第6話 部活動の形

「それで九十九、今日はずっと私の授業を聞いていなかったようだが、何か面白い言い訳でも思いついたかね?」

「いや~、それが全くでして。もしよければ先生に教えてほしいなあ、なんて~」


 放課後、俺は言われた通り職員室へと向かった。

 ドアを開けて先生に声をかけると、やたらと広い教室に連れて行かれて今に至る。

 それだけ聞くと何だかいけないことをしているような気になるが、その広い部屋とはつまり生徒指導室である。一気に色気が消し飛んだな。


「……言い残す言葉はそれだけか?」

「い、いえ先生、そもそも別に今日俺は、遅刻はしていません。だって午後からの授業はちゃんと出たじゃないですか。だいたい、遅刻というのは決められた時間に遅れて到着するから遅刻でしょう? そもそも俺は午前の授業には到着していません。つまり、これは遅刻ではなく欠席、もしくはサボり、あるいはずる休みです。だから、それを遅刻したという理由で叱るのはおかしいのではないですかね?」


 俺は今日授業中に考えた言い訳百選のうち、もっとも自信のある言い訳を披露した。ちなみにその中には「ちょっとトイレが長引いちゃって」や「最初から来てたんですけど、ずっとお腹の調子が悪くて」などがある。トイレばっかりだな。


 すると先生は「フム」と顎に手を当て、そして飛び切りの素敵スマイルで言った。


「学校には遅れているじゃないかなど言いたいことは多々あるが、分かった。君の話を受け入れよう」

「せ、先生。なら、分かってくれたんですね?」


 さすが甘地先生だ。ちゃんと生徒の意見を尊重してくれるところに感謝しかない。


「ああ、では私は今から君が授業をサボったということについて叱ろう。さて、ではこの学校の地下に拷問部屋があるので早速いこうか?」

「じょ、冗談ですよお~先生~。やだな~、可愛い生徒の微笑ましいジョークじゃないですか。昨日少し帰宅が遅れて寝過ごしちゃっただけですよ。だからそんな素敵な笑顔で全然微笑ましくないこと言うのはやめてください!」


 俺は授業そっちのけで考えた言い訳百選を一瞬で捨て去ると、それどこの政治家だよ!ってくらいの勢いで手のひらを反す。

 というか拷問部屋って何? ホントにあんの? 

 あるとしたらそれどんな学校だよ!

 ていうか、あっていいの? まあ、冗談だろうけど。……冗談だよね?


 まあそれはいいとして、これだけは言わせてほしい。「先生」という単語と「拷問部屋」という単語が合わさった時のエロさは異常だと思います!


「まったく、君とまともに会話が成立したためしがないな。……いや、だがそうか。昨日帰宅が遅れたと言ったが、もしかしてそれは私のせいか?」

「え? なぜです?」

「いや、昨日私が君を呼び出したせいで今日の授業に遅れたのなら、その責任は私にもあるからな。もしそうならすまない。私にできることなら何でもするから言ってほしい」


 い、今何でもって言ったよ⁉ 言っちゃったよねこの人⁉ 

 ……分かってる。分かってるから言わないでほしい。お願い、もう少しだけ希望を持たせて! いいじゃないか、少しくらい期待したって。

 ……別にエロい意味で言ったわけではありませんが何か?


 先生はどうやら昨日自分が呼び出したせいで今日、俺が遅刻したと思っているようだ。やだもーどんだけ生真面目なんだよこの人。結婚したら浮気とか絶対しないしさせなさそう。……前者はともかく後者はなぜか俺の息子がヒュンッとなった。

 まあ、それは置いておくとして、今日俺が遅刻したのはどう考えても俺が悪い。電車で寝過ごしたのも、夜中【プ○キュア】観てて寝過ごしたのも全て俺だ。うん、これはホントに俺が悪いな。強いて言うなら昨日の俺が悪い。よって今の俺は無罪放免。やったー。


「い、いえ先生、先生のせいじゃないですよ。ただ昨日少し帰るのが遅くなってしまったから寝過ごしただけです。ホント先生のせいじゃないですから。それと、もっと自分を大切にしてください。なんでもするなんて軽々しく言ったりしちゃいけませんよ」

「そ、そうか。それならいいんだが……。って、ならば君はただの遅刻じゃないか‼」

「そ、そうでした! やっぱり今のなしには――なりませんよね、はい。すみません。」

「まったく。……はあ、まあ今回は初犯だしな、もう遅刻の件はいい。但し、今回だけだぞ」

「本当ですか⁉ いやあ、流石先生、無駄に年食ってるだけありまグハッ」

「もし次同じようなことを言ったら、……分かっているな?」

「は、はい……。以後気を付けます」


 思いのほか先生は簡単に許してくれた。まあ、その後のことはもう言うまでもないが。

 先生、俺と一緒に格闘技でてっぺん目指しましょう! 先生なら美人すぎる格闘家ってことで人気出ますよ。……グラビアデビューする方が早いかもな。


「では、先生。俺はもう帰りますね。お疲れさまでした」

「ん? どこへ行こうと言うんだ? まだ話は終わっていないぞ」

「え? でもさっきもういいって」

「ああ言った。けれどそれは今日の君の遅刻の件に関してだ。実は君にある話があってな。そのことを今日話そうと思っていたのに君は来ていなかったからまた明日にでもと思っていたんだが、今日は合えて良かったよ」

「なんですか、その可愛い台詞。お金払いますから最後のとこだけもっかい言ってもらえませんか?」

「⁉ そ、そうか。か、かわいいか。………フフ、フフフフフ」

「あの、ここは何かツッコんでもらわないと。いや、ホントなんですよ? ホントに可愛かったんですけどね? ただ、あんまり素直に喜ばれると俺も正直困るんですが」

「へ⁉ あ、ああ、すまない。その、あまり可愛いなどと言われたことがないものだからつい嬉しくてな。……んっ、んんっ。そ、それで話というのはだな、」

「は、はい。話というのは?」


 俺たちは気恥ずかしさをごまかすように話を進める。


「実は部活動についてのことなんだ」

「部活動?」

「ああ、君も知っての通りこの学園は生徒に様々な経験を提供するために実に多様な設備を設けている。それからも分かる通り、当然部活動にも力を入れているわけだ」

「ええ、まあはい。俺も一応この学校を受験したんで、なんとなくですが聞いたことがあります。確か体育会系にも文科系にも毎年凄く優秀な生徒が集まるとか」

「ああ、特に今の在校生、特に君たちの世代にはいわゆる天才と呼ばれる者たちが例年より多く集まっている」


 ――天才

 その言葉に少し心がざわつくのを感じた。


「ん? どうかしたか?」


 どうやらそれが顔に出ていたらしい。俺は適当に軽口を叩いて誤魔化す。


「いえ、確かに俺みたいな優秀な生徒もいますしね。むしろ俺がその世代のエースでしょ?」

「何を言うか、君は赤点ギリギリの最底辺だろう?」

「ハ、ハハハ、ですよね~」


 先生のおどけた口調に俺はぎこちなくうなずく。

 少し訝しんだ様子だったが何とかごまかせたようだ。


「それで、その天才君たちがどうかしたんですか? はっ⁉ まさか俺にも秘められし才能が⁉ 俺も万才なんて変わった名前ですからね。もしかしたらとは思ってたんですよ」

「バカ者、違うよ。私がしているのは彼らのことではない。部活動のことだ」

「部活動、ですか?」

「そうだ。君は未だ何の部活動にも所属していないだろう?」

「え、ええ、まあ」


 そりゃ入学式前にあれだけやらかしたら部活動どころじゃないですよね、とは言えない。


「知っているかもしれないがこの学校では一年生の夏休みまでに必ず何らかの部活動、若しくは組織に入部することが義務付けられている」

「へ⁉ ……マジですか?」

「なんだ知らなかったのか? 道理で君はいつも授業が終わると早々に帰宅していたわけだ」


 やべえ、そういえば入学式の日に先生がそんなこと言っていたような気がする。あのときは気まずすぎて、ずっと窓の外を眺めてたからな。あの時見た中庭の花たちは実にきれいだった。


「えっと、それってもし入らなかったら何か罰とかあったりするんですかね?」

「いや、そういったものは特にないが、まあ、強いて言うなら教室の掃除当番を強制されるくらいだ」


 うわ~、地味だけど結構きついなそれ。なんなの? その何もやっていないやつになら押し付けてもいいっていうふざけたルール? 別に学校でやってないだけで家では忙しくしてんだよ! 目に見えていることだけが全てじゃないんだ! 星の王子様でだって言ってただろ? 大切なものは目に見えないんだって。俺にだって家に帰ればやることはたくさんある!

 まあ、そうだな………トイレ掃除は俺の当番だな。あとはまあ、特にないが……。やっぱり、見たまんまでした。


「まあでも、そのくらいなら別にやりますよ、俺」

「ん? 何を言っている。君にはもう部活に入らないという選択肢はないぞ」

「な、何故です⁉ 俺は誰かにこれまで人に良いことしたことある?って聞かれたら、みんなの前でうんこ漏らしてるのを教えてあげたって答えるくらいには善人ですよ? その俺が何でそんな罰ゲームみたいなことされなきゃならないんですか⁉」

「う、うん……、ま、まあ、一旦落ち着け。それと、その、今度からそういうのに気づいたときにはそっと相手を傷つけないように、お尻汚れてるけどもしかしたらどっかでこけたのかな? 一回トイレでお尻確認してきた方がいいよ。くらいのソフトタッチで教えてあげなさい」

「?」


 この人は何を言っているのだろう?

 そう思っていると、先生は気を取り直すように軽く咳払いして話を進めるため口を開いた。


「ま、まあそれはいい。……良いのか? いや、それよりも、だ。実はな、今年入学してきた一年生の中に九十九という名字の男子生徒がいたら必ず今年新しく作られたばかりの『育才部』に入部させるようにと昨日上から言われたのだ」

「はあ⁉ 何ですかそれ⁉ 俺の人権はどこ行っちゃったんですか⁉ それにいつからこの国は独裁国家になったんだ⁉ 俺束縛されるなら恋人がいいです。先生がもし俺の恋人になってくれるっていうなら考えなくも……すみません、嘘です、忘れてください!」


 先生の目が獲物を見つけた肉食獣のようになっていたので、俺は慌てて謝罪する。

 少し残念そうな目で先生は言った。


「まあまて、落ち着けと言っただろう。君の気持ちは私も分かるし、何故上がこんなことを指示してきたのか気にもなる。が、もしこのまま君が入部しなければ私の評価にも影響するのでな。だから潔く入部しろ。そして結婚もしろ」

「は、はあ、というか理由が完全に私情なんですが……。 いえ、まあ別に入部しろと言われればするんですけどね。ただ、一体何なんですか? その『育才部』ってのは。あと、結婚はしません。大丈夫ですって、先生ならきっと良い人が見つかりますよ」

「おや、なんだ? 思ったより乗り気じゃないか。あと結婚はしろ」

「いえ、別に乗り気ってわけじゃないですけど。ただ少し興味が湧いただけです。どうせ家に帰っても毎日暇を持て余してますし。あと、結婚はしません」

「そうか、まあいい。そうだな、正直私もその『育才部』という部活動についてはあまり知らないんだ。だからちょうど仕事も一段落着いたところだし、どうせならこれから一緒に見に行こうと思ってな。あと結婚はしろ」

「そうですか。分かりました、では行きましょうか。あと結婚はもう少し考えさせてください」

「フフ、まあ急ぐことはないさ。私はいつまでも待っているからな」

「ははは……」


 いやもういいから早くいい人見つけて幸せになってくれよ。なんだよいつまでも待ってるって。重いよ。もしこれで俺がもらわなければ先生は未婚のまま更に年を重ねて……うん、俺は何も考えないことにした。





 先生と肩を並べて廊下を歩く。『育才部』なる謎の部は特別等の四階、つまり空き教室を拠点にしているらしい。職員室からは階段を上がってすぐなのだが、職員室が一階にあるため階段を結構な数上らなければならない。

 多少疲れて来たので先生は大丈夫だろうかと隣を見ると、先生は息切れ一つしないで堂々とした足取りで歩いている。きっと普段から運動しているのだろう。その結果はそのパーフェクトボディーが雄弁に語っている。凄いね。何が凄いって歩くたびにその豊かな膨らみが……。いや、ここはあえて言うまい。本当に大事なことは言葉なんかじゃ表せない。俺もしてくれたことであの花(甘地先生の双丘)を見るべきだろう。幸せな気持ちにさせてくれてありがとう! ……いい加減そろそろファンの人達に怒られるな。

 すると突然先生がこちらに目を向けた。当然先生の美しいプロポーションとその歩行姿勢(胸ではないよ)に見とれたままだった俺と目が合う。……俺の視線は少し下だった。


「「…………」」


 妙な気まずさをおぼえる俺たち。

 あまりそういう空気は得意じゃない。俺は適当に先生に話を振る。


「そういえば先生、その部には俺以外にも部員がいたりするんでしょうか?」

「ああ、確か女子生徒が一人いると聞いている。まあ部活自体が今年からできたものだから二~三年生はいないらしいが。だが彼女は飛び切り有名な生徒だ。君も聞いたことがあるだろう? 今年の入学テストで満点を出した生徒がいると。しかも二人も。まあ、と言ってもこの学校の生徒にはちょくちょくそういった者もいるにはいるがね。去年も二人いた」

「ええ、そうでしょうね。俺の身近にも一人いるので。けど、そうですね。今年の一年で有名人………ああ、もしかして例の理事長の娘ですか? 物凄く美人だって聞きましたけど」

「ああ、よく分かったな。なんでもこの部を作るように手配したのが彼女の父、つまり我らが理事長だったらしいからな」

「へえ、なら俺をここに入部させようとしてるのも理事長ってことになるんでしょうかね? まあ、話したこともないんであまり信じられませんが」

「まあ、そのあたりのことは彼女にでも聞いてくれ。よし、そろそろ四階だな」


 先生との会話が一段落ついたところでちょうど俺たちは特別教室棟の四階に到着した。


「それでそのなんちゃら部とやらはどの教室なんですか?」

「『育才部』だ。まあ確かに名前だけ聞いても解釈が多すぎていまいちピンとこないがな。確かこの廊下の突き当り、一番奥の教室だと聞いている」

「げっ……、まだ歩くんですか? もうこんだけ余ってる教室があるんなら手近の教室勝手に使ってもよくないですか?」

「そういうわけにもいかない。まあ、正直私もその考えには同意するがね。けれど規則は規則だ。甘んじて受け入れよう」

「甘地先生だけに、ですね」

「それは、私の名字をバカにしているのかね? 返答次第では君の名字が甘くなるぞ」

「い、いや~冗談ですよ、冗談。先生の名字、素敵ですって。俺も甘いもの好きですよ。だから先生のこともだ~い好き、なんちゃって」

「……それは愛の告白と受け取ってもいいのかね?」

「えっ⁉ せ、せんせい?」

「それは君がここを卒業したら私をもらってくれるという結婚の言質と認識していいのかね?」

「ち、違います。ごめんなさい。ただの冗談だったんです。ちょっと先生の恥ずかしがる顔が見てみたかっただけなんです」

「そ、そうか。……そうか。あまりこの手のことで私に軽々しく期待を抱かせるようなことを言うのはやめてくれ。次は言質として記録するからな」

「はい」


 なんで俺は年上の美人に結婚しろと言われてこんなに悲しい気持ちになるんだろう。先生はさっきのでガチへこみしてるし。

 ていうか重すぎるんだって! 

 なんなの結婚の言質って? もう告白の言質取ろうとする時点で相手逃げだすよ! そんなんだからなかなか結婚できないんだな、この人。

 ……まあ、それは先生が悪いというわけではないが。


 綺麗すぎる先生はきっと周りの人間からしたら高嶺の花に映るのだろう。だから相当己に自身のある男じゃないと寄ってこないし、寄っていけない。けれどそんな選び抜かれた男たちも、先生の魅力の前ではとても自信なんて保てようもない。故に一人。寄ってきても去っていくばかりで、誰も彼女の隣に立ち続けることができない。始めのうちは先生も気にしていなかっただろう。言い寄って来た人間はきっと多いはずだ。いつかはその中の誰かと幸せになると楽観的に考えてしまうのは自然。

 けれどもう今年で三十代の扉をたたく。周りを見れば友人達は皆結婚していて、自分だけが取り残されているという現実。感じるのは、周りに置いて行かれる不安、親からの期待、このまま年だけ取り続けるんじゃないかという焦り。そして何より辛いのは、周りの期待する甘地苺桜ではなくなっていくことへの周囲からの失望だ。

 美人だからモテなければいけない。美人なのに結婚できないのには何かほかに問題がある。そういった魅力的であるが故の過剰な期待と憧れ、そして彼女の現在に対する失望や嫉妬。そんな感情がずっと向けられ続ける毎日に不安と焦り、孤独などが無意識に先生の中に溜まり続ける。

 だからチャンスを逃してはいけないという思いが強くなり、つい先走ってしまう。その結果、男からは重がられ、また去られてしまう。

 先生は今その負のスパイラルの真っただ中にいるのだ。……なんて不憫なんだろう。

 悪いのは先生ではない。悪いのはそんな彼女に並び立てない俺たち男の方だ。


 水清無魚という言葉がある。読んで字のごとく、清すぎる水には魚は住めないように、心があまりに高潔な人でも度が過ぎると周りに人は近づかなくなる。そのような意味だ。『水清ければ魚棲まず』ということわざなんかもあるがそれと同義だ。

 その言葉からも察するに、人はあまりに欠点がないものには親しみを持てなくなる。それはそうだろう。ずっと隣で完璧な姿を見せられ続けるのだ。それは悪意のない味方の流れ弾にさらされ続けるのと同じ。いつもいつもその隣で、自分が劣った存在なのだと、平凡な人間なのだと、そう思わされ続ける。どれだけ努力しても手が届かない正解を、ずっと示し続けられる。

 それはどれだけ苦しいことだろう。そして何より辛いのは、相手にその気がないことだ。だって当人からしたらそれが当たり前なのだから。ただやればできるだけ。ただ存在しているだけ。ただ笑っているだけ。しかし周りの人間はそうではない。彼らが当たり前だと言うその領域に凡人がたどり着くためには、どれだけの犠牲を払わなければならないだろう。払ったところでたどり着けるとも限らないのに。

 自分の人生をかけて挑戦しようとしていることを、彼らはほんの気まぐれでやってのける。それを目にしたとき感じるのは憧れでも、嫉妬でもなく、ただ言いようのない程の恥辱だ。それまでの自分の努力をすべて恥だとしか思えなくなる。

 そんなところでは夢を抱くことも、自分でものを考えることも、自分という存在をさらけ出すことも、何もできやしない。それは持たざる者にとってはあまりにも残酷な生き地獄だ。それをずっと味わい続けるくらいなら、いっそ貶されてバカにされた方が縁も切れるのにと思うかもしれない。

 先生の場合、それが容姿や性格などなのだからより顕著だろう。隠すことができないから。あれほど純粋な優しさを抱くことは並大抵じゃ出来ない。なぜならそんな経験がそもそもないから。だから周りは彼女から去っていく。もしかしたら昔はそれでいろいろと苦労もしたのかもしれない。

 人は敵わない相手には常に悪意と敵意をもって排除しようと考えるから。


「――本当に、嫌になるな」


「ん? 何か言ったか?」

「いえ、先生はいつになったら結婚できるんだろうって言っただけです」

「ふんっ、まあ本当にどうにもならなくなったら君にもらってもらうとするさ」

「ハハ、まあ考えときますよ」

 

 先生と俺は少し似ている。でもやはり、俺は先生のような素敵な人間にはなれない。

 

 だから、だからもしも先生が、俺が大人になっても一人のままなら、そのときは二人で酒を酌み交わす日が来るのかもしれない。

 そんなくだらない妄想をしている自分が、妙に恥ずかしかった。





「先生、この部屋ですか?」

「ああ、歩いてみるとなかなか職員室から遠いな」

「まあ、初めての道、ですからね」

「おや、初めての相手が私では不服かね?」


 俺の返答に先生はからかうように言って、余裕ありげに唇の端を吊り上げる。そんな言葉も何故か先生が言うと絵になるのだからやっぱり美人ってずるいと思う。


「いえ、むしろバッチ来い! ですけど」

「っ⁉ そ、そうか……。じょ、冗談なのだが」

「は、はい、分かってますから。だからそんなに恥ずかしがらないでください。こっちまで、照れちゃいますから」


 適当に返す俺と照れる先生。もはや俺たち付き合ってましたっけ?って思ってしまうくらいこのやり取りにも慣れてきた。……先生の可愛さにはいつまでも慣れることはないけれど。


「じゃ、じゃあ先生、行きますよ」

「あ、ああ」


 若干照れくささが後を引くが、この扉を開けないことには今日は帰ることができない。俺はとっとと帰って【プ○キュア】の続きを観なければならないのだ。

 俺は『育才部』と書かれた張り紙のある扉を五回軽くノックした。

 ちなみに、扉をノックするときのノックは三回が基本だ。トイレをノックするときは二回であるため、それ以外と区別しているらしい。昔、高校の面接の練習で指摘されてから俺はずっとノックはいつでも五回している。なぜかと言うと特に意味はない。ただ少しそのときの教員の鬼の首でも取ったかのような言い方にむかついただけだ。いや~、カリギュラ効果ってホントなんだね。


「…………」


 中からは誰の声も返ってこない。


「先生、今日って本当に部活あるんですか? もしかしたら休みだったってことも」

「いや、平日は毎日活動していると聞いている」

「ならまだ始まってないってことですかね?」

「それもないだろう。活動時間は四時半から六時までと聞いた。そして今の時間は五時ジャストだ」


 そう言って先生は俺に短針がちょうど五の位置を指す腕時計を見せてくる。ちなみにその腕時計はごついメンズのアウトドア向けのものだった。キャンプなんかのアウトドアが趣味だと前に言っていたのでそのためだろう。もはや先生と一緒だと俺のほうが女子の気分だ。先生が宝塚とか目指していたら百パー色紙持って握手してもらいに行ってたな、俺。


「でもノックしても返事ありませんし」

「ああ、なぜだろう? ……トイレに行っているとかだろうか?」

「先生、女性がいきなり最初の理由にトイレを言うのは少し慎みにかけるのでは?」

「っ……う、うるさい! 今は男女平等社会だ。そんなことは気にするな」

「はあ……?」


 とは言っても、男も女も上品であることに越したことはないのではないだろうか?


「まあいい、それでどうする?」

「俺としてはこのまま帰ってもいいんですけど、こういった面倒ごとはなるべく早く終わらせておきたいですね」

「そうだな、私もあまり暇じゃない。出来れば今日中に見ておきたいところだ」

「じゃあ、とりあえず中に入ってますか? どうせトイレだろうが何だろうが今日も部活があって部員が来ているならいつかはここに来るでしょうし」

「それは別に構わないが、鍵は開いているのか?」

「さあ、どうでしょう?」


 俺は扉に手をかけ、軽く横に引く。すると扉は何の抵抗もなく開いた。


「開いてましたね」

「ああ、だがなぜ中に人がいないのに扉が開いているんだ? やはりトイレにでも行っているのだろうか?」


 なんでそんなにトイレを推してくるんだこの人。我慢してんのか?


「まあそれはいいでしょ。開いてるってことは今日も部活は――」

「誰かしら? 部屋を訪ねるときはノックをするという最低限の常識さえ知らない人間に、この部屋に入る資格はないのだけれど」


 俺が先生に適当に返事していると突如割って入ってくる声があった。その声は透き通るように綺麗なものの何故か険悪さを感じる。というかよく聞いたら結構酷い事言われていた。


「ノックなら入る前にちゃんとしたぞ。そっちが気づかなかったんじゃないのか?」


 俺はその声の主に部屋への入室許可をもらうため、俺たちが最低限常識ある人間であることを証明しようと言う。


「ええ、けれど伝わらなければ意味がないという言葉があるわ。つまり、あなたたちが本当にノックをしていたとしても、私がそれを知らないと言ったらそれはしていないことと同じなのよ」

「ぼ、暴論だ……」

「まあいいわ。それで、この部屋に何か用かしら? ここはあなたのようなヘラヘラした蝙蝠(こうもり)君が来るような場所ではないわ。遊びに来たのなら今すぐ、即刻、下級的速やかにあの世へ帰ってもらえるかしら」


 流れるような罵倒、取り付く島もないな。

 というか何? ヘラヘラした蝙蝠? え、何、それって俺のこと? 俺のことだよな? だってこの部屋俺と先生とこいつしかいないし。まあ確かに俺、昔からハロウィンでは吸血鬼しかやったことないけど。……あの世に帰れとかにも反応していたら話が一向に進まないのでこの際無視する。


「まあ待て。とりあえず、私たちの話を聞いてもらえるか? ここは『育才部』の部室であると聞いたのだがまずそれは合っているだろうか?」

「あなたは……。ええ、そうです。ここは『育才部』であっています。あなたは、一年四組担任の甘地先生ですね?」

「ああ、そうだ。君は一年一組の一ノ瀬雅さんだね?」

「はい。それで、なぜ甘地先生がここに?」

「実はね、今日は彼の付き添いでここを見学に来たんだ」

「付き添い? そこの獣のような目をした男のですか?」


 彼女は俺の方を向くこともなくそう言ってのける。

 いや、獣のような目って……。ん? 一ノ瀬?


「え? じゃあ、こいつが理事長の娘で今年の入学テストで満点を取ったあの一ノ瀬雅ですか?」

「なんだ九十九、知っていたんじゃなかったのか?」

「いえ、名前くらいは聞いたことあったんですが、流石に会ったこともないのに顔までは分かりませんよ」


 そもそも一ノ瀬のことを知ったのだって、誰かが話しているのが偶然聞こえただけだ。生憎と俺にはこの学校に敵はいても味方はいない。まあ甘地先生は味方と呼べるかもしれないが、それでもあの噂を知りはしないだろう。

 だから俺は一ノ瀬雅の噂は聞いたことがあっても、顔も性格も知りはしないのだ。


 俺は改めて彼女を観察する。

 特に印象的なのは腰に届きそうなほど長く艶やかな黒髪。百六十センチはあるだろうか。女子では高い身長に、すらりと長く伸びる脚。顔の造形は言わずもがな、その鋭くも美しい瞳は彼女の才女たる知性を感じさせ、その華奢ながらもしっかりと地を踏みしめて立つ姿は満開の桜の下でも目を引くことだろう。およそ一ミリでもずれてしまえばすべてが台無しになるのではと思えるその計算されつくした彼女の容姿は、これぞ『美』の一つの完成形と言っていいほどに美しい。


「あまりジロジロ見ないでもらえるかしら。そのガラス玉のような空っぽの目に映されるのはとても不愉快だわ。というか、あなたは何? さっきからここにいるし、先生が来たのもあなたの付き添いだそうだけれど、あなた、一体ここに何をしに来たの? 相談なら手短にお願いできるかしら」


 ……良かった。これでこいつが性格も良かったら、世の女性たちは神を狩りに行くかもしれないからな。神殺しは祟りを受けちゃうからやめましょう。山犬に腕食べられちゃう。


「相談? 何言ってんだ、お前? ていうか聞いてないのか? 俺はてっきりお前は知っているものだと思っていたんだが」

「あなたこそ何を言っているの? 新手のナンパ? それとも詐欺かしら? どちらでもいいけれど掛ける番号は110でいいわね?」

「いや違うから! そっちこそ何言ってんの? というか……、え? ホントに知らないのか?」

「だから何のことを言っているのか分からないって言っているでしょう。ナンパでも詐欺でも110番でも何でも構わないけれど、それは私のいないところでやってもらえるかしら」

「いや、やらねえし……。えっと、どうしましょう先生?」


 俺はあまりにも成立しない話に面倒くさくなり、先生に丸投げする。


「まあ、まずはお互い落ち着きたまえ。コーヒーでも飲んで頭を冷やせ」


 先生はそう言うと、手に持った二本のコーヒーを俺たちに手渡してくる。さりげなく奢ってくれるあたりが流石のカッコよさだ。さっきから妙に口出ししてこないと思っていたが、どうやら屋上に買いに行っていたらしい。ちなみに頭を冷やせと言って渡された缶コーヒーはホットでした。しかも俺のだけ。……もしかしたら先生は俺のことが嫌いなのかもしれない。


「それで、一ノ瀬。君は本当に何も知らないのかね?」

「ええ、だからさっきから言っていますが今日あなた方が来るなどといった話は全く聞き覚えがありません。そもそも彼に至っては名前も組も生物名も知りません。興味もないので別にいいですが」

「そ、そうか。まあ、知らないって言うなら仕方ないな。先生が言うってことはその指示があったのは事実だろうし。細かいことはまた後でいいだろう。それじゃあ、あらためて。俺の名前は九十九万才。今日からこの部に強制入部させられることとなった愛と勇気だけが友達の心優しい高校生だ。よろしくな」


「「…………」」


「って、おい! 何で二人とも無視すんの⁉ 小さいころ習わなかった? 人の自己紹介はちゃんと聞いてあげましょうって。ちなみに俺は習わなかった」


 俺が嘘偽りない自己紹介を終えると、先生と一ノ瀬は椅子に腰かけてコーヒーを飲んでいた。その目は机の上の『育才部』と書かれた紙に向けられており、一切こちらを向いてはいない。

 ちなみにさっきのはギャグで言ったつもりだったがあながち間違いではないな。特に愛と勇気しか友達がいないというところは嘘偽りのない事実だと言えよう。まあ、俺の場合愛と勇気でさえ友達ではないのだが。

 勘違いしてはいけないが、あの言葉は、ヒーローは常に孤独であり、決して戦いに友を巻き込んではいけないという考えからの言葉であり、そのことを履き違えて、若しくは知らないでネタとして使ってしまうのは失礼なのでやめましょう。というか恥ずかしい。……俺は恥ずかしい人間なのでセーフだ。(ごめんなさい)


「さっきから君は何をごちゃごちゃ言っているんだ? 早くこっちに来て座りたまえ」

「私は別にずっとそこでそうやって気持ち悪くしゃべり続けていてくれても一向にかまわないのだけれど、目障りだからできればやめてもらいたいわね」

「……そもそも俺が気持ち悪くごちゃごちゃしゃべってたのは、お前に名前を聞かれたからなんだが」


 俺は渋々彼女らの下へ行くと、一ノ瀬の正面の席に座っていた先生の隣に、椅子一つ分空けて座る。


「あら、私は別にあなたに自己紹介を求めた覚えはないわ。私はただあなたの名前を知らないと言ったのよ」

「だから普通それって俺の名前を聞いてんのかな?って思うだろ」

「その後に別に興味はないと言ったじゃない。人の話は最後まで聞くものよ」

「こ、こいつ……」

「まあまあ、とりあえず現状を確認しよう。でなければ九十九はいつまでたっても帰れなくなるし、一ノ瀬はいつまでも九十九が視界に入り続けることになるぞ?」

「さあ、では始めましょうか」

「……二人とも、俺の扱い酷すぎでは」


 俺は今日厄日なのかな?  二人のあんまりにもあんまりな扱いに、流石の俺もそろそろ心が折れそうだ。


「まずはそれぞれが何を認識しているかのかの確認だ。さっきも聞いたが、もう一度現状知りうる情報を洗いざらい話してくれ」

「私は先ほど言った通り、今日誰かがこの部屋を訪れるというようなことは何も聞いていません。そもそもあなた方はここに何をしに来たんですか? ここを訪れる理由は相談しに来るくらいしかないはずですが」

「まあ待て、とりあえずその疑問は彼が話せば分かる。九十九」


 先生に促されたので、俺は一ノ瀬に今日ここに来た理由を簡潔に伝える。


「俺は、今日甘地先生に『育才部』に入部するように言われてここに来た」

「っ――え⁉ 入部?」


 流石に予想外だったのか、一ノ瀬は少し声を上げて驚いた様子だ。

 でもさっき自己紹介したときにちゃんと「今日からこの部に強制入部させられることになった」って言ったはずなんだけどな~。どうやら本当に一ノ瀬は俺の話を聞いていなかったようだ。……俺だって傷つくことはあるんだよ?


「そして私は、今日上から彼をここに入部させるように指示を受けて、どんな部活か気になったからついてきたというわけだ」


 一通りの事実確認が終わると、俺たちはそろってコーヒーに口をつけた。一ノ瀬が俺たちの目的を知らないということ以外は問題無いが、むしろそこが一番大きな問題だ。


「分かりました。話をまとめると、先生が今日上司の方から彼を『育才部』に入部させるように指示を受け、それを彼に伝えてここに来た。けれど何故か私にはその情報が入って来ていない。ということですね」

「まあ、そういうことだ。特に複雑というわけでもないがこの場合部長である一ノ瀬にその説明が来ていないということが問題なわけだな」


 バラバラの情報を自分で要約して理解し、その事実確認も忘れない。流石学年一位の才女だな。こんな簡単な話でもそれを忘れないのは、しっかりとそれが癖づいている証拠だろう。


「なるほどな。理解した」

「ん? 何がわかったんだ?」


 俺のつぶやきに先生が問う。

 斜め前の席では一ノ瀬も何事か考えているようだ。けれどすぐに顔を上げると俺を見た。どうやら話を聞いてくれるらしい。


「まあ、単純にあれでしょ。あくまでもこれは俺個人が自分の意志でこの部に入部したって形にするためです。そもそも考えてみてくださいよ。今回俺は先生に言われてなし崩し的にここにいますけど、普通に考えて一生徒の所属する部活動を強制的に指定するのは問題があります。部長である一ノ瀬がそのことを聞いていないのも、普通、部活動に入部する生徒のことをいちいち事前に知らされたりはしません。だからまあ、これが当たり前なんですよ。俺たちはてっきり一ノ瀬にもその情報が知らされていると思い込んでいたから混乱しただけです」


 まあ、言ってしまえば当たり前のことである。というかなぜさっきまでこの程度のことに気づかなかったのか不思議なものだ。まあ、初めてのことだったから仕方ないか。


「……なるほどな。確かに、その可能性が一番高いだろう」

「ええ、確かに言われてみればあなたが何の抵抗もなくここにいることに違和感を感じるものね」

「よし、この話はこれでまとまったな。何故先生の上司がそんなことを指示したのかは、この際どうでもいい。そもそも考えても分からないしな。それで、俺は別にこの部に入ることに抵抗はないが、それでいいか?」


 これでやっと終わった。そう思った俺だったが、彼女はまだ終わらせる気はないらしい。


「いいえ、お断りします」

「はっ⁉ え? なんで?」

「あくまであなたの意志で入部するという形にするのなら、部長である私がそれを許可するのも拒否するのも勝手でしょう?」

「まあ、……そういうことになるな」

「ではお断りします。だいたい、なぜやる気のない人間を部室に入れなきゃいけないのかしら? それは本気でやっている者に失礼よ」

「いや、それはそうなんだが……。そもそも俺たちはこの部がどんな活動をしているのか知らない。だから今日はそれも聞きたかったんだよ」


 まさか今の話の流れで断られるとは思わなかった。弱ったな。俺は、どうしましょうか?と先生を見る。


「とりあえず一ノ瀬、この部について説明してもらえないだろうか。話はそれを聞いてからでもいいだろう?」

「まあ、私はそれでもかまいませんが。けれど、やる気のない人間の入部を許可する気はありませんので」

「ああ、分かった。九十九もそれでいいな?」

「はあ……まあ。というか俺は別に入部できなくても一向にかまわないんですが。むしろその方がいいまである」


 俺の正直な意見など当然二人の耳には届かない。というかホント俺さっきから理不尽な目にあってばっかりだな。悲憤慷慨(ひふんこうがい)とまではいかないまでも、そろそろ俺も傷ついてきた。


「では説明しますが、まあ、内容はこの紙に書かれていることが全てです」


 そう言って一ノ瀬が指さしたのは先ほどまで二人が目を向けていた『育才部』と書かれた机の上のA4用紙だ。


「これは私もさっきまで見ていたが、正直書かれている内容だけではいまいちピンとこないのだが」

「え~っと、何々」




 『育才部』

一、 活動目的

  ・他者との交流を経て才を磨き、己を知る。

二、 活動内容

  ・悩み相談?

  ・ボランティア活動?

  ・部活動の助っ人?

  ・生徒会(イベント時)の雑務?

  ・その他、依頼を受けた活動など?




「……なんだこれ?」


 読み終えた俺は自然と声を漏らしていた。書いてある内容はとても少ないのだが、よく見ると活動内容がとても多い。生徒会の雑務? ボランティア? たったこれだけの文字数にこれほどの面倒くささを感じたのは初めてだ。

 というか活動内容すべてに“?”がついているのはおかしい。絶対これ考えた本人も何するか分かってねえだろ!


「それが全てよ。この部を作ったのは私の父、つまりこの学園の理事長。この学園の校風は知っているでしょう? この部はそのために作られた部なの」


 言われて入学式の日のおっさんの言葉を思い出す。


「……ああ、なるほど。要は人と関わりの薄い人間に他人と交流する機会を設けて、自らの成長に繋げる、という感じか?」

「まあ平たく言えばそういうことよ」


「それは、自分の成長のために他人を使う、ということか?」

「言い方を変えればそういう意味にもとれるでしょうね」



 ――あんたみたいな人間に、私の何が分かるのよ‼


 ――暇つぶしで人の人生メチャクチャにして何が楽しいんだ⁉


 ――人間と比べんなよ、化け物が……!


 ――……私の努力、返してよお……っ



 ふと俺の脳裏をよぎった過去の声達。それは俺の罪。俺が俺のために人を使った結果。


「……ならお前は、自分のためなら他人を犠牲にしてもいいって言うのか?」


 知らず俺の発する声が数段低くなる。思わず責めるような言い方になってしまった。


「そうは言っていないでしょう。だいたいこの部の活動内容を見なさい。ボランティアや相談、雑務みたいなものばかりよ。むしろ私たちが利用されるの。それに別に強制しているわけじゃないのだから犠牲も何もないでしょう?」

「っ、それはそうだが」


 俺は言葉に詰まる。彼女の言葉はまったくの正論だ。少し内容が似ていたからといって、昔の俺とは違う。これは言い換えれば人のために尽くす行為だ。人を助ける目的が他者との交流のためなのだから、むしろ素晴らしいことだろう。人を利用するという言葉にも解釈は沢山ある。それだけを聞いて動揺してしまった自分が恥ずかしい。


「九十九、君にどんな思いがあるのかは知らないが、一ノ瀬の言っていることは正しい。それは君も分かるだろう?」

「いや、まあ……はい……。すみません。少し熱くなってしまいました。その……、一ノ瀬も悪かったな」

「いえ、別に構わないわ。人を利用するという考えはあまり褒められたものではないというのも事実だもの。たとえそれがその人のための行動であっても、そこに打算があるのなら美しい行為とは言えないわ」


 一ノ瀬は少し俯いていた。それは俺に向けられた言葉ではなく、どこか自分に言い聞かせているようにも見える。もしかしたら彼女自身何か思うところがあるのかもしれない。まあ、それを聞いたとしても俺に分かることはないし、そもそも話してはくれないだろうが。

 一ノ瀬の言葉の後に誰も口を開くことはなく、少しの沈黙が場に漂う。

 ……何度も言うが俺はこんな気まずい空気が苦手だ。口を開いて失敗するわけにもいかないのに、何を言っても間違っているように感じる。しかも今回は自分のせいなのだから尚更だ。いや、マジでどうしたらいいんだ?

 俺が何を言うべきか迷っていると、隣で『パンッ』と強めに手を叩く音がした。仕切り直しということだろう。見ると甘地先生が口を開く。


「よし、まあ考え方は人それぞれということだ。それで九十九、君はどうする? 今の説明を聞いてこの部に入部する気にはなったかい?」


 いつもより数段明るい口調で先生は俺に問う。そこからは俺たちへの、俺への気遣いが見て取れ、やはり先生の優しさを感じた。


「そうですね。まあ、もともと入部する気でしたし。そもそも俺が入部しないと先生が困るんでしょう? だったら俺はそれに従いますよ」

「違う! そういうことを聞いているんじゃない。私のことを気遣ってくれるのは嬉しいが、今私が聞いているのは君がこの部に入りたいかどうかだ。別に入りたくないというのならそれで構わない。上には私から言っておく」

「…………」


 今度はさっきとは違っていつもより厳しい口調だった。それでもやはりその言葉の節々からは俺への優しさを感じる。

 けれども俺はすぐに言葉を返すことは出来なかった。


「だいたい、そんな理由では入部を認めないとさっき言わればかりだろう? そうだね、一ノ瀬」

「ええ、私はお遊びや仲良しごっこのために活動しているわけではありませんので。意欲のない人間はこの部には必要ありません。というより、むしろいられては迷惑です」

「…………」


 大体なぜ俺がこんなことで迷わなければならないのだろう?

 そもそも俺は入れと言われたからここに来ただけだ。断ると世話になっている甘地先生が困ると言うから素直に従った。

 もしこれが他の先生だったなら俺は速攻で断っていただろう。いくら暇だと言っても家に帰ればやろうと思っていることは沢山ある。とりためたアニメや、漫画、小説などなど、遊ぶだけだと言われればそうだと言わざるを得ないが、それでも俺にとっては大事な時間だ。だからそれらの時間を無駄にしてまでこの部活動に入りたいかと問われている今、俺の答えなんて決まっている。

 

 もちろん入部なんてしない。

 だいたいもうとっくに自分なんて捨てた俺が、今更人と関わったところでどうにかなることなどあり得ないのだ。


「俺はっ、……俺はっ?」


 俺はさっさと「入部しない」と答えて帰ろうと思い口を開こうとして………出来なかった。

 何故か? それはよくわからない。無理をしてでも「入部しない」と声を出すことは簡単だった。けれど俺の中の何かが言っているのだ。このままの俺では嫌だと、このままではいけないと。多分それは俺がずっと感じていたこと。

 きっと俺はこの時、期待してしまったのだ。この部でならもしかしたら欲しかった答えが見つけられるんじゃないかと。

 犯した罪から目を背けて、前に進もうとしたのだ。


 まあ、言い訳でしかないが贖罪と言えなくもない。罪には罰を、義務には権利を、が世の常識である。故に俺が罪を償うためにこの部に入部するというのも道理は通る。


 ――まったく、嫌になるほど変わらないな、僕も。


「……俺は、入部したいと思っている」


「「っ⁉」」


「……正気? あなたさっきまで面倒そうにしていたじゃない。何? 適当に入りたいと言えばいいとでも思っているの? 心からの言葉でないのならどのみち認めるわけにはいかないわ」

「九十九、別に私のために無理をする必要はない。そもそもこんな話自体がおかしいんだ。始めは君のためになるかと思って強引に入部させるつもりでいたが、君が本当に嫌なんだったら断ってもいい」


 一ノ瀬は急に態度が変わった俺に疑いの目を向け、先生はそもそもの原因である上の指示に怒りをにじませる。

 まあ当然だな。さっきまで入部したくないと言っていた人間がいきなり入部したいと言い出したら疑われるのは当たり前だ。


「疑う気持ちはよくわかる。俺も正直今の今まで入部したいなんて思ってもいなかった」

「だったら」

「まあまて。とりあえず話を聞いてくれ」


 俺は入部させてもらうために二人にその理由を話す。と言っても一から全てを話すのは無理だ。そもそも俺だって何で入部したいのか本当のところはまだよく分かっていない。だから適当にそれっぽい事を言って納得してもらおう。


「俺はさっきの話を聞いて感動したんだ。自分のために人を使うと言っても、それが双方にとってメリットたり得るのならそれは素晴らしい関係なのだと理解した。ならば俺も俺のために人を使いたい。親身になってくれていると勘違いしているやつらを見て優越感に浸りたいんだ。それに、打算のない関係は信じられないが、どうせ始めから利用する気でいるんなら安心できるからな(ドヤッ)」

「「………」」


 あれ? 無言。無言である。

 俺渾身のカッコいい理由とどや顔は二人の心に響いたのだろうか?

 まあ、そうだろうな。むしろあんなに素晴らしいい理由を聞いたら、俺なら惚れてしまうね。


「どうしたんだ?二人とも。まあ、そうなってしまうのも無理はないか。確かに俺の高論卓説極まりない理由を聞いたら、流石の俺でも感動しちゃうもんな」

 

「この男、何を言っているのかしら? というか本気で今のが理由なの? 前半はともかく後半はほとんど自分の欲望だったのだけれど」

「まったくだ。嘘だとしてももう少し何かなかったのだろうか? 今の話を聞いて感動するものなどいるわけないだろう」

 

 どうやら俺の言葉は二人には届かなかったようだ。少し残念だがちゃんと理由は説明した。これで入部も認めてもらえるだろう。


「んんっ……、まあ、これで理由も話したし入部しても問題は無いな?」

「あなた、まさか本気で今のを信じろって言うの? 明らかに適当に思いついただけだったじゃない。そんな理由で入部許可なんて出すわけないでしょう」

「ああ、一ノ瀬の言うとおりだぞ、九十九。本気で入部したいのなら本心を言え。それともさっきのが本当の理由だったのならそれでもいいが、それじゃあ一ノ瀬は納得しないだろうな」


「……はあ」


 まあ、分かっていたことである。流石の俺もさっきの理由を信じろと言われても信じられるわけがない。

 仕方なく俺は嘘じゃない理由を話すことにした。

 無意識に自分の声が低くなる。さっきとは違って今度は何の感情も含まない無機質な声。けれど何故か自分の声が酷く懐かしいものに感じた。


「この部なら、昔俺が犯した罪を償えると思ったからだ」

「「っ」」


「理由はそれだけだ。嘘だと思うならそれでもいい。一ノ瀬、お前が決めてくれ。それと先生、俺ちょっと外の空気吸ってきます。少ししたら戻るんで」

「え……あ、ああ。分かった」


「「「…………」」」


 しばしの沈黙が場を包む。

 俺は机の上の空になった三人分の缶を手に取って一旦席を立つと、教室を出て屋上へと向かった。この学校の屋上はどちらの廊下の端からでも出ることができるのだ。



 俺の言ったことについて、二人は何を思っただろうか?

  自販機で空の缶を捨てて、また新たなブラックコーヒーを購入した俺は、ベンチに腰掛け考える。

 さっき二人に言ったことは間違いなく俺の本音だ。けれど、それは俺だから分かることだ。何の事情も知らない彼女たちにそれだけ言ったところで、何も分かりはしないだろう。もしかしたら、また冗談だと思われたかもしれない。まあ、それならそれでいいのだが。

 もしこれで一ノ瀬に入部を拒否されても、それはそれで構わない。そもそも彼女からしたら俺は今日知り合ったばかりの他人で、名前も知らない男子生徒だ。そいつが入部理由に贖罪のためとか言っているわけだから、

「知るか、そんなこと。というか興味ねえよ」

 って話である。まあ、一ノ瀬がどう思うかなんて俺には分からないけどな。


「はあ、何でこうなるんだろうな」


 本当にどうしてこうなったんだ?

 今日は朝から遅刻したり、叱られたり、変な部に入部させられそうになったり、その変な部に入部させられるはずだったのに何故かこちらから頼み込むことになったり、ホントに濃い一日だった。

 ……最初の二つはどう考えても俺が悪いな。だが、後半はどちらかと言うと俺を『育才部』とかいう部に引き込もうとする上の人間が悪いと思う。だいたい本当に誰なんだろうな、こんな面倒なことに巻き込んでくれた先生の上司ってのは。


「疲れた~」


 そう嘆いてみても返ってくる声はない。

 スマホで時刻を確認すると、もうすぐ六時。先生があの部の活動時間は平日の午後四時半から六時までだと言っていた気がする。

 あまり時間を過ぎては悪いので、俺は重い腰を持ち上げると飲んでいたコーヒーを一気飲みして手近なゴミ箱に放り込み、また教室へと戻った。

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