第5話 「どっちが得か、よーく考えてみよう」(何かのTVコマーシャル)
自分に正直でいると、「ドイツでの私」のような体験をすることになる。
一歩間違えば刑務所に入っていたかもしれません。しかし、私の人生でのマイルストーン(人生の目印)として、強い思い出となりました。
パック旅行にしても個人の旅行にしても、安穏と・うすらぼんやりと、観光地や名所旧跡巡りをする旅と違い、写真やビデオがなくても、いつでもどこででも、あの情景を思い出すことができる。更には、死んでからでも思い出せる(ような気がする)、そんな思い出。
今の若い人にお勧めはしませんが、大学日本拳法時代、バカみたいに相打ちの殴り合いばかりしてきた私は、そんなストレートでガツンという思い出でなければ思い出にならないのです。
昨日、あらためて、ここ数年間の大学日本拳法のビデオを観たのですが、殴られるのを恐れず躊躇わず勝ち負けに拘泥せず、ひたすら「絶対の境地」を求めてガンガン前へ出て、蹴って殴って投げる拳法こそが、やはり私にとってはmake sense(しっくり来る・筋が通る)。もちろん、私の場合はあんなに格好良くはなかったのですが。
YouTube「2017全日本学生拳法個人選手権大会 女子の部準決勝戦 岡崎VS谷」
この方の素晴らしいところは、組んで倒れて「別れ」になったとき、すぐに立ち上がって元の位置へ戻るその小気味よさであり、その立ち居振る舞いを支える彼女の気迫。それが目に見える美しさとなっているところです。
あれだけ激しい拳法スタイルで決勝戦まで戦い抜いてきたので、もうボロボロ・ヘロヘロになって足がもつれたりする場面が何度もあるのですが、もの凄い気力とガッツ(根性)だけで肉体を引っ張っている、というのが(彼女の大学の同期や道場関係者ではない)赤の他人の私でもわかる。
これこそ、河内源氏の祖源頼信や宮本武蔵、フランスの三銃士といった真剣勝負師たちの行き着いた「コギト・エルゴ・スム 真の自分」を得た、実(まこと)の人間の姿といえるでしょう。
拳法の技術だの試合結果という楽しみ方よりも、こういう武士・剣士・拳士たちと同じところへ還ることができるという安心感は、ジジイとなった今の私にとって、何物にも代えがたいものです。
「雨は降れども身は濡れはすまい。さまの情けを傘に着て散りゆく花は根に還る。再び花が咲くじゃない。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます