第3話:事故物件にいるべき三つのもの

 栞に怒られた後、鯉魚は近くのヘブンイレブンにいってカップ麺と携帯灰皿とブラックコーヒーと少しの酒を買ってきた。これで灰皿の心配はない。もっとも、生活に必要な消耗品は部屋に何もないが。


 鯉魚は帰ると催してきたので、携帯灰皿を取り出して、他の物を下駄箱の上に置いてトイレに入った。


 トイレに入ると口が寂しくなったので、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。


「あ〜……呪いの人形と共同生活か……。家にいた頃は想像もしなかったな」


 便座に座り、右手に煙草、左手に携帯灰皿を持って小便を垂れて鯉魚は明日からどうするか考えた。


 今現在、所持金は三万円を切っている。その予算で生活に必要な物を一通り買ってこなければならない。栞には普通の灰皿も用意しろと言われてある。


 さっきフープルマップで調べた所、近くに大きなスーパーがあるのでそこで買い物するのを第一の予定にする……差し当たり問題は。


「栞ちゃん……栞ちゃーん!!」


 今起きている一大事件だ。大声で栞を呼び、トイレの鍵を開ける。


「急に何ってトイレで煙草を吸うなこのヤニカス!!」


 栞はすぐに駆けつけてくれたが、トイレの中に漂う悪臭に嫌そうな顔をした。人形の癖に表情豊かだ。


「助けて!! 英語で言うとヘルプ!!」


「英語で言う必要ないから!! 下半身丸出しで人を呼んでどうしたの!!」


「トイレットペーパー……買い忘れた……!!」


「アホかーー!! ちょっと待ってなさい!!」


 栞はすぐにトイレから出ていった。


「まあなんとかなるか……」


 その間に鯉魚は悟りを得て、我慢していた物をぼっとんと落とした。


「トイレットペーパーあったわよ臭いわね!?」


「安心したら出ちゃってさあ……」


「私の一張羅にクソの臭いが移ったらどうしてくれる!!」


 栞は鯉魚にトイレットペーパーを投げつけて出ていった。鯉魚は煙草を携帯灰皿に入れて、トイレットペーパーをセットし、そっと拭く物を拭いて手を洗った。


「あー、ハンドソープもか……」


 そこで初めて思い当たる。


「まあいいかぁー。別に……タオルもねえわ」


 本当に、一人暮らしに必要な物を何も持っていないしそろえるのも一苦労……鯉魚は履いていたスキニーで手を拭いて外に出た。


 玄関の所の扉を開けて部屋に入ると、栞が収納の中から何かを取り出していた。


「あ、タオルもあったんだけどあんたもしかして……」


「ズボンで拭いた」


「洗い直してこいやぁ!!」


 栞がタオルを投げ渡してくるので、鯉魚は仕方なく手を洗い直し、さっき取るのを忘れていたビニール袋を取って部屋に戻った。


 今日は長旅が祟って疲れたので、さっさとカップ麺を食べて酒を飲んで煙草を吸って寝よう……鯉魚がそんな事を考えていると、栞はシングルベッドの下を覗き込んでいた。


「エロ本の確認……にしては堂々としてるじゃん」


「ったり前でしょ人をなんだと思ってんの……ここにもう一人『同居人』がいんのよ」


「ちょっと待ってくれー」


 鯉魚は部屋の中央のテーブルの前に座り、煙草に火をつけた。灰皿はさっき飲んだ缶コーヒーの缶がある。


「私の部屋の筈が栞ちゃんと愉快な仲間達の部屋になってんじゃん。そんな所に住んでるってどんな人? その前に人なの?」


「あんた凄い肝太いわね……ほら出てきなさい尼足!!」


 栞がベッドの下に手を入れて、体ごと思い切り引くと、そこからにょーんと一人の人影が出てきた。


 黒く長くまっすぐな髪の毛に天冠と経帷子を纏ったしなやかな肢体は全体的に青白い。髪の毛が顔を隠しているので顔はよく分からなかったが、分かった所で意味があるのだろうか。この相手に関しては。


「幽霊かー」


「凄い普通に納得してるけど、前の住民はこれ見た瞬間逃げてそのまま帰ってこなかったからね?」


「まあその人の気持ちも分かる」


「ほう」


「きっと殺人鬼だと思ってたんだよ」


「まあこいつが取り憑いた所為で死んだ住民とかいるからあながち間違いではないが」


「私煙草でわっか作る修行があるからこれで」


「逃げたら祟る」


「怖いなぁ~☆」


 鯉魚はにっこりしているが、いよいよ人外アパートに入ってしまった実感が湧いてきていた。漏れそうならシチュエーションに沿うのかも知れないが、さっきクソまでひり出したので出せるのは涙だけだ。


「初めまして……ここに住んでる幽霊の蟹江尼足です……」


 どう見ても円山応挙が描いた幽霊を現代風にリファインしましたって感じの見た目の女性は、三つ指をついてお辞儀してきた。


「うーん……見た目そんなに刺さらないな……」


「見た目とは?」


「幽霊とファ〇ク致すの夢だったんだけど、いまいち見た目が好みじゃないから濡れなさそう」


「あ、すみませんでした……」


 尼足は鯉魚の解説を受けて、ひっそりベッドの下に戻ろうとした。それを栞が六〇センチの体躯からは思いもつかない馬鹿力で止め、無理やりテーブルに着かせる。


「とりあえず新入居者がきたんだから挨拶くらいしっかりしなさい。っていうか聞くの嫌だけど幽霊とファ〇クって何するつもりだったのよ」


「幽霊出産プレイ」


「ギョエェーーーー!!」


 鯉魚の言葉に叫んだのは尼足だった。どちらが化け物なのか分からない。


「すげえ化け物が入ってきたわね……今日の内に顔合わせはしときたいけど、あいついるかしら」


「ちょっと待って呪いの人形に幽霊にまだいんのなんなのこの部屋」


「私は呪いの人形ではない、一〇五号室のアイドル人形だ」


 栞は『豆腐の角に頭ぶつけて死ね!!』と書かれた掛け軸の対面にある収納を開けた。


「豹衛ー、いるなら返事しなさーい。っていうかいるわよねー? 返事しなかったら祟るぞー」


 祟るはこいつの脅し文句みたいな物だな、鯉魚はそんなに怖くない事を理解して煙草をコーヒー缶に捨て、安酒のパックにストローを刺した。ちょびっと飲む。


「はいっ! ここにいます!」


「エンッ!!」


 その時、鯉魚の前、テーブルの上にいきなり一人の人間が降ってきた。鯉魚は酒が変な所に入るのを感じた。


 黒髪をポニーテールにしたまだ若い、しかし成人しているのは分かる整った顔立ち、日本人らしくはない青い目、豊満なボディラインは男を落とすのに向いていそうだ。その体がくノ一のテンプレみたいな衣装に包まれている。


「黒脛巾組所属の忍び、平たく言えば忍者の兵頭豹衛です!」


 机の上で蹲踞している自称忍者をどうすべきなのか、鯉魚は考えた。


 呪いの人形、幽霊はまあ分かる。事故物件ってそういう物だしっていうパブリックイメージがあるので。しかし、忍者? そんな物はとうの昔に滅びたのではないか。というか黒脛巾組って所属を思い切り言っているがいいのだろうか。


「……忍者って人間の枠だよね?」


 鯉魚は差し迫った疑問を尋ねた。


「不法滞在をしております!!」


「兵頭さん頭がどうかしておる!!」


 ちなみにこの時、鯉魚も酒で頭が若干どうかなっていた。


「ってわけだから仲よくやりなさいねあんた達。あと豹衛、明日鯉魚の買い物に付き合ってあげて」


「了解であります!」


「忍者って了解とか言うんだー」


「キャラを作っております!!」


「地が出るの楽しみじゃん」


 何故か部屋の主みたいな態度を取る呪いの人形、影が薄い幽霊、謎の忍者、そして未だに素性不明の一般人女性……奇妙な共同生活はこうして幕を開けた。


「あ、忍者」


「できればその呼び方はやめて頂きたいです」


「じゃあ素破」


「それはもっとやめて頂きたいです」


「じゃあザ・忍者。私バスタオル持ってないから貸して」


「かしこまりました!! 三ヶ月程洗っていませんが構いませんか!?」


「今夜は風呂もなしか……」


 なんにせよ、奇妙な共同生活の始まりである。


 忘れてはならないのは掛け軸にある言葉――『豆腐の角に頭ぶつけて死ね!!』だ。


 その日、鯉魚がベッドに入ると囁き声がベッドの下から聞こえたが、鯉魚は無視して寝た。寝心地のいいベッドだった。



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