第7話 一ノ瀬雅の形

「この部なら、昔俺が犯した罪を償えると思ったからだ」


 その声は、先ほどまでの妙に嘘くさいふざけた口調とは似ても似つかない無機質なものだった。およそ何の感情も含んでいないような重く冷たい声。

 それでも彼の目はさっきとまるで変わらない。ずっと空っぽで何の感情も読み取れない、それでいて赤く美しいガラス玉のような瞳。それを見ていると、何故かとても不安になってくる。言いようのない感情に飲み込まれそうになる。

 けれども今は彼のその変わらない瞳に、少しの安心感を覚えた。


「理由はそれだけだ。嘘だと思うならそれでもいい。一ノ瀬、お前が決めてくれ。それと先生、俺ちょっと外の空気吸ってきます。少ししたら戻るんで」


 彼はそう告げると、私たちの飲み終わった空き缶を持って教室を出た。お礼を言わなければと思ったが私の口は開かなかった。


「「…………」」


 彼が教室を出た後も私たちの間には沈黙が流れた。どうやら先生もあのような彼を見るのは初めてのようだ。


 彼は言った、私が決めろと。あくまで彼はこの部に自分の意志で入部したいと言っていた。ならばその言葉が嘘だとしても彼の本心だとしても、入部許可を求められた以上、部長である私にはしっかりと彼と向き合って、真剣に検討する義務がある。


 正直、私は彼のことを何も知らない。名前さえまだまともに聞いてはいないのだ。彼とは今日ここであったのが初めてで、そのおどけた態度と感情の読み取れない瞳には不快感を覚えた。甘地先生が付き添いで来ていたので話を聞いたが、もしも彼一人だったらすぐに追い返していただろう。まだこの部ができて一月ほどしか経っていないがこの部を訪れる生徒はそれなりにいた。けれどそのほとんどが男子生徒で、私と親しくなりたいという下心が見て取れるものばかりだった。

 まあ、それは仕方のない事だとも思っている。私は周りよりも優れた容姿をしていることも理解しているし、そのほかのことについても平凡などでは決してないということも知っている。周りが私を見る目はいつも表向きは羨望や憧ればかりだが、その裏では嫉妬や憎悪の感情を向けられていることも知っている。それは子供の頃からのことなので今更何も感じることはないが、迷惑で煩わしいということには変わりはない。

 そんなものに屈して、私が生き方を変えることなんてありえない。私はずっとそんな人間を遠ざけてきた。いつも突き放すような態度をとり続けてきた。でも、だからこそ、私は他人との関わり方が分からない。私はあの人のようには生きられない。なぜなら知らないから。私にそんな感情を持たないで私を見てくれる人を私は家族以外に知らない。いや、家族でさえ本当のところは分からない。


 だから彼もそんな人間の一人だと思った。だから、いつも通り遠ざけようと厳しい態度で接した。


 けれど、話していて違和感に気づいた。彼の目からは他の人のような感情を感じないのだ。私に対しての下心も、嫉妬も、憧れも、何も感じない。そんな瞳を私は知らない。だから少し話を聞いてみることにした。その話は単純なことだった。つまりは彼をこの部に入部させたい。そんなことだ。けれど、いくら彼が他の人と違うからと言って、やる気のない人間をこの部に入部させるわけにはいかない。組織の中に働きアリと働かないアリが出てくるのは当然だが、せっかくの一人の空間だ。望んでダメにするのはデメリットでしかない。私はすぐに拒否した。先生が言うので軽くこの部の活動内容を説明すると、彼は少し私を責めるような口調で言った。


「お前は自分のためなら他人を犠牲にしてもいいって言うのか?」


 なぜかその言葉は実感を伴っているように感じた。私は理路整然と否定したけれど、彼の言いたかったことはそんなことではないのではないかと思った。勿論、私の言ったことが間違っていたとは思わない。けれどもやはり、『犠牲』と言う言葉はなかなか頭から消えることはなかった。


 先生に入部の選択を聞かれた彼は意外にも即答することはなかった。甘地先生にも話を振られ、私も私の考えを話す。だが、それにも彼は答えない。訝しんでいると、彼の様子が少し変わったように見えた。諦めて帰ろうと言い出すのかと思えば、なぜか入部したいと言う。でも、彼はそもそも巻き込まれただけのはずだ。甘地先生に気を遣って入部を承諾しただけで、断られてしまえばそれはそれで彼に影響はない。むしろそちらの方が彼にとっては望む形になるだろう。私が否定し今度は甘地先生も彼の本心を聞きたがった。


 それはそうと、先ほどから思っていたが甘地先生はとても良い先生だと思う。きっと私が出会ってきた大人の中で一番と言ってもいいほどに優しい人だ。それは彼女と彼のやり取りからも伝わってくる。もし私が彼の立場だったとしても、彼女のためになら入部してもいいと思ったかもしれない。



 彼の理由を聞き終えた私たちは絶句した。まさかその理由で本当に私が納得すると思っていたのだろうか? 私の言葉に先生も肯定する。すると、私たちがその理由では納得しないことが伝わったのか彼は一度ため息を吐いた。そして、先ほどまでの嘘くさい笑顔をしまうと、言ったのだ。贖罪のためだと。



 私は考える。このまま彼の入部を認めたとして、それは正しい選択なのだろうか? さっきの言葉が嘘だとは思わないが、それでもその正確な意味が分からない以上簡単には判断できない。

 私が考え込んでいると、今までずっと黙っていた先生が口を開いた。


「一ノ瀬、九十九のさっきの言葉。君はどう思う?」


 それを聞いても意味はないことなど先生も分かっているのだろう。きっと本当はもっと他に聞きたいことがあって、これはそれを切り出す上の句のようなものだ。


「……分かりません。そもそも私は彼と会ったのも今日が初めてですから。先生こそ何か彼の言葉に心当たりはありませんか?」

「いや、正直なところ私も九十九のことについては本当によく知らないんだ。奴は真面目な話になるといつも馬鹿を言って煙に巻くからな。……ただ前にも一度似たようなことを言っていた気がする」

「……そうですか。では、やはり先ほどの彼の言葉は本心から出た言葉だったということでしょうか?」


 私は、率直に尋ねてみる。言葉の意味までは分からないにしてもそれが本心かどうかは考えることができる。


「さあな。ただ、私としては出来ることなら彼をこの部に入部させてやってほしい。勿論、最終的に決めるのは君だが、それでも彼は何かを抱えていると私は思う。それを解決してやるのがこの部の活動意義なのだろう? ……それに、彼といればもしかしたら君の抱えている悩みのヒントにつながるかもしれないぞ」

「っ……」


 先生の見透かしたような瞳に一瞬身体が強張る。特にこれと言って思い当たるような悩みはないが、なぜか先生のその言葉は確信を持っているように感じた。不思議だ。少なくとも私は今まで先生に隙を見せた覚えはない。だがそれを悟られるわけにもいかないので私は軽く受け流す。


「それは心強いですね」

「フフ、まあいいさ。さっきも言ったが最終的に決めるのは君だ。私としては君たちにもドキドキワクワクの青春ラブコメを体験してもらいたいがね」


 私が聞き流そうとしているのが分かったのか、先生はからかうように言って笑った。


「先生、いくら何でもあの男とラブコメするなんてあり得ません。冗談を言うのはかまいませんがもう少し笑える類のものにしてください」

「ハハ、そうかそうか。ならば奴は私がもらうとしよう」

「それはおめでたいですが、彼が卒業するころには先生はいくつになるんでしょうね?」

 からかわれたのが少し悔しかったのでチクリとやり返す。

「ハッ、ハハハハ…………ハア」


 それきり先生の笑いは枯れてしまった。……流石に言いすぎたかしら。

 時計を見るともうすぐ六時になるところだ。そろそろ結論を出さなければいけない。

 先ほどの先生との会話、先生の指摘に動揺してしまい流してしまったけれど、それは先生がわざと私の注意を他に向けさせるために言ったというのもある。


『私としては出来ることなら彼をこの部に入部させてやってほしい』


 きっとこれが先生の本音だ。わざわざ分かりきっている上の句の話を振ってきたのもこれを私に伝えるため。

 けれど正直もう答えは出ている。先生に言われずとも彼の言葉を聞いたとき、すでに私の答えは決まっていた。





「三か月よ。三か月だけ付き合ってあげてもいいわ」


 ……へ?

 俺が教室へ戻ると開口一番一ノ瀬が言った。俺はいきなりのことに間の抜けた声をだし、先生は黙って見守っている。どうやら口をはさむ気はないようだ。


「どういう意味だ? あれか、レンタル彼女の逆か。なんだお前、ツンデレってやつなのか? 俺に惚れてたんならそう言えよ。けど悪いな。俺はプライベートまで縛られる契約はしないんだ。まあ、お前ならそのどぎつい性格と優しさのかけらもない言葉選びとしゃべるたびに人を罵る癖を直せば、きっとそのうちいい人見つかると思うぞ。……ごめん、やっぱ無理かも」


「何を言っているのかしら? レンタルカノジョ? レンタカーならいらないわ。そもそも私があなたに惚れているだなんてあるわけないでしょう? 二度と言わないで。とても不快よ。そうではなくて、明日の六月一日から八月の三十一日までの三か月間だけあなたの入部を認めると言ったのよ」


「ああ、なんだ、そういうことかよ。……え? けどなんで三か月なんだ? 普通にオッケーで良くないか?」


「私はまだあなたを正式に認めたわけではないもの。たださっきのあなたの話は間違いなく本心だった。少なくとも私はそう思ったわ。だから三か月よ。もしも三か月経ってあなたのことを今よりも知った時、もう一度考えるわ。それで……どうかしら?」


 饒舌に語っていた一ノ瀬だが最後は少し自信なさげだった。あまり人に提案したりすることには慣れていないのかもしれない。


「なるほどな。まあ、俺はそれでもいいぞ。じゃあ、その、なんだ……。これから夏までよろしくな」

「え、ええ、こちらこそ……よろしく」


 あまりこの手のことに慣れていないのは俺も同じだ。言っていて恥ずかしくなった俺とそれにつられた一ノ瀬。正直言ってとても恥ずかしい。


「先生、じゃあ、まあ、そういうことなんで。俺は無事掃除当番にならずに済みそうです。夏までですけど」


 俺は気恥ずかしさをごまかすため先生に言う。


「分かった。まあ、二人ともせいぜい青春ラブコメを満喫するんだな。じゃあ、私は先に行く。また明日な」


「「…………」」


 からかうように言った先生は先に教室を出た。今から職員室に寄って残りの仕事を済ませるのだろう。よくそんなに働いて平気でいられるものだ。まったく先生には頭が上がらないな。


「じゃあ、その、なんだ、もう部活も終わりだろ? 入部届なんかは今持ってないから明日書いて持ってくるってことでいいか?」

「え、ええ、それでかまわないわ。私は職員室に鍵を返しに行くから先に出てちょうだい。では、また」

「あ、ああ、また明日な」


 なんだろうこの恥ずかしい会話は。少し一ノ瀬との距離が縮まったような気がする。


「ああ、けれどあまり私に干渉してこないでちょうだいね。あなたのその真っ赤な目、私嫌いだから」


「……はあ」


 どうやら別にそんなことはなかったらしい。やはり俺は入部なんてするんじゃなかったと今更ながらに思うのだった。

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