狸と狐、それから破壊者-2
「……今更ですがなぜスマートフォンが使えたのですか? 完全に破損していたはずですが」
「あぁそれね。時間制限付きだしそう便利なもんじゃないけど、すっごく雑に言うなら一時的に君が縁を辿れるようにしたんだ。永続は無理だけど、あの時言ったみたいに5分くらいなら片手間だよ」
「……今は詳細は聞かないでおきます」
「そうした方がいいよ、実際マジで面倒臭い内容だから。興味が出たら教えてあげるよ」
雪狸の素っ頓狂なお誘い事件から2日。二人はかき集められるだけの食糧と最低限消毒と止血を行える程度の衣料品をバックパックに詰め込み、災厄の日以来初めてとなる焼け跡の街の最外縁までようやっとの思いでたどり着いた。
直線距離はおろか道路を利用した最短距離すらも崩れた瓦礫のせいで使えず、かと思えば遠回りした先で運悪く道が崩れたり塞がったりし、迂回の先でさらに迂回を繰り返してようやくの到着。暑さがあまり得意でない雪狸は熱波と疲労にやられて全身汗だくで濡れている。
自身が音を上げそうになっているというのに、隣を歩いていたヴィクトルは汗一つかかずにへらへらと笑っている。それが気に食わなくて、雪狸は自身の頭上から飲み水を丸々1本ぶちまけて雑に汗を流してからヴィクトルへ2本目の水を掛けた――――が、しかし。如何なる手段を使ったのか、ヴィクトルを濡らすはずだった500mlの天然水は全て不自然に急カーブ。そのまま雪狸の顔面へと直撃する。
「……」
「僕が不思議パワー使えるなんて分かり切ったことだったろうに」
「大人げないとか思わないんですか」
「人類滅ぼす奴に今更説教かい?」
半ばヤケクソ気味に3本目のペットボトルを取り出して飲み干した雪狸。ある程度頭も腹の内も冷えてくれば、知らないままではいられないだろうと悟った、そしてずっと保留し続けていた焼け跡の街についての疑問が鎌首をもたげる。興味を持つのは良いことだと前置いて、ヴィクトルは雪狸にぶつけられた焼け跡の街の疑問、ひいては世界中で起きつつある現象について話し始めた。
「まず最初に言っておくと、物資がリポップする現象は僕のせいじゃない。めちゃくちゃにぶっ壊したまでが僕のやらかしで、リポップ現象は最初から
「つまり、街そのものが種として確立された生命体になったと? その活動の一環で瓦礫が元に戻ったり物資が再配置されるようになった、と」
「そんな感じそんな感じ。まぁ厳密には違うんだけど……そこ説明し始めると滅茶苦茶めんどくさいし論文1本くらいの詳細渡す羽目になるような内容だから気にしないでいいよ。僕も説明する気失せるし」
「分かりました。……とすると、彼らは何を栄養源に?」
「なんとビックリ、人の感情なんだよね。正確には光合成と似た現象で振れ幅を利用して自身の生命回廊と呼ばれる内臓神経リンパ血管系全部含んだブツを動かすって仕組みで……って、それも今はいいか。とにかく彼らは人間だけじゃなく生命が持つ感情の波を触媒にエネルギーを作り出せるってワケ。だから向こうとしてもわざわざエネルギーを使ってあちこちに物資を生成したり、わざわざ作ったものを組み替えて迷わせたりすることで人の感情を揺らすのは消費を上回る利がある」
「生物の感情の振れ幅を触媒として回路が起動、エネルギー生産を行い、生産されたエネルギーを使って成長しつつ、双利的に恩恵を供給していく……本当に光合成みたいですね」
「飲み込み早いね。もっと混乱するかと思ってたんだけど」
「そうでしょうか? 例えることが出来る分わかりやすいと思うのですが」
第三者が見れば何の話だと頭を抱えかねない会話を片手間に行いながら、荒れ果てた道路を歩いていく二人。
ヴィクトルの語る存在――――仮称『新生種』の版図にまだなっていない地域であるそこでは、災害を生き延びた草木や小動物が新たな生息地として棲み付き始めている。
「……動物は、普通に居るんですね」
「といっても一部のしぶとくて体が小さいのがメインだけどね。動物園から逃げ出したような手合いなんかは環境が合わなくてあっさり死んだのが大半だし、生き残った数自体は割と少ないんじゃないかな」
「瓦礫の隙間などに避難できた生き物が主に生き延びたというわけですか」
「正解。終息して1か月くらいは虫も沢山居たんだけど……今はどうだろうね。新しい環境に適応しきれなくて結構死んだりしてるんじゃない? とはいえ新生種が生み出す食料で生き延びてるのもだいぶ居るだろうけど」
「まさしく大量絶滅ですね」
今どれだけの生き物が災厄を生き延びたのか。そして、あの日ヴィクトルは何をしたのか。興味が無いと一蹴してこそいたものの、一度好奇心に火が付けば聞きたい知りたいという欲求が山のように浮かんでくる。
もっと情報を聞き出そうと口を開きかける雪狸だが――――
「あぁ、あと多分これからもっと生き物は死ぬと思うよ」
「えっ」
とてつもない爆弾発言を、さも余談かのようにヴィクトルは投下した。思わず中天の太陽を見上げて、次いで耳を傾ける。さらさらと風が草を撫でる音以外には、虫の鳴き声も鳥の囀りもほとんど聞こえてこない。
「今もう既に鳥の声すらまばらなんですけど」
「テンパってんね、ウケる。まぁそれはそうと、多分あと半年くらいでほとんどの生物が図鑑の中だけの存在になるだろうね」
「……本当に何したんですか」
「いろいろ⭐︎」
「はっ倒しますよ」
雪狸は理解した。この男、この後に控えるナニカを説明する気が全く無いし質問されても絶対答えないと。
良い
◇
崩れた道路の先、人が居なくなって久しい街の中を進んでいく。
3か月の放置で既に劣化が始まっている箇所もあるビル街。火災に見舞われたことで街路樹や花壇の植物は大半が消し炭となって命を終え、時折何かが駆け抜ける音が響く以外には耳が痛くなるほどの沈黙を湛える。芝生にも似た雑草が生い茂っているというのに小さな虫の羽音すらないことが、雪狸へ強烈な違和感として突き刺さる。
廃墟が持つ静謐さと不思議な郷愁に駆られると同時、学者であれば顔を覆い天を仰ぐ程に生命の淘汰された場所なのだということを嫌になるほど思い知らされる。
「……徹底してますね」
なんとか絞り出したのはそんな一言。
まるでそこに居る何かが生命というものを心底から疎んだかのように、人間から羽虫の1匹に至るまで徹底的に浄化された跡が垣間見える。
今現在こうして繁茂している植物群と――――おそらく隠れ潜んでいるのであろう――――小動物は、全て3か月前の災害の後に侵入してきたモノなのだろうと雪狸は半ば確信めいた推測を抱いた。
「他と比べても随分スッキリしてるね、此処は」
「やはり違うものなのですか」
「うん。場所ごとに方針も少しずつ違ったからね。此処みたいに潔癖症なくらい掃除してたとこは見たことないけど」
清潔過ぎる。それが雪狸とヴィクトルが共通して抱いた感覚であり、同時にヴィクトルは雪狸よりも僅かに先を見ていた。
徐に片膝を付き、アスファルトの罅割れから覗く草を引き抜いた。芝の仲間だったらしく、地下茎部分が繋がって出てくる。
「入ってきてる植物が単調すぎる。雑草ってくらいだからいろんな奴が一斉に入ってきててもおかしくないんだけど、この街にはこの一種類しか侵入できてない」
「侵入すら制限している、と」
「下手したら入ってきた瞬間殺してるかもね。とにかく、あんまりふらふらとあちこち歩き回らない方が良いかもしれないよ、ココ」
でしょうね、と内心で雪狸は独り言ちる。先ほどから首筋あたりがちりちりと不快感を訴えている。それがかつてのいじめっ子が自分へ向けていた悪意と同質のものであったから、彼はこの廃ビル街に足を踏み入れた瞬間から警戒を解いていなかった。
「必要な物資を集めたらすぐに出発しましょう」
「オーケー、じゃ僕は水でも集めとくよ。食料宜しく」
「分かりました」
持ってきた物資に余裕があるとはいえ、消費しないに越したことは無い。基本的にどうしても物資が手に入らない、あるいは手に入れられない場所に来てしまった時のためにバックパックの中身は備蓄し、現地で集めることを二人は基本方針としていた。
当てがあるのかと言われれば、雪狸は「焼け跡の街と同じだから」と答えるだろう。街そのものが意思を有しているかのように感じていたそれが、ヴィクトルからの情報で明確に自我を持っていると判明した。であれば、今から行う行為にも意味があるはずだと信じて廃ビルの壁面に手を添えた。
「……必要なものが揃えば出て行きます。ですので、それまでの間は滞在を許してください」
迷いなく、そこで確かに聞いていると信じて虚空へと言葉を投げかける。
ざわり、と背筋が粟立つような感覚と共に吹き抜ける強風。それっきり、街は再び耳が痛くなるほどの無音を充溢させた。
「……焼け跡の街にも、こうするべきだったでしょうか」
通じたという感触があったからこそ引っかかる、過去の己の行い。出立の際に不自然なほど何度も崩れた道路や瓦礫を思い出し、一抹の後悔を抱く。それはまるで、雪狸が何処かへ行かないよう引き留めようとするかのようで――――
「気にしても仕方ない、ですか。どの道帰ることになりますし、その時で良いでしょう」
だが、過ぎたことは変わらない。今から戻れば、その分の物資や時間をドブに捨てたのと同じになる。
かつての故郷への道筋こそ覚えているものの、今回は車ではなく徒歩。何日掛かるかも分からない以上は些細なことに拘泥して資源を浪費するべきではない――――そんな、ある意味で冷淡な思考の下に、雪狸は胸中の引っ掛かりを放り捨てた。
◇
風に揺れる、鶯色の髪。
私を見るたびに安堵を浮かべていた、冬空のような色の瞳。
あの忘れられない1週間を、今の今までずっと反響させながら生きてきた。
富裕層に生まれた女子の生き方なんてものは、往々にしてある程度定まっている。私もまた同じ。
限られた世界を見て育ち、家のために関係を持ち、そして限られた世界の中で幸福を掴んで消えていく。そこに疑問を抱いた事などなく、生まれてから大した苦労もしたことの無かった私にとって、世界とは随分と生易しいものだった。
けれど、あの鶯色が教えてしまった。私の生きていた世界の狭さを。私という生き物が、どれだけ恵まれて、そしてそれ故にどれほど傲慢であったのかを。
嫉妬するよりも先に怖くなって、辛く当たった。未知の存在に対して恐怖する、という言葉の意味を嫌になるほど理解させられた。
あの日の衝撃が、ずっと消えなかった。
そのせいで、当たり前だった生活が窮屈で、退屈で仕方なくなってしまった。
ばあやは「横柄でなくなった代わりにお転婆になってしまった」なんて言うけれど。私からすればかつての自分なんて顔を合わせようものなら平手打ちをしてしまうかもしれない。
「ねえ、知ってるかしら、雪狸」
――――家族を失うことって、とても悲しいことなのよ。そんな言葉が、不意に口から漏れるように出てくる。
3か月。生き延びた使用人と共に生活して、手の内に残ったものより零れ落ちたものをずっと見返してしまうような時間がずっとずっと過ぎていた。
だから、もう失わない。
取り戻すというには、積み上げた時間はあまりにも少なすぎるけれど。戻ってこないのなら、もう一度積み上げればいい。
だから、積み上げるための時間を作らないと。
「遊びましょうね、雪狸。あの日に何もできなかった分も、沢山」
麦藁色の長髪が風に舞う。
何かを期待するように、夕焼けのような色の瞳が初夏の空を捉えた。
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