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「誰だお前」
男の声は冷たくも暖かくもなかった。表情もフラットで、足元の死体にはもう興味がない雰囲気で体ごとこちらを向いた。
「同業者? なら悪いけど、もう終わった」
男は平坦な様子で言った。どう説明しようかなと身構えつつ、
「あー……そっか、残念」
とりあえず合わせた。手を叩いて詐欺師役でも呼ぼうかと思うが、あれはアクが強くて記憶ごと持っていかれるかもしれない。できれば避けたい。
「えーと……先にやったやつがいるって報告しなきゃいけないからさ、君、名前か……所属か、聞いてもいいかな?」
適当な嘘を吐くことにした。無理だったら殺されるだけで、まあそれはこの際仕方ないから良いとして、俺はひとまず相手を待った。
男は腕組みをしながら佇んでいたが、やがて軽い様子で溜め息をついた。
「睡蓮がやったって報告しとけば伝わる」
すいれん、と思い切り平仮名で発音すると、怪訝そうな目を向けられた。
「……むしろお前がどこ所属? 依頼がバッティングしたってことだろ?」
「あー……っと、まあ、そうか……」
「この業界じゃ見たことない顔だしな、上司は? どの組織? めんどくさいから俺がまとめて報告しとくわ」
中々キツかった。あーやっぱり無理かな、と思いながら睡蓮を見る。考えるような顔をしていた。流石に怪しいよなと自分で納得して、両手をそっと後ろに回した。
出来るだけ軽く手を鳴らし、詐欺師の男をほんの少しだけ起こしたが、瞬きの間に意識が落ちた。
任せとけよと、脳内で詐欺師が囁いた。
役柄という者たちは自分が撮られていると理解している。クランクアップのあとには手を叩いて、眠る俺を起こしてくれる。
俺が、竜胆という男が死ねば、自分たちも死ぬと理解しているのだ。
だから勝手はしない。そうわかっているものの、賭けだった。
手を打ち鳴らす音で目覚めた。おはよう俺、それからおやすみ。ご苦労さま詐欺師の青年。
一通り労ってから目を開ける。まず見えたのはチョコレートパフェで、クラシックアレンジの昔の流行り曲がゆっくりとフェードインしてきた。
マネージャーと会っていた喫茶店だ。把握しつつ頭を振って、額に掌を当てる。その直後に、視界の中には誰かの手がふっと過ぎった。
「大丈夫か?」
睡蓮だった。俺の目の前でひらひらと手を振り、俺、いや、詐欺師のことを心配していた。
あいつどれだけ上手くやったんだと思いながら顔を上げる。睡蓮は腕を引っ込め、新人にはキツイこともあるか、と独り言のように呟いた。
新人で通したらしい。息を吐きつつ、睡蓮さんはやり始めて長いのかと、今までの会話の探りを入れる。五年くらい。返り討ちで死ぬやつも多いから長い方。竜胆くんみたいなフリーじゃない、企業所属の利点は社保完備なところくらい。
「竜胆くんが読んだことあるか知らないけど、俺らの職業……始末屋を題材にした小説やら漫画は色々あるんだ。でも本気でこっちに足突っ込んで調べたやつは俺が見た限りだとひとつしかない。他にもあるだろうけど少ないだろうな。だからこの業界が初めてだと……上澄みだけ書いたフィクションに影響されたって新人なんかは、思ってたのと違いすぎてすぐ消える」
睡蓮はここで口を閉じ、コーヒーを一口飲んだ。なるほど、と大体を把握した。
詐欺師は上手くやった上に、恐らくこの始末屋は面倒見が良いとすぐに見抜いて、新人だからこの世界について教えて欲しいという方向性で話をしたんだろう。
肩の荷が降りた。椅子に凭れつつ、始末屋のフィクション作品はほぼ見たことがないと正直に話す。睡蓮は頷き、娯楽消費するだけなら面白い漫画があると勧めて来た。ありがたく作品名を聞いて覚える。こうやって雑談を積み重ねながらチョコレートパフェをさくさく食べる。
「竜胆くんが始末屋なんて始めたのはなんで?」
雑談が途切れたあとに、数刻前と変わらないフラットさで聞いてきた。
返事には一切悩まなかった。
「生きるため、生活のため。俺は俺のために始末屋にならなきゃいけないから」
嘘偽りない言葉だ。睡蓮はほんの少しだけ目を見開いてから、難儀だな、と苦笑混じりに言った。
「じゃあまあ、せっかく入った新人くんが簡単に潰れるのも可哀想だしな……都合が合えば相手してやるよ」
「はい、よろしくお願いします」
「堅苦しいから敬語はいい。とりあえず連絡先教えて」
頷いてスマートフォンを出しかけて、指先に触れた紙の感触ににわかに止まる。
俺が入れた記憶のない紙だった。睡蓮に気付かれないようにすぐスマートフォンを取り出したが、そっとわかりやすい位置に移動しておいた。
「睡蓮さんの仕事、何回か見せてもらってもいいかな?」
笑顔を浮かべつつ聞けば、睡蓮は軽く了承した。彼の仕事ぶりは手早くスマートで、魅力があって、モデルにすれば役作りは安泰だと確信していた。
でも、詐欺師はそう思わなかったようだった。
睡蓮と別れ帰宅してから取り出した紙は、喫茶店のナプキンだった。
『役は降りたほうがいい』
そう書き付けてあった。詐欺師の役名も添えてあったから、あいつが書いたことは間違いなかった。
こんなことは初めてだった。俺が役柄を止めるのではなく、役柄が俺を止めるなんて、普段なら有り得なかった。
背筋がぞわりと粟立った。薄暗い部屋の中で俺は、文字列を見下ろしながらしばらく立ち尽くしていた。
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