第4話 チャーハンの形

 リリリリリリリリリリリリリリリリリリリ―――


「んんっ……んんん……ッ! あっ、あああああっ‼」


 ガンッ!


 朝。俺の眠りを邪魔する不届き物を、武力をもって制裁した俺は、そのまま夢の国へとダイブする。つまりは二度寝だ。

 しかし不思議なものだ。夜に寝ようとするとなかなか寝付けないのに、朝の二度寝は本当にすぐ寝られる。二度寝こそが最高の幸せであると言っても過言ではない。まさに功利主義の理想形。つまり、幸せを求めるなら二度寝をするべし‼ 俺は常に幸せでありたいからもちろん二度寝を選ぶ。


「お休みなさ~い」


 誰にともなく言ったその言葉に返ってくる声はない。おかしいな、いつもなら妹が優しく布団をはぎ取ってくれるのに。いや、全然優しくないな、それ。うん。

 今何時だ?と思って目覚まし時計を見るが、何者かによって投げつけられたようにボロボロで、中の針はすべて折れて外れてしまっていた。一体だれがやったのだろうか?  コナン君もお手上げの難事件だ。……目覚ましっていくらぐらいだったっけ?


 いつまでも妹が来てくれないので仕方なく、俺は重たい身体を引きずりながら部屋を出て一階のリビングへと向かう。途中いくつかの部屋の前を通ったが何の物音も聞こえなかった。

 やはりおかしい。この家には母、姉、妹、俺の四人いるはずなのだが。遂に僕ちゃん捨てられちゃったかな~、と割と真剣に考えちゃったりする。ちなみに父は昔出ていったので今はいない。

 まあ、それはいいとして、本当にみんなどこ行ったんだ? いつもなら妹が作ってくれた朝食を食べたあと、アニ○ックスで適当なアニメを見て登校するのだが、今日は家に誰もいないようだ。

 ちなみに母さんはキャリアウーマンで、バリバリ働いてくれているため家事は俺たちで分担して行っている。食事当番は妹のまなみだ。というかほとんど妹に頼りきりだ。

 ふと、机の上にあった紙きれが目に留まる。キャラクターの絵が描かれたメモ用紙が丁寧に折られ、飛ばないようにその上にリモコンが置かれていた。


「何だこれ?」


 不思議に思ってリモコンをずらして目を通してみる。



 【まなみメモ】

 おはよう、おにいちゃん!

 昨日おにいちゃん、帰ってくるの遅かったからいっぱい寝たいと思って、目覚ましセットしなおしといてあげたよ♪

 多分おにいちゃんが起きるころには私たち学校行ってると思うからメモ残しとくね。

 あ、朝ごはんはトースターの中に入れといたからあとは自分でやっといて。

 あと、ちゃんと学校行かなきゃだめだよ。

 じゃあ、またね。


                            愛しの義妹より

 【追伸】

 やっぱり普通に妹って書くより義妹って書いた方がお兄ちゃん的には嬉しかったりした?



 ……ツッコミどころを上げれば切りがないが、一つだけ言わせてもらおう。


「義妹だろうが実妹だろうが、俺はまなみを愛している‼」


 これだけは言っておかなければならなかった。いや別に、俺はシスコンってわけじゃないよ? ないからね? ただ妹大好きなだけだから‼ ……ごめん。やっぱシスコンかも。まあ、俺がシスコンかどうかなど今はどうでもいいことだ。いや別にシスコン疑惑が否定できないからとかじゃないよ? ……ホントだよ?

 俺はもう一度まなみのメモを読む。



 ――うん、流石はまなみ。とても優しい。ホント優しい。どこが優しいって特に俺が眠そうだからって平日だろうが関係なく目覚ましセットしなおしちゃうところに愛を感じるね。

 いや~俺にはこんなに優しくて素敵な妹がいて幸せだな~。

 ……でもね、まなみちゃん。どうせなら俺の通知表にも優しくしてあげて欲しかったな~、うん。お兄ちゃんこれ完全に遅刻だ。ハハハ………ハハ(諦め)


 いや、なんとなくそんな予感はしていた。さっきから俺の目が無意識に時計を避けていたのも多分そういうことだろうとは思っていた。うん。だって俺昨日メチャクチャ夜更かししちゃったし。


 そう。というのも、昨日俺は珍しく遅く帰ったのだ。

 先生の呼び出しの後、妙に小腹の空いた俺は家に帰る途中で見つけたラーメン屋に立ち寄って夕飯を済ませた。ここまでは良かったのだが、その後電車の中で寝過ごしてしまったせいで何駅かすっ飛ばしてしまい、戻ってくるのに随分と時間がかかってしまったのだ。

 結局家に着いた頃には二十一時を回っていて、予想通りまなみが作ってくれていた夕飯は姉に食べられてしまっていた。残っていたのはパセリくらいだ。とても美味しい草の味でした。

 そして俺が風呂から上がる頃には皆自室に引っ込んでいたので、昨日はろくに顔を合わせることもなかった。俺は自室に戻ったあと、電車の中で寝ていたせいでなかなか寝付けず、仕方ないのでそのまま【平日深夜のわくわくアニメ鑑賞会】を開催していたのだ。そしていつの間にか眠ってしまって今に至る。


 ……ん? いやちょっと待って。

 そういえばまなみは朝俺の部屋に入って目覚ましをセットしなおしたんだよね?

 ちなみに俺は昨日、アニメをネット契約のアプリで視聴していた。そして俺には、テレビを消した記憶もアプリを閉じた記憶もない。だから俺が起きた時にもそのアニメはずっと流れていたわけだ。そう、それは当然それよりも前、朝妹のまなみが俺を起こそうと部屋にやってきたときも例外ではない。……その意味を理解した瞬間、俺の顔からサーッと血の気が引くのが分かった。


「見られ……たのか……?」


 その俺のつぶやきは、誰もいないリビングで異様に大きく感じた。

 俺が昨日観ていた作品。それは誰もが知っている国民的美少女アニメ【プ○キュア】である。昨夜、俺はそれを初代から順にずっと鑑賞していたのだ。だがしかし、まさかそれを妹に見られるとは。


 ………………よし、忘れよう。うん。いいよね別に。男子高校生がプ○キュア見たって。名作に男向けも女向けもない‼ 皆違って皆いい‼ そうだよ、『金子みすゞ』も言ってんじゃん! ……いや、それは違うな。こんなこと言ってたら文系の人に怒られちゃう。

 まあ、過ぎてしまったことは仕方ない。幸いメモには何も書かれていないし、まなみも俺の妹だ。そこらへんは理解がある子だと信じよう。……うん。


 そんなことより俺には今、やらなければならないことがある。そう、それは囚われたお姫様を助けに魔王城へ攻め入るよりも俺にとってはよっぽど勇気がいることで、それは遥か前前前世から俺に課せられた業(カルマ)。だが俺は、そんな過酷な運命を受け入れて前に進むと決めたのだ。

 だからここで逃げるわけにはいかない‼ 

 ……はい、時計を確認するだけですね、はい。ごめんなさい。ちょっとカッコつけました。

 俺はアレルギーかと思うほどの拒否反応に何とか抗い、最後の望みとばかりにリビングの時計に目をやる。瞬間、俺の望みは完全に断たれた。例えるなら、魔王城にたどり着く前に城の階段ですっ転んで頭打って死ぬくらいあっけない最期だった。

 俺たちの学園の登校時間は八時半。そして今、俺の目に映る時計の短針は十一を過ぎたあたりで止まっていた。つまりは遅刻。完全な遅刻である。思わずカレンダーを確認するが、今日は平日。土曜でも日曜でも祝日でも夏休みでもない。


 いや、分かっていた。もうどうせ確実に遅刻だということは分かっていた。けれど、やはり見てしまうと少し落ち込む。世の中には見なければ良かったと後悔することだってたくさんある。ペットの死などもそういうものだろう。いや、こんなくだらないことと愛する者の死を同列に考えちゃ悪いか。

 猫型ロボットに泣きつけない以上、もう今日はこのまま休んでしまおうかとも思うが、まなみが行けというなら行くしかない。お兄ちゃんは、妹のお願いはお嫁に行く許可以外は聞かなければならないのだ。それに俺は諸事情あって家族には逆らえないしな。


 もう昼飯である妹の作ってくれた朝ごはんを食べる。

 朝ごはんと言ってもトーストと目玉焼きぐらいしかないので、正直、朝昼二食分には物足りない。何かないかと冷蔵庫の中を確認すると、卵やベーコンといった一通りの食材はそろっていた。我が家の冷蔵庫はまなみが実効支配しているため、勝手に食材を使うと怒られてしまう。が、まあ、帰りにアイスと一緒に買い足しとけば大丈夫だろう。今更急いだところでもう午後の授業には間に合わない。それにお昼休憩が一時までだから、午後からの授業まではまだまだ余裕がある。

 とはいえ、あまり手の込んだものを作れるほどの時間もない。我が家から一ノ瀬学園までは駅を三つほど挟んだ距離だ。そこから少し歩くので片道に二十分はかかる。遅刻しといて今更ではあるが、あまりギリギリに登校するのは周囲の目が気になるので避けたい。お昼休みにしれ~っと教室に入って、さも始めからいましたよ~という感じに席に着く作戦なのだ。

 時計に目をやると、今ちょうど短針が正午を指したところだった。


「よし、チャーハンだな」


 なるべく手のかからずお腹の膨れるものといえば、やはりチャーハンだろう。

 俺は手慣れた所作で調理を進める。これでもまなみがまだ小学生の頃は、包丁を持たせるのが怖かったので俺が家事当番だった。今でも我が家で一番料理が上手いのは俺だろう。ちなみに一番下手なのは姉さん。その次が母さんだ。二人とも眉目秀麗、才色兼備という言葉が似合う完璧超人のスーパービューティフルウーマンではあるが、こと家事においてはとんでもないポンコツなのだ。姉さんなんて未だに洗濯機と乾燥機を間違えることがある。この間なんて乾燥機に洗剤を入れて、修理に来た業者さんに何故か俺が笑われてしまった。


 そんなことを考えているうちに調理はどんどん進んでいく。後はフライパンに具材をぶち込んで焼くだけだ。やはりチャーハンを作るときはこの香ばしいタレの匂いと、「ジュワー」という耳に心地いい音が癖になるな。

 そして完成。わずか数分の作業だった。まあ今回は卵とベーコン、グリーンピースぐらいしか使ってないからすぐだったな。本来ならここにエビやサバ缶なんかも加えるのだが生憎と今日はあまり食材がないうえに時間もない。十分な出来といえよう。


 あまり時間をかけていられないので、手早くいただくことにする。

 料理なんて随分久しぶりにしたが、米は一粒一粒がパラパラと油とタレでコーティングされていて、タレは濃すぎず薄すぎずの絶妙の仕上がりとなっていた。率直に言ってとても旨い。もう下手な店なら客に出せるレベル。うん、やっぱりすごいね『チャー○ンの素』。



 洗い物を済ませた俺は時計を確認する。十二時半には家を出たいが、まだ十分ほど余裕があった。コーヒー一杯飲むぐらいはできるだろう。


 俺は台所の隅のコーヒー専用スペースからポットとドリッパーを取り出し、お湯を沸かす。サイフォンやコーヒーメーカーを使用しても良かったが、せっかくなのでドリッパーを使う。紅茶でもそうだがコーヒーにとって水はとても肝心だ。できるだけ新鮮な水を使うことをお勧めする。おすすめはミネラルウォーターだ。

 お湯が沸くまでに豆を用意する。専用の冷凍庫からジッパー付きの袋に密封保存された豆を取り出し、マジックで産地、品種、ブレンド方法、焙煎度合いなど細かく明記されたものの中から『オリジナルブレンド(朝)』と書かれた袋を取り出す。これは俺が朝食用に自分でブレンドしたものだ。朝は眠気を覚ましたいので結構苦味強めだ。


 開封し、計量計とタイマーがセットになったスケールで豆を計り取る。電動のコーヒーミルに豆を入れ、スイッチを押すと豪快な機械音を出して豆が挽かれだす。

 このタイミングでちょうどお湯が沸いたのでポットにドリッパーをセットし、ドリッパーにフィルターを取り付ける。この時、フィルター全体にお湯をかけ、ポットを温めておくのがポイントだ。まあこの手順は人によってはいらないと言う人もいるので、個人の好みによる。というか、コーヒーは結構個人によって淹れ方が変わる。それが面白いところであり面倒なところだ。ペーパーの代わりにネルを使用しても良かったが、あまり拘っていては時間がなくなってしまうので今日は紙を使う。

 水を捨て、コーヒーミルから挽き終わった粉を取り出しフィルターにセット。タイマーをセットし、一定時間ごとに適量お湯を注ぐ操作を繰り返す。

 コーヒーらしい上品かつ力強い香りがリビングに広がる。

 最後の一滴まで落としきらず、少し残した状態でドリッパーを別の容器に移し替えて終了。コーヒーカップに注ぎ、ドリッパーなどを洗う。一杯いれるだけでも結構な手間だが、慣れると五分ほどで終わる。


 時間もないので、俺はソファーに腰かけ優雅にそれをすすった。

 ナッツ系の香ばしく苦味の強い味わい。朝の眠気も吹っ飛ぶな。今は昼だが。

 うん、なんかいいね。平日の昼間に家のソファーでコーヒー飲んでるって。人生勝ち組だぜ~。……ちょっとだけ虚しくなった。


「じゃあ行くかあ~」


 覇気などまったく感じられない弱弱しい声音で、俺はため息とともにつぶやいた。

 最期にまなみからのメモをゴミ箱に捨てて家を出る。手放されて宙を舞うその紙には何故か両面に文字が書かれているように見えた気がしたが、まあ多分気のせいだろう。



 【まなみメモ】(裏面)

 それから、おにいちゃん【プ○キュア】好きだったんだね♪

 今度の誕生日にはコスプレしてお祝いしてあげるから楽しみにしててね♪





 電車を降りて一キロほど歩くと俺たちが通う学校が見えてくる。

 私立一ノ瀬高等学園。十年程前に建てられた比較的新しい学校で、どっかの成金のおっさんが理事長らしい。まだ創立して歴史が浅いため偏差値や進学率、就職率などはあまり高いとはいえないが、学業、部活動、イベント、ボランティアなどなど、ありとあらゆるものが充実している。

 理事長曰く、


『学校とは土台を作るための場である。夢をみるにも、友を作るにも、恋人を作るにも、何をするにもすべては自分という土台が必要である。いわば、君たちはまだ何の加工もされていない原石。そして、学校とはそれを形作るための機械。君たち原石は義務教育という過程を通して、大人に都合のいいように磨かれてしまう。そして、彼らは言うのだ。それが自我の確立だと。それが君なのだと。与えられたカリキュラムをただこなして、大人が望む美しい形に加工されていく。それが従来の学校の仕組みである。けれど、そんなものが自分と呼べるだろうか? いくら美しくに加工された宝石だとしても、右を見ても左をみてもまったく同じようなものが転がっていたら、それに価値なんてあるのだろうか? 私はそんなものに価値など感じない。本当の自分が綺麗なわけないだろう? 他人に加工された原石なんて、ただの石ころよりも無価値だ。私は加工するための機械ではなく、原石たちがみずから自分を磨くために利用される道具を作りたいと思ってこの学園を設立した。挑戦と失敗を繰り返し、後悔と挫折を経験したその先で、人を知って、世界を知って、初めて自分を知った気になれる。君たちのその学びの場が、この学園であることを私は願っている』


 ということらしい。入学式で長々とそんなご高説を語ってくれたが、まあ、聴いている人間はほとんどいなかった。

 だが俺はおっさんの名前は憶えていないが、その言葉はすべて記憶している。

 なぜならそれは昔、俺が求めたものだから。俺が求め続けて、そして見つけられなかったものだから。

 もう二度と求めないと誓ったはずなのに、まさかこの学校がそんな目的で作られたものだったとは。

 やはり、家に近いというだけで人生の大事な選択をするものではないな。



 そういえば、あのおっさんの声にはどこか聞き覚えがあるような気がしたが、まあ、気のせいだろう。





 玄関で時計を確認すると、時刻はちょうど十二時五十分。予定通りである。この時間に玄関にいる生徒は割と多く、俺はうまいことその人波に紛れて自室へと向かった。


 この学校はとても広く、部活動ごとに部室(建物)が用意されていたり、イベントホールや体育館がいくつもあったり、広大なグラウンドがあっちこっちにあったりと、ほんとにこれ全部使うの?と思ってしまうくらいには数々の設備が充実している。

 ちなみに俺たちが普段座学を受けるホーム教室がある建物を本校舎と呼び、そこには一年生から三年生まで六百人程の生徒が通っている。

 この校舎を鳥瞰図で見るとカタカナの『コ』のような形をしており、当然のように本校舎も四階建てである。玄関を入って真っすぐ進む向きを対象の軸として、右を普通教室棟、左を特別教室棟と呼び、普通教室棟は一階から順に一年生、二年生、三年生の教室だ。一学年約二百人で一クラス四十人弱の五クラスとなっている。四階は空き教室だ。

 特別教室棟は、一階に保健室や職員室、事務室などがあり、二階に物理室と化学室が二部屋ずつ、それから家庭科室が一部屋ある。三階には美術室や音楽室があり、こちらも四階は空き教室だ。

 情報関係の機器が揃った建物から畑まで、敷地内には幅広い施設が揃っている。中でも図書館の広さは別格で、第一、第二、第三まであり、その他食堂や売店なども当然別にある。それらは普通教室棟と特別教室棟に並んで建てられていて、それぞれの建物がお互いに向かい合っている。故に中庭には池や小道が整備されていて、そのわきには綺麗なお花が咲いていたりする。手前から季節ごとの植物を植えるような工夫がされていて、春夏秋冬の季節の変化を肌で感じることができるらしい。入学式で見た満開の桜もなかなかに美しいものだった。ついこの前までは薔薇なんかも咲いていたが、これからは紫陽花などが楽しめるだろう。

 この絶景を眺めながらの昼食はとても人気で、いつも昼休みには中庭にお弁当を広げている生徒たちが数多くみられる。まあ俺には一緒に飯を食べるような友人もいないため、いつも寂しく旬が終わって花が散った一番奥の梅の木の下でまなみ特製の愛妹弁当を食べているのだが。それでもこの景色を見られたことはこの学園に入学してきて正解だったと思う。……ホントだよ? ボクサミシクナンカナイヨ?



 さて、俺の日頃のボッチ飯の話は置いておくとして、俺は人でごった返す廊下を通って普通教室棟一階の手前から四番目、一年四組の教室へと到着した。

 素知らぬ顔でドアを開け中に入ると一番奥最後列の自分の席に着こうとして立ち止まる。別に「お前の席ねえから!」と言われたわけではない。いやほんと、ボウケンピンクのときも可愛かったです。


 俺の席の周辺には七~八人程の生徒が集まっていて、ワーキャー楽しそうに話し込んでいる。そして、その中心で爽やかな笑顔を振りまくのは、この学校一のイケメンにしてクラスのリーダー鈴宮真すずみやまことくんである。ちなみに学校一というのは俺が認知している人間の中での話なので本当にそうかは分からない。というか別に興味もない。そんな彼の隣で机に腰をかけ、彼に熱烈な視線を送っているのはこのクラスの女王様にしてこれぞ陽キャラという見た目のギャル、桐谷京子きりたにきょうこちゃん。明るい色に染められた長髪、明らかに校則違反であるキラキラのイヤリングが眩しいな。それから……あとは知らない。こいつらは目立つので覚える機会があったが、あとはどうでもいいので特に覚えていない。まあ、どうせ話すこともないだろうしな。そんなことより桐谷さん、そこ俺の席なんだけど。いいの? 君の座ったとこ舐め舐めしちゃっていいの? ……今のはマジで気持ち悪かったな。うん。流石に冗談だ。……信じてね?


 仕方なく、俺は声を掛けようとして――止める。ほら、もうあと五分もすれば授業始まるし、その頃には流石に彼らも席に着くだろう。うん。いやね、別に話しかけるのが怖かったとかじゃないからね? ただ彼らの楽しそうな時間を邪魔しちゃ悪いと思っただけだから! 優しさだから! だからやめてね? 「あ~、そういう時声かけづらいよね~」って同情したり、「ダサ」とか「チキン」とか「童貞」とか言って笑ったりするの。それほんと傷つくから。特に童貞は事実でしかないから! 言い訳出来ないから! でもさ、ヤリチンでもビッチでも処女でも童貞でもなんだって文句言うじゃん! なんだったらいいのさホントマジで⁉ そろそろ怒るよ僕も! ……きもいな。


 とは言ったものの、一人で五分時間を潰すというのはなかなかに難しい。何かをしようとすれば時間が足りないし、それなら何もしなければいいと思うかもしれないが、座りもせずに周りが大声で話している中でじっとしているというのは、それ何の修行?と思ってしまうくらいには辛い。まあそれに、今もこちらをチラチラ見てくる視線があるように、俺はこの教室ではちょっとした人気者だ。ごめん、嘘です。ただ浮いているだけでした。

 まあ、いくら何でも、先ほどから俺に話しかけてくる人間が誰一人としていないことも含めて、その理由が今日の遅刻というだけではないことはお察しの通りである。「やれやれ、僕またなんかやっちゃいましたか?」

 と、やれやれ系主人公を気取ってみるが、俺の場合本当に何かやっちゃってるんだよな~。


 俺は廊下に出て壁に背を預けると、目を閉じた。五分では寝ることもできない。

 そんなことを考えていたからだろうか。自然と、俺の思考は一月前へと遡る。


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