第66話 崇彦の望み
野中崇彦の祖父は地元では有名な地主で、裕福や幼少期を送ることになったのだが、彼の伯父が投資で失敗をしたことと戦後の不景気が原因で、あっという間に没落していくことになってしまったのだ。
「なあ、聞いたか?」
「ああ、ブラジルとかいう国で儲けられるという話だろう?」
「俺は、これはチャンスだと思う」
「何でも珈琲とかいう木の実を採取するだけで大金持ちになれるという話だぞ?」
今までのような裕福な生活を手に入れるためには、清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟は必要だろう。伯父家族はブラジルへと出発する第一便の船で、崇彦たち家族は第二便の船で出発することになったのだ。
子供の時から顔立ちが整っていた崇彦を、
「野中さんのところのおぼっちゃまは美形だね」
「なんて可愛らしい子だろうね」
と言って、大勢の人が可愛がってくれたのだ。
祖父によく似た崇彦は足も長く、他の男たちと比べると頭ひとつ分以上は背が高い。男たちで集まって歩けば、
「あの人、格好良い!」
「素敵!」
と、女たちの黄色い声が降り注ぐ。
ブラジルに到着した崇彦と家族は、シャカラベンダ農場へと配耕されることになったのだが、ここでも女たちからキャアキャア騒がれることになったのだ。
「まるで舞台役者みたい」
「こんな格好良い人なんて見たことない!」
崇彦は自分の顔の所為で周りから持て囃されることを知っているし、自分の顔がそれほど価値のあるものではないことも知っている。
裕福な生活を送っていた崇彦には、それは美しい婚約者が居たのだが、実家が没落するのと同時に崇彦の婚約者は即座に崇彦を捨てた。
「崇彦さんはお顔が美しいから、一緒に歩いていれば皆から羨ましがられて良いのだけれど、借金までこちらが背負うとなると話が違ってくることになるのよね」
あれほど崇彦に愛を囁いていた婚約者がこれなのだ。他の女どもなど、野中家の背負った借金の額を聞いて即座に逃げ出すような有様だ。
「貴方のことを愛しているの、一緒に働いて少しずつでもお金は返していけば良いのよ!」
なんて殊勝なことを言ってくれるような女など、どうやら物語の中にしか存在しないらしい。
「崇彦を男専門の娼館に売り飛ばすわけにはいかないし」
「ブラジルまで行ってしまえば、どんな借金取りだって追いかけて来られるわけがない」
どうやら自分はこの顔を見込まれて、女衒に売り飛ばされる案まで出されていたらしい。最後まで崇彦のことを案じてくれたのは両親で、伯父家族を追うような形で逃げるように船に乗ることになったのだ。
シャカラベンダ農場に配耕された後も、女たちは今までと同じようにはしゃいだ声をあげていた。舞台役者のような崇彦さん、こっちを向いて!お願い〜!そんな言葉に手を振りながら、崇彦はつくづく嫌になっていた。
顔がいくら良くても、金が無い男がやれることは・・
「崇彦さん、崇彦さんのために私、料理を作ってきたの」
自分に貢いでくれる女の頬を撫でたり、時にはキスをしたりしてご機嫌とりをして、家族の食糧の足しになるように、女に貢がせ続けること。
ブラジルの生活は酷いもので、何の基盤もないまま金ばかりが飛ぶようになくなっていく。一攫千金などまるで夢のまた夢。日々、生きて行くのに精一杯で、使えるものは何でも使わないと生きていくのも難しい。
「それだけの顔の良さを持っているというのに、宝の持ち腐れというか、使い方を間違っているというか・・こんな辺鄙なブラジルの片田舎まで来てしまったのが運のツキという奴かもしれないが、お前がそのやり方で秩序を乱さないというのなら、お前のやる事に口出しをすることはしないでいてやろう」
ある時、徳三が崇彦に対してそんなことを言い出した。ちょうど、他所の農場で問題を起こした作太郎が移動してきた時のことで、彼は同居する自分の親族の女に手を出したとか何とかで問題を起こしていたらしい。
「要するに、妊娠をさせて騒ぎになるようなことはやめろということなのかな・・」
作太郎は親族の女に無体な行いをして、相手は気がおかしくなってしまった上に、妊娠をして自殺騒ぎまでしたらしい。
「そういう醜態を晒すようなことはやめろということか?」
顔が良い崇彦に対して、女たちはその先を望むことも非常に多い。それは夫がいようとも、夫がいなかろうと同じことで、
「崇彦さんと一緒になりたい」
という望みが女たちの瞳にはありありと映し出されていた。
一人を構うとその他大勢が嫉妬をして大騒ぎをするということは、経験上よく知っている。崇彦はみんなの崇彦であり、徳三から目を付けられることがないように、ある程度の距離を置いて行動するように心がけることにした。
徳三は怖い、本当に怖い。彼に対して逆らおうというつもりが崇彦にはないのだが、源蔵と作太郎という古株労働者が金を握ったまま殺されているのを発見して、
「埋蔵金がこの農場の近くに埋められているみたいなんだ」
という噂が広まるに従い、
「金があったら、伯父さんたちと一緒に土地を買って、また昔みたいな生活が送れるようになるかもしれない・・」
と、そんなことを想像するようになったのだ。
地元でも有名な地主の一家だった崇彦としては、昔のあの生活が忘れられない。どうせブラジルから日本に帰れないというのなら、広い農地を購入して、多くの小作人を雇って農場主のような生活をするのも良いのかもしれない。
「金が欲しい・・ああ・・金が・・金があったらなあ」
新しく配耕された奴らは金と女を求めていたが、崇彦はただただ、金が欲しかった。雪江とつるむように行動をしたのも、
「私、金が埋まっている場所を知っているかもしれない!」
と、言っていたから。
雪江が玩具にすると言い出した女を崇彦が引っ掛けていったのも、雪江の機嫌をとって、さっさと金が埋まっている場所を教えて貰いたかったから。
「崇彦さん!私のお腹の中には崇彦さんの子供が居るのよ!」
と、泣いて騒いでいる女がいたけれど、彼女が自分だけでなく複数の男を相手にしているのを知っている。崇彦の頭の中は金のことばかりとなっていて・・
「この女を売れば金になるかも・・いや・・妊婦じゃさすがに無理か・・」
と、思う程度には下衆な男に成り下がっていた。
伯父さん家族は第一便の船で来ているから、すでに農場との契約は切れているはずだ。早く金を手に入れることが出来れば、また家族が揃って暮らせるようになる。
珠子を犯すとか、そんなことは勝手にすればいい。松蔵の持っているライフル銃さえあれば、雪江が知っているという埋蔵金の場所まで行って、金を掘り出すことが出来るのだから、とにかく松蔵を襲って、銃を手に入れて・・
まさか松蔵がライフル銃だけでなく短銃まで所持しているとは思いもしなかったのだ。相手は流石戦争を生き抜いてきただけあって、足を撃ち抜かれた崇彦はあっという間に血まみれとなって気を失ってしまったのだ。
次に崇彦が目を覚ましたのは、自分の家の土間に放り出された時のことで、ここまで自分を運んで来たらしい徳三の家の長男である九郎が、崇彦の顔を覗き込みながら、
「ああ〜―ああ、松蔵さんときたら容赦がないにも程があるね」
と、言い出したのだった。
足を撃たれた後に散々殴りつけられた崇彦は、鼻と顎の骨が折れて、奥歯の何本かはなくなり、顔は倍以上に腫れあがって無惨な有様となっていたのだ。
「これは俺の慈悲とでも思ってくんな」
そう言って九郎は折れ曲がった崇彦の鼻を摘んで引っ張り上げるようにして真っ直ぐにすると、
「銃弾は埋まったままだから焼酎をかけた後に、焼いたナイフでほじくり出さないと足が腐ることになる」
と、父に説明しているようだった。
そうして何事かを話して九郎が出て行くと、母は転がったままの崇彦に縋りつき、父は困り果てた様子で土間に転がる崇彦を見下ろした。
「お前、埋蔵金なんて話を鵜呑みにして、あのお嬢さんの言いなりになっていたってわけか?借金取りがここまで来るわけでもないのに、なんで金なんかが欲しくなったんだ?」
「それは・・」
昔の生活を取り戻したかったから。
日本にはもう帰れないのなら、伯父さん家族と合流して、広い農地を購入して、小作人を雇って農場主みたいな生活が送りたいと思ったから。
「お前は馬鹿だねえ」
母は呆れた声でそう言うと、銃弾をほじくり出すためのナイフを取りに行くために立ち上がったのだった。
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