第64話  突然の銃声


 傷心のまま家へと帰ることになった美代は、三日考え抜いた末に、

「和子ちゃんのお兄さんのところに嫁ぎます」

 と、両親に向かって言い出したのだった。


 和子の兄の俊平は、船の時から一緒に行動をすることが多かったのだが、明らかに彼は、農場に移動した後も、美代に対して好意を持っているようだったのだ。今でも時々、目で追うように美代のことを見ているし、崇彦の妻となろうとしていた自分にとっては、ただただ、はた迷惑な存在だったけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。


「俊平さんからは昔から好意を向けられ続けていたんです!あの人だったら、私と私のお腹の子供を愛してくれるのに違いありません!」


 娘の言葉を鵜呑みにした美代の両親は、娘を娶ってはくれないかと和子の家に押しかける形で言い出すことになったのだが・・


 長屋の作りは何処も同じようになっていて、入り口の扉を入ったところが広い土間となっており、その土間の左側が水場や竈などをしつらえた台所、台所には裏庭へと通じる扉があって、そこから出入りが出来るようになっている。


 その裏庭へと通じる扉の前からくるりと体の向きを変えた俊平が、家族が座るテーブルの前まで来ると、手製のテーブルをドンと叩きながら怒りの声をあげたのだった。


「俺が!美代ちゃんを好きだなんて冗談でも言って欲しくないな!そもそも、いつでも熱い目線を送っていた?冗談じゃない!いつでも、妹の目をバカにするクソみたいな女を怒りの眼差しで睨みつけていたんだよ!誰でも彼でも自分の美貌に夢中になる?ふざけるな!そんな訳ないだろう!」


 びっくりした美代が思わず顔をあげると、俊平は美代の顔を睨みつけながら言い出した。


「いつでも俺の妹を手下のように引き連れて、自分の引き立て役にしていたんだろう?俺の妹の心優しいところを利用しやがって!俺の妹はな!薮睨みの目とか言われるかもしれないけど、器量だけは誰よりも素晴らしいんだよ!」


「にっ兄さん!やめてー!」


 和子が止めに入っても俊平は止まるところを知らない。

「見ろ!花びらのようにぷっくりとした唇!すっと通った鼻、目だってお前よりもぱっちりしているんだよ!俺の妹は美人だ!中途半端なお前なんかよりもよっぽど美人なんだよ!」


「そうですよ!うちの娘は誰よりも美人なんですよ!あんたの娘はうちの娘に散々バカにするようなことを言っていたけど、あんたんとこの阿婆擦れと比べたらうちの娘は天女ですよ!天女!」


 母まで参戦してそんなことを言い出した為、和子が助けを求める様にして父に視線を向けると、立ち上がった父が胸を張って、

「うちの娘は何処の誰よりも!」

 兄と母に続けとばかりに娘自慢をぶち上げようとしたところ、

 ズガーンッ

 一発の銃声が農場内に響き渡ることになったのだった。


「「「「えっ?」」」」

 みんなが瞬時に立ち上がると、

「「「なに?」」」

 と、顔を見合わせている。


 空砲ではなく、実弾を発射したような音に、全員が一瞬、緊張したものの、

「俺は信子ちゃんと結婚する予定でいるんだ!阿婆擦れ女は今すぐ帰ってくれ!」

 と、兄が叫び声を上げた。


 目のことも気にせずに長く和子のことを支え続けてくれた信子(本人は支えたつもりはかけらもない)なのだが、この度、兄の求婚がようやく受け入れられて、双方の両親も合意のもと、近々祝言を上げるつもりでいるのだった。


 美代のことだから、信子と俊平の祝言の話を知った上で、今回、割り込むような形で結婚の申し出なんていう暴挙に出ることになったのだろう。素朴な容姿の信子と比べたら、美人の自分の方が遥かに良い。


 お腹の中の子供のことなど瑣末なこと。美人の自分を娶れるのなら、平凡な女など即座に捨ててしまうだろう。そんな高飛車なところが美代にはあるからな・・と考えて、和子は思わずため息を吐き出してしまったのだった。



      ◇◇◇



 配耕された途端に、カマラーダとして働く道を選んだ四人組。親族に連れられて一攫千金を目指してブラジルまでやって来てしまった甥っ子の末路は暗いと言われた三郎は、

「いや、俺は自分の親族に対して恨みとかそんなものは一切、持っていないから」

 と、言い切るような男だった。


 家族の範疇に入れず、無賃の上での労働の末に、出されるものが水一杯とパン一個。そんな状況にブチギレて飛び出して来たという仲間たちと比べると、三郎は、おじさん家族の一員として扱われていたし、なけなしの賃金だって分けてくれようとまでしてくれた。


 だからこそ、

「俺、迷惑をかけたくないから、家を出てカマラーダとして働くよ」

 と、口減らしの意味で三郎は家を出る道を選んだのだった。


 喧嘩をしたわけでもなく、何か酷い目に遭わされたわけでもない三郎としては、自分が得たものはいつでもおじさん家族に分け与えてきた。おじさん家族は、息子三人、娘二人を連れた大所帯だった為、パンの差し入れだけでも非常に喜ばれることになったのだ。


 三郎のはとこに当たる清子は三郎と同じ年なのだが、

「気持ち悪い男が私に声をかけてくるんだけど、三郎さん、私を守ってくれないかな?」

 と、言われることになったのだ。


 自分に声をかけてくるということは、清子はブラジル人に目を付けられてしまったのか?一応、ブラジル人の中でそれなりに働いている三郎は、清と比べたらまだまだと言えるだろうけれど、最低限のポルトガル語だったら話すことが出来る。


「え?どんな奴が声をかけてくるの?」

 日本人にまで声をかけてくるとしたら、おそらくカマラーダ(賃金労働者)に違いない。お調子者のルイスが声をかけたのか、それともジョゼか?あいつも可愛い子には目がないしなあ・・


 奴ら、松蔵さんには頭が上がらないから、最悪の場合は松蔵さんに相談をして・・そんなことを三郎が考えていると、

「崇彦さんとかいう男が、やたらと私に話しかけてくるのよ!」

 と、清子は顔を真っ赤にしながら言い出した。


「あの人たちって女性を連れ込んで悪さをしているような人たちなんでしょう?お母さんにも気を付けなさいって言われているんだけど、最近、やたらと私を見てくるその目つきが気持ち悪くって!」


 崇彦さんとは、顔立ちがまるで俳優のような人のことであり、こちらに来た当初はやたらと人気があると聞いてはいたのだが、最近では新しく入った労働者たちとつるんで、悪い噂しか聞かないような人間に成り下がっている。


「何処かに連れ込まれて悪戯されたらどうしようって!毎日、毎日、不安で仕方がないの!」


 清子が女性からも人気の崇彦さんとやらに捕まったところを想像して、三郎はイライラが頂点に達することになったのだ。崇彦さんとやらはとにかく背が高い男なので、可憐な清子では到底太刀打ちなど出来ないだろう。


 清子の家族や三郎が警戒の目を向けていたとしても、当の崇彦さんとやらは何処吹く風といった様子で、相変わらず親しげに清子に対して声をかけてくるのだが、

「三郎さん!三郎さん!大変なの!」


 その日は農場主がやって来たとあって、農場で働く労働者は早く仕事を終わらせることになったのだが、珈琲畑から帰ってきたばかりの様子の清子が、慌てた様子でカマラーダ四人組が暮らす長屋へとやって来たのだった。


「あの崇彦って人が雪江さんと一緒になって、仲間と話しているのを聞いたんだけど!どうやらあの人たち、今日にでも松蔵さんを襲ってライフルを手に入れるとか、珠子さんを手篭めにするとか、そんな物騒なことを言っていたのよ!」


「「「「はあああ?」」」」


 四人のカマラーダは驚いた、彼らは松蔵にも珠子にも大きな恩があった為、


「ありえない!」

「ふざけるな!」

「そんなことは阻止しよう!阻止!」

「松蔵さんと珠子ちゃんを俺たちで助けるぞ!」


 四人がめいめいにそんなことを言っていると、

 ズガーンッ

 一発の銃声が農場内に響き渡ることになったのだった。

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