だと思うよと、眠ったばかりの小説家が呟いた。

 それに被せるよう「着きました」とマネージャーが言った。

 台本を鞄へとしまい込み、仕事のために外へ出た。対談内容ではなく始末屋という役柄、いや人格について考えながら、俺はマネージャーの半歩後ろを歩いた。


 睡蓮と顔を合わせることができたのは出会ってから一週間は経った頃だった。

 待ち合わせはあの喫茶店だ。今までまともに店名を見ていなかったが、睡蓮が「変な店名だよな」と言ったため、看板が目に入った。ドゥルガーという名前だ。仏教用語じゃないかなと、適当に答えた。

 睡蓮はコーヒーを飲み、俺は紅茶を頼んだ。近況のような話をぽつぽつ交わしていたが時間潰しだ。

 多少日が暮れてから、どちらからともなく席を立った。睡蓮は首元に掌を当て、仕事の邪魔はすんなよ、と平坦な声で言った。

「しないよ、俺はそんなに強くもないし」

「……まあこっちも、お前の仕事ぶりを見たわけじゃないからな。でも数人殺してはいるんだろ」

 え、と思わず口に出る。睡蓮は迷う様子もなく歩きながら、同業者の臭いってあるんだよ、と相変わらずのフラットさで話を続けた。

「始末屋なんてとこにまで来てるからには、そうなんだろ。ただのゴロツキだったのか警備程度の前職だったのか……故意か過失か、仕事かプラベートかはともかく、竜胆くんからは殺したやつの臭いがする。だからまあ、将来性? も鑑みて、現場見せてやる気になったんだけど」

 背中が汗ばんでいた。ひとつにまとめた長髪を揺らしながら歩く睡蓮はそれに気付かない。唾を飲み込む。息を吐く。たとえ手を叩いても、あいつらは二度と現れない。

 乱暴なボクサーと逃げ回る殺人犯は、映画の途中で死ぬ役だった。だから俺は物理的に、自分の意思で、あいつらを消した。二人とも納得済みだった。カメラの目の前で二人はそのまま息を引き取った。

「竜胆くんは手出さなくていいから、俺の後ろから見てろ。すぐ片付ける」

 睡蓮はグローブを嵌めてから、人気のまるでない廃ビルの中に入って行った。現れた数人の男たちは何かしら罵声を発したが、飛ぶように走り出した睡蓮に側頭部や下腹部を殴打されて崩折れた。濁った悲鳴が吐瀉物混じりの唾液とともに廃ビルの汚い床を更に汚した。

 俺は言われた通りに睡蓮の「仕事」を眺めていた。男たちの誰かが人殺しと口にしたが、睡蓮の蹴りがまともに入って、骨の砕ける音に塗り潰された。

 ぞっとする。詐欺師の「降りたほうがいい」という書き置きを思い出す。ここにあるものは本物の殺人で、本物の殺しで、ただの俳優が足を踏み入れる領域では絶対にない。睡蓮は昏倒させた相手の喉を容赦なく踏み潰して息の根を止める。全員に、そうする。仕事だからそこに妥協は存在しない。

 恐れながらも俺は動けなかった。いつの間にか彼の動きのすべてに見惚れていた。

 鮮やかな始末だった。睡蓮はずっと無表情で、無慈悲で、無駄がなかった。

「デカい口叩くなら、殺されるような人生送んじゃねえよ」

 淡々とした罵倒が睡蓮の口から漏れた。それすら含めて端正だった。

 俺の中で少しずつ「柘榴」の人生、立ち振る舞いの構築が、積み上げられていく。そこには今までにない高揚が生まれていた。はじめは困惑したが、拳についた血を払う睡蓮の後ろ姿を見ているうちに、どうでもよくなってしまった。

 おはよう、俺……いいや、おはよう「僕」。

 恐らくこれは間違いだ。



**


 ──あなたは、あなたには、人間性が欠けている。必要だからって、どうしてこんな非道な仕事を続けられるのですか?

 涙ながらの訴えに柘榴は最早うんざりもしない。殊勝に見えるよう、極僅かに眉を下げ、本人だけが熱いと思っている涙の行方を無言で眺める。

 お願い──わたしはあなたと、真っ当に生きたいだけなのです──。

 嗚咽混じりの言葉は、安い。柘榴の腕の動きを女は理解せず、感情のみの発露が琴線に触れると信じている。

 閃光は一陣、炯々と女の眼を焼いた。かちりと音が響くや否や、柔らかな身体から血飛沫が噴き上げた。

 柘榴はもう、背を向けていた。携帯電話を操作し、僕の仕事は完了したよと、恙無い口振りで報告を終えた。

 絶えゆく女の見開かれた双眸は、柘榴の腰元にぶら下がる愛刀を、混乱のさなか、只管傍観し続けていた。

(「あなたに訪れない涅槃」文庫版67ページより)

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