第8話 マッチポンプの日本

長年に亘り、日本人を「なんでも創かい」という、物わかりの良い人間というか、欺されやすい脳みそに変えてきた、国際金融資本家と在日韓国人組織の勝利といえるのかもしれません。


 今や、日本の政府・官庁・医療・マスコミ・芸能界・警察・軍隊は、まるでユダヤ人に乗っ取られた米国を描いた米映画「Once upon a time in America」の如し、という観(感)があります。


 「日本昔話」の9割は、悪いじいさんやばあさんはが最後に報いを受けるということになっているのですが、1割は「悪が勝つ」という話の運びになっている話があって面白い。 歴史を100年で見るか、1000年のレンジで考えるかで、位相は変わってくる、ということもありますが、どうもそれは気休めでしかないようです。


 となれば、大学日本拳法経験者は、政府や警察、医者や宗教・マスコミに振り回されず、自分の中の「絶対的価値観」を拠り所に、狂気ばかりのこの世の中、各人各様、殴り合いで鍛えた自分の正気を保持していくしかない(のではあるまいか)。


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 犬も歩けば棒に当たる。

 今のご時世「街へ出て、三歩も歩けば詐欺ばかり」。


 道路に白ペンキで描かれた一時停止の交差点。 早朝8時、自転車に乗る近くの大学の柔道部員2名が警官に(一時停止をしなかったという理由で)切符を切られている。一日中、ほとんど車もバイクも通らない閑散とした道路です。


 するとその脇を、同じく一時停止を無視して、後から来た同じ柔道部の合宿所からの学生たちが10台、20台と(一時停止することなく)疾走していく。中の一人は、警官に向かって「ちわーっす」なんて、大きな声で挨拶して走っていく。


 二人の警官は切符に書き込むフリをして、彼ら「暴走族」を見ようともしない。

 二人の「違反者」の目は点になっている。


 「なるほど、これからは自転車からも違反金を盗ろうと目論む警察が、実績を作るために行なうキャンペーン、これが警察得意のねつ造か。」「これから自転車で出かけようとする私も気をつけなきゃ。」なんて、感心し警戒もしていたのですが、建物の裏から自転車を引き出してくると、警察官はもういない。

 あれは、ほんの数分間の幻だったのか。


 一部始終を見ていた買い物かごを下げたおばはん曰く「ウチらも、宝くじにはあたらへんが、あんなんにはようけ遭う。詐欺や。」なんてぼやいている。


 宝くじ売り場を見ても、警察官を見ても危なっかしいこと、この上ない。

 (宝くじを売るおばちゃんではなく)世の中の仕組みが、善意や親切ではなく「詐欺」に見えてしまうのは、異国に長くいた所為で、物事なんでも新鮮に見てしまうからなのか、私の性格がねじ曲がっているからなのか。


 国民を貧乏にしておいて「10億円の夢」を与え、更に、残った銭を巻き上げようとする政府とそこからの天下りだけが、毎年必ず○千万円も儲かる(年収)という「宝くじの仕組み」。

 「当たるのは、天下りばかりの宝くじ」


 犯罪の原因を野放しにしておいて、再現性のある犯罪に育て上げ、常時、巷にばらまいておく。

 あまつさえ、電車に乗れば、場違いに色っぽい女性を独身男性の近くに接近させ「痴漢の現行犯」を作り出すために、3人も5人もの私服がギラギラした目で近くの男性を取り囲む。このギラついた目がホラー。

 植草何某という東大卒の銀行員がはめられた「ミラーマン冤罪」の手口に、この私も遭遇したのか、と感慨に耽っている場合ではない。


 毎日、定時に散歩する、ほとんど人の歩かない寂しい道に、ある日突然、小学校低学年くらいの女の子が、真っ赤なスカートに真っ赤な新品のランドセルという姿で、独りで歩いている。

 しかも、後ろを歩いている男性に向かって振り返り「ニッコリ笑いかける」。

 この恐怖。

 警官の娘なのか、どこかの劇団か宗教団体所属の子女なのか。学芸会の練習にしては、ちと、手が込んでいる。

  安物の韓国ドラマか映画脚本から持ってきたのだろうか。彼らの恐るべきヒマさ加減と、何十人もの警察官や刑事が集まって考え出したであろう発想の貧弱さに、あきれている場合ではない。


 或る日、いつもの時間に大きなスーパーへ行くと、入り口のところで「パパ、パパ」と言いながら、2歳くらいの女の子が近づいてくる。周りを見回すが、半径10数メートル、どこにもパパらしき人はいない。

 こちらが思案に暮れて佇んでいると、この危険な「歩く時限爆弾」は、次第にこちらへ近づいてくる。

 ここで「どうしたの ?」なんて声をかけようものなら、ATMのボックスや買い物カート置き場から、複数の男女が飛び出してきて、略取誘拐罪で現行犯逮捕 !

 栗ちゃん危うし。


 と、そこへ買い物を終えたおばはんが通りかかり、この危険物(女の子)に声をかけて、建物のなかにあるサービスカウンターへ連れて行く。

 といってもこのおばはん、絶対にこの爆弾に手を触れず、声だけで誘導していくところは、さすが世慣れた関西人、と感心することしきりの関東人、なんていっている場合ではない。


 「60を過ぎてこの世は危険だらけ」というシルバー川柳がありましたが、50年前にアメリカへ旅行したときに迷い込んだシカゴの貧民窟や、ニューヨークのブロンクスなんていう地域のコンバットゾーン以上の恐怖が、現代の日本には、そこら中に転がっている。

 なにしろ、不良や暴力団であればぶっ飛ばして逃げればすむことですが、相手が暇と人をもてあます国家権力となると、重刑どころか銃刑へのエスカレーター。彼らにとっては暇つぶしのお遊びでしょうが、か弱い老人にとっては命取り、「小林多喜二」の運命となる。


 かつて「宇宙海賊コブラ」の冒険の毎日、なんていうのに憧れていた少年が、じじいになって遭遇する詐欺・冤罪という危険だらけの毎日は、果たして「いい思い出」になるのだろうか。


 株や為替とは、日本の国家予算の何百倍ものカネを自由に操作できる人たちによって世界規模で行なわれる古典的な詐欺だし、世界中で起こるさまざまな(大)事件も、彼らによって創作・演出されている(アメリカ大統領 フランクリンルーズベルトが書き残したそうな)という点では、マッチポンプスタイルの詐欺といえるでしょう。

 国民に、ああせいこうせいと、さんざん忖度しろだの同調圧力だのと追い込んで、それが原因でカネや健康を失えば「自己責任」と突き放す。

 それはまるで、「ありがたいお経」「ご先祖様を供養する大切さ」を説きながら、結局、何の功徳も御利益もなかった人に「この世はすべて無である」なんて言って諦めさせ(「諦観」が売り物)、残った有り金までも葬式費用に使わせる禅坊主とオーバーラップする。


 オレオレ詐欺にしても最近の、B型肝炎、過払い金の返還にしても、全くのマッチポンプ。

  自分たちで禍(わざわい)の種をまき散らしておいて、その対策だの対応に国家の金と時間を費やし、「お金が返ります」という甘い言葉で、今度は被害者の情報を収集して吸い上げて更なる詐欺の種にする。


 いくら民間人が汗水流して稼いでも、爪の垢をともす思いで貯めたおカネや資産は、ダイソンの強力掃除機のようにして吸い取られてしまう。個人が貯めた貯金と、国家がああだこうだと法律を作ってかき集めた(税金)国の貯金がなくなり、やがて、第二次世界大戦直後の日本のように国家破産して借金大国になる、という筋書きも、やはりステレオタイプなのだが、これに国家も国民もたやすく乗ってしまうところはアフリカの素朴な原住民並み。

  こういうのを、元の木阿弥、そして、歴史は繰り返すというのでしょう。

 いったい、小学校から大学までの教育とは何だったのだろうか。


  ここまで、国家がらみの詐欺が大手を振ってまかり通るとなれば、為す術はありません。小説「大地」の主人公ワン・ルーの如く、時世の変わるのをじっと辛抱して待つといっても、日本の狂乱は数十年で終わりそうにない。

 なぜならば、あなたも私も、警察官(という盗る側)になってしまえば、とりあえず個人的には問題は解決し自分も家族も飯が食える、という社会の仕組みになっている。被害者と加害者は、掌を返すようにして簡単に入れ替わってしまうのですから、禍根の根は深い。


 ことここに至っては、せっかく大学日本拳法で毎日3分間(を○ラウンド)、真剣に思いっきりぶん殴り合うという、正気になる鍛錬をしてきている私たちですから、欺す・欺されないという世界を離れ、「神の目線」で自分の人生を道として生きてみてもよいのではないでしょうか。

「道を求めて止まざるは水なり」

「雨は降れども身は濡れはすまい。さまの情けを傘に着て散りゆく花は根に還る。再び花が咲くじゃない。」と。


続く

2024年2月28日

V.5.1

平栗雅人

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時計仕掛けのオレンジ 渡る世間は詐欺(師)ばかり  V.5.1 @MasatoHiraguri

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