第6話 私たちの身近にいるパリサイ派

イエス・キリストは、「彼らパリサイ派(偽善者)ユダヤ人は、自分たちがしている悪行を認識していない。」と言ったそうですが、日本のパリサイ派たちは、自分たちの詐欺的行為を充分認識している。世界のパリサイ派たちとちがうのは、世界征服・新世界秩序なんていう大義名分ではなく、ただただ自分や家族が飯を食うために、(悪いと知りながら)日々小さな悪行を積み重ねているという点です。

日本では、警察学校を卒業して1年後には30%の新人警察官が退職するそうです。悪に染まって虚構の人生を楽に生きるか、苦労してでも自分の真実を追究して生きるか。そこが人生の分かれ道。私がその立場に立たされたとしたら、どっちに転ぶかわかりません。

私の叔父は三鷹市の教育委員長を二期務め、次は「市長になれ」とまで言われたほど「出世」しましたが、偽善に耐えきれなくなって定年前に公務員を辞めました。

私の父は、課長になるまでは偽善を嫌って上司とケンカばかりし、その所為で3度も島流し(八丈島・大島・小笠原、計8年間)に遭いました。

そこで一念発起、「どうせ公務員で生きるなら出世してやる」と開き直り、東京都の交通局の次長やら水道局長まで上り詰めました。

しかし、晩年は自分のしてきた仕事を子供にさえ語ることができず、皮肉にも、16歳で極寒の朝鮮・満州で機関車を運転していた頃や、日本で島流し時代の「汗水流して働いた日々」だけを(死んでも生きる)思い出にして亡くなりました。

叔父は間違いなく「日本昔話(善男善女の在来種純粋日本人)の世界」へ還ったでしょうが、父はどっちへ行くかわかりません。日大出で東大並みの出世をしたからには、人を陥れたり騙すようなことはせずとも、かなり自分に嘘をついて生きたはずなのです。

ですから、私は父の生前、こう言ったことがありました。「あんたは、たとえ人をだますことがなくても、自分に嘘をついて出世をしたのだろう。おれは自分にも人にも正直に生きてホームレスだ。しかし、オレには死んで行くべき所がある。だから、オレが死ぬまで三途の川を渡らずに待っていろ。」と。

 (台湾から一時帰国し、父の家に寄った時、玄関を出る直前「ふと思い出し」、居間へ戻り、父にそう言ったのですが、それが最後の別れとなりました。こういうのを俗に、虫が知らせたというのでしょう。)

「西遊記」小野忍訳 岩波文庫(絶版)によると、この世の1年はあの世では数秒ということですから、いくら私が長生きしたとしても、あの世で1・2分の内に親父を見つけることができるので、私と同じところへ連れて行ってやろうと思っているのです。

もちろん、「死んだらすべて無」という禅宗の場合、こんな話は「妄想」でしかない。

私は京都の大徳寺で4年間、鎌倉の禅寺で1年間、東京の禅寺の住職と住職代理を半年ずつやりましたが、大学5年間本気で思いっきりぶん殴る日本拳法をやり、長い間実業に携わってきた私には、坊主を辞めるまで彼らの「無」には馴染めませんでした。あまりにも「安易なレトリック」という気がするのです。

2024年2月26日

V.3.1

平栗雅人

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