狸と狐、それから破壊者‐3

 ────『それら』がまず初めに抱いた感情は、「不快」だった。

 あまりにも複雑すぎる、多様過ぎる。こんなものがという事実に耐えられない。鬱陶しい────気持ち悪い。消えろ。消えろ。消えろ。


 その原始的で強烈な悪意は、あらゆる物を滅ぼした。

 とりわけ数が多い上にやたらと喧しい生き物────人間────を、『それら』は徹底的に殺し尽くした。

 ある者は自身の身体うつわで押し潰し、ある者は灰も残さない程に焼き尽くし、またある者はもっと殺した。


 ……皮肉な話だが、『それら』は生命を徹底的に嫌いながら、「生命が生み出した構造」自体は非常に気に入った。

 だから『それら』は文明を真似た。身体の構造を人工物に寄せ、人類から「人工」を奪い「天然」に換えた。


『それら』は基本的に生命を下に見る。それは格や次元の話ではなく、ただただ嫌いだから下に見ようとするという情動。逆に言えば、その程度までの精神性しか『それら』は持ち合わせていない。


 彼らが精神というものの複雑怪奇さを共通認識として知るのは、もう少し後のことになる。

 


◇◇


「……冷え込んで来ましたね」


 丸一日を探索に費やし、合流場所に選んだビルの屋上へと歩を進めていた雪狸。扉を開けた瞬間に吹き付けた凍えるほどの冷たいビル風を浴びて身を縮こまらせ、風の当たりにくい物陰へと退避する。暑いを超えて痛いとすら感じるほどの日射と高い気温は日が傾き始めると同時に身を潜め、大気は別の意味で肌を刺し始めていた。

 焼け跡の街に居た頃には決して起きなかった異常な気温の乱高下。昼間にヴィクトルが発した「大絶滅の続き」を思い出して背筋が凍るような感覚に見舞われる。

 熱帯を再現するほどに暖めた部屋を突然冷凍庫に変えるような異常気象。気温が真夏から一気に真冬まで落ちれば、それだけで弱い生物は淘汰されていくだろう。そんなものが延々と続くことになれば、どれだけの生き物が────そんな感傷に浸っていると、屋上の扉が開いてヴィクトルが合流した。


「いやぁ寒い寒い。こうまで一気にやるとは思わなかった」

「……やはり、貴方が何某かに吹き込んだんですか」

「まぁそうだね。直接やれとは言ってないから何するのかは知らなかったけど、こうまでシンプルに過酷にして来るとはね」


 ほら、と丸めて投げ渡したそれは厚手のコート。一言礼を述べて、雪狸はすぐに袖を通した。

 ふと足元を見れば、昼間の高温で充満した湿気が逃げる暇もなく凍り付いて霜となり、コンクリートを白く染め上げている。それは廃ビル街を超えて野晒しになった地表全体に続いており、この超常的現象が場所による特異的なものでないことを物語る。


 吐く息は白く、同じ色だった積乱雲は日没に従って、光を貯めこんだかのように薄明るく光る。程なくして体の芯に響く低い雷鳴が響き、一つ、また一つと白い華が空から降り始めた。あまりの気温の降下に体は慣れず悲鳴を上げ、悴んだ指先や鼻先が痛みを訴える。


「昼間は真夏、夜は真冬ですか」

「幻想的っちゃ幻想的だけど、まさしくこの世の終わりみたいな天候だね」

「これが貴方の言っていた『もっと死ぬことになる』ということですか」

「まあそうだね……とはいえ、まさかこうまで早く、大っぴらにやらかすとは思わなかったな」


 ヴィクトルの言が確かであるのなら、それはこの異常気象を引き起こした犯人が『新生種』であるということ。そして、この現象がで発生しているということ。単純ながらも徹底した殺意がそこに確かに存在していた。


「ちょーっと誤算だったかな……生き物図鑑の中身が殆ど絶滅EXに代わる日も近そうだ」

「人間もそこに含まれないことを祈るばかりですね」

「言えてる。まぁ案外冬眠の理屈で乗り越えるかもしれないけどね」


 汗が止め処無く流れるほどの熱波が過ぎた刹那に襲来する、重ね着を貫通する極寒。病人や怪我人は元より、多少の憔悴や虚弱体質程度でも下手をすれば過負荷で後戻りのできない体調の崩し方をし兼ねない。そうで無くとも気温の乱高下に伴うストレスが原因で精神的に病んでしまう事例も発生するだろう。

 健常者以外を軒並み擦り潰し、ごく一部のしぶとい生命を除いて皆殺しになれと言わんばかりの現象。一周回って悍ましさの欠片も感じないほどにスマートな虐殺がそこにあった。


「合流場所にしたはいいけど寒いね……一旦屋内に入ろうか。ここじゃ近いうちに凍死する」

「はい」


 すんなりと荷物を背負い直す雪狸。丸一日をバックパック一杯の飲み水を背負ったまま移動し続けたことで相当な疲労を溜め込んでいるはずだというのに、いつも通りの無表情。やや驚いた顔をしながらもそれが痩せ我慢や空元気の類でないことを確認するとヴィクトルは雪狸の前を歩き始めた。


「街から出た時はだいぶキツそうじゃなかった?」

「あの時は熱波で余計に消耗してましたから。今は平気です、寒いのは得意なので」

「そういう問題? 実際今かなりしんどいだろうに。それで痩せ我慢じゃないのが不思議なんだけど」

「不思議と言われても……」

「『雪が降った日に生まれたから』って?」

「まぁ、そうです」


 雪狸の常套句を引き合いに出すヴィクトル。それは、雪狸が自身の事で分からないことを正当化するための謳い文句でもあった。


 無感動で無感情なのは雪が降った日に生まれたから。

 苦痛を訴えるほどの疲労を我慢できるのも雪が降った日に生まれたから。

 人の死に感情的な忌避を覚えないのも雪が降った日に生まれたから。


 ――――生まれてから世界が終わる日まで人から避けられ続けたのも、雪が降った日に生まれたから。


「僕が育て親に避けられて育ったのも、雪が降った日に生まれたからです」

「――――難儀な性格してるね」


 そう返したヴィクトルの声は、いつもの明るい調子ではなく。

 思わず視線を跳ね上げた雪狸の目に映るのは、ヴィクトルの後頭部だけ。


「……」

「……ん? どうかした?」

「いえ、何も」

「やっぱ疲れてるんでしょ。医務室っぽい部屋あったからそこで一晩過ごそうか」

「分かりました」


 こんな人でも悲しむことがあるのだな、と。いっそ無礼ですらある感想を飲み下し、心の奥底で生まれたという訳の分からない感情に、雪狸は蓋をした。



「見て海叶かなえ、雪が降ってきたわ」

「あれまぁ本当、昼間は無茶苦茶に暑かったっていうのに」


 焚き火の火が消えぬよう注意を払いながら、お嬢様は空を見上げる。つられて見れば、半年ほど前にお別れしたばかりだったはずの氷の結晶がしんしんと降って来ていた。粒が細かいから、この分だと直ぐに積もり始めるだろう。量によっては雪かきでもする必要があるだろうかと思うとやや憂鬱だ。


 あの大災害から3ヶ月。当初こそ何もできず控えめに言って足手纏いだったお嬢様は、ほんの1週間と少しで身の回りの作業をものにしてしまっていた。

 元より小器用だった方だ、一度か二度手本を見せれば乾いたスポンジみたいにするすると技術を吸い上げていく。今となっては炊事洗濯から壊れかけた道具の修理まで何でもござれの使用人泣かせな方になってしまわれた。使用人見習いの身の上だったとはいえ年上の威厳が根こそぎ奪われてる気がしてちょっと凹む。


「雪狸、まだかしら」

「お嬢様、雪狸様の住まいからここまで何kmあると思ってるんですか? 寝ずの強行軍でもしない限り一朝一夕じゃ着きませんよ」

「それはそうだけど……」


 数日前、届くはずのない雪狸様からの電話が来てからずっとこの調子。そわそわとしていて────元々活発な方ではあったけれど────落ち着きがまるで無い。逢瀬の前の生娘みたいで見てるこっちが恥ずかしくなる有様。

 あの日に回路が焼き切れて煙を噴いたはずのスマートフォンが突如として息を吹き返したのだ。すわあの世からのお迎えかと戦慄したのも束の間、雪狸という名前が聞こえてきて別の意味で驚いた。


 たった1週間の付き合いで、別れ際に大号泣して周囲の全員を困らせるくらいにはお嬢様は雪狸という少年を好いていた。おそらく親愛や友愛の情ではあろうが、それでも好意は好意。向ける相手を喪失したことで、まさしく茫然自失の状態になるほどの熱量。

 連絡先は教えていたはずなのに1本たりとも連絡が来なかったことで、お嬢様は「自分のしたことは彼にとって迷惑でしかなかった」と納得してしまい、それまでのじゃじゃ馬っぷりが嘘のように静まり返ってしまった。

 

「ねぇ海叶、雪狸って何が好きなのかしら。チェスは知ってると思う?」

「流石に知ってる……と思いたいですけどねぇ……家電が生きてるなら一緒にゲームでも、なーんて言ってた所なんですけど」

「全部焼き切れてしまったものね……いっそ木を削って独楽コマでも作らせましょうか。お互いに作った独楽でベーゴマみたいに遊ぶの」

「……お嬢様、なんかだんだん趣味というか発想がタイムスリップしてません? 私の時代でもしませんでしたよそんなの」


 3か月で本当に、本ッ当に見違えるほど逞しくなられたものだ。彫刻のようだった白く細い手指は今や胼胝タコだらけで肉が付き、ペンを持つより刃物を扱う方が上手くなっている。そのうち丸太からコップだの皿だの仏像だの削り出し始めるんじゃなかろうか。


 閑話休題。お嬢様ほどではないが、私も彼からは恨まれているとずっと思っていた。ほんの1週間程度の付き合いでも薄々感づいていた事実ではあったが、どうにも私やお嬢様の感性と雪狸様の感性は食い違いがあった。


 端的に言って、彼は蔑ろにされることに慣れすぎているように感じる。その結果として善意や親切心、要は優しくされることが苦痛なのだと思った。

 沼地に住む魚が清流では生きられないように、雪狸という少年は無償の愛というものがある場所では息が詰まってしまうのではないか。そんな風に考えて、自分が親切心でやったことはただ毒にしかならなかったのではないか、屋敷から去っていった後に彼は幸せになれたのだろうかとずっと悩んだ。

 幼い彼が虐げられ、そのまま路地裏に打ち捨てられている様を夢見たこともあった。最悪な目覚めと共に“今の夢がただの悪夢であるように”と何度祈ったか分からない。


「……ま、とりあえず来たら盛大に出迎えてあげましょうよ。そんでもってそれから何しようか考えたって高が知れてるでしょうし」

「えぇー……? 無計画すぎて呆れられないかしら」

「なーに言ってるんですか。呆れられようが何言われようが時間なんていくらでもあるんです。しがみ付いてでも引き留めて色々すりゃいーんですよ」

「ち、力業……」


 皮肉な話だが、世界がこんなザマなのだ。時間や立場の制約なんてものは有って無いようなものなのだから、多少無様だろうが引き留めて何だってやればいい。その辺、お嬢様はまだ少し堅いような気がする。


「海叶が柔軟というか大雑把すぎるだけだと思うわ」

「あらやだ読心はマナー違反ですよ狐珀こはくお嬢様」


 ……まぁ、ご馳走を作る準備とか、そのくらいはしておいた方がいいのかもしれない。

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