ある涼しい夜に
伊藤ゆうき
ある涼しい夜に
ある涼しい夜に、ある男が夜を盗んだ。
その男は夜が好きだった。
一人で物思いにふける夜。
未来を想像し、首を傾げる夜。
異性と予想もしないことが起きる夜。
疲れていつ眠ったか分からない夜。
周りとは折り合いがつかずに肩を震わす夜。
全てが彼の大好きなものだった。
自分の分の夜だけでは物足りず、全ての夜が欲しくなり、そしてついに夜を盗んだ。
月にとりよい、男は月にある話を持ちかけた。
「君を太陽のようなものにしよう。」
もちろんそれはウソである。
その言葉を信じた月は喜び、自分のものである夜を男に渡した。月は常に太陽のおかげで輝く自分に嫌気がさしていた。自分のみで輝ける存在でありたいと。
君を太陽のような存在にしようという言葉を鵜呑みにして夜を男に渡した。
男は月から夜を譲り受けた。
男は世界の半分を戴いた気分になる。
男は夜が自分のものになった。
一日目、砂漠に出かけ星の降る夜空を一人見上げ、星が流れて消えたその先に投げキスをした。
二日目、アフリカに出かけ、飢えで苦しむ子供に添い寝をし、眠れない長い夜を憂い一緒に涙を流した。明日あるかないか分からない命に期待して。
三日目、世界の中心であるかのような大都市の、その中でも裕福なホテルの最上階のバーに行き、隣の席で緊張しながら、待ちに待った男からプロポーズを受け取った女の涙をつまみにして、単純な酒を飲んだ。
四日目、一人寂しく部屋でパソコンに向かい過ごす男を、女はいないのかと罵倒し笑い転げた。
五日目、夜中に遊びに行ったっきり帰らない娘を心配している眠れぬ母親の話しを良く聞き、あなたの娘だから心配ないと肩を抱いた。
六日目、一人寂しく明日があることを嘆く老人にいつかは死ぬのだから穏やかにのんびりすればいいと諭した。
七日目、一人近くの川のヘリに座り、安物のワインをビンごと口へ傾けた。「夜は独りになるものだ。」とボソッとつぶやく。
こんなに夜が素晴らしいなんて彼にしても予想以上である。彼は思った。人間とは、実に身勝手だが誰の夜にでも共感しうる切なさがある。彼はそれを愛すべきものだと感じるのである。
実に興味深いが、彼は自分の手に入った夜を月に返すように思った。きっと夜に感情はいらない。ただ月のように全ての夜を微笑みながら見守ればいいのだ。
夜とはただただ、ぼんやりと、柔らかく、優しく見守る時間。誰に対しても全ての夜はそうあるべきである。夜に感情はいらない。ただ何かが起こる。
ただそれだけ。
夜が好きな男は夜が好きなまま、月に夜を返すのだった。
男はまた、自分だけの夜を愛すのだ。
太陽になれなかった月はというと、騙されたことに落ち込み、ひねくれて後ろを向き、今夜は姿を消している。
新月、ほかの星がキラキラと月を笑っていた。
ある涼しい夜に 伊藤ゆうき @tainohimono
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