第62話  和子と美代

 薮睨みの目といわれる和子は今まで俯いてばかりいるような娘だったのだが、最近では真っ直ぐに顔を上げて、快活に話をするようになったのだ。


 同じ船に乗って来たうえ、配耕される農場も一緒だったということもあって、いつでも仲良く一緒に過ごしていた和子と信子、そしていつでも華やかな印象を持つ美代の三人の娘たちだったけれど、美代が雪江とつるむようになってから、和子と信子は美代とは離れて、カマラーダとして働く四人組の若者と楽しく過ごすことが多くなった。


 雪江と美代の悪い噂が広まっていくに従い、和子の親は、自分の娘が美代と一緒に行動をしなくなって良かったと、ホッとため息を吐き出したのだった。


 カマラーダの四人組は、親族の家から飛び出した当初、これからどうするのだろうと周りも不安を覚えていたのだが、人が嫌がる仕事も率先して行うし、ブラジル人からも日本人からも頼りにされるほどに、成長をしているのが良くわかる。


 美代や雪江のようにたちが悪い若者たちとつるむよりも、よっぽど健全な付き合いをしている二人に対して、親としてはホッと胸を撫で下ろすような思いでいた。


 家を出た珠子が神原松蔵の家で保護を受けるようになると、あっという間に落ちぶれていった珠子の家の様子や、目立つ珠子の存在が視界から消えたことで、雪江や美代という不和の種の存在が次々と浮き彫りになっていく。


 嫁入り前の若い女性が外作地にも向かわず、日曜になると昼間から酒を飲んで、若い男たちと楽しげにおしゃべりをしているのだ。それが誰も使われていない空き家で行われているということもあって、変な勘ぐりをする大人も出て来るわけで、

「和子は美代ちゃんたちと手を切って、本当に良かった!良かった!」

 と、言って和子の父は娘の頭をぐりぐりと乱暴に撫でつけたのだった。


 雪江と美代がそれは楽しそうにしているのを知っているし、取り巻きの若者たちに傅かれるようにして過ごしているのも知っている。徳三がデング熱に罹らなければこんな勝手は許されることはなかったのだろうけれど、古株の労働者でもある崇彦が参加していることもあって、若者たちのランチキ騒ぎは見逃されているような状態となっていた。


「お母さん、今日はお芋を揚げすぎちゃったから、茂さんたちのところにお裾分けに行ってもいいかしら?」

「和子、あなたが山のように芋の皮を剥いていたのは、お裾分け分を作りたかったからなのね?」


 マンジョッカ芋は山の中に自生している。見かけは自然薯のように長細い芋なのだが、真っ白な身は自然薯と違ってかなり硬い。泥だらけの皮を剥いていく作業はそれなりに大変なのだが、最近の和子は苦にならない。


 娘の和子が茂のおかげで明るくなったのを知っているし、彼に対してほのかな恋心を抱いていることも知っている母は、優しく二人の恋の行く末を見守り続けているのだった。


「お母さん!ちょっといいかい?」


 家の扉が開くと、和子の父が誰かを家まで連れて来たらしい。日本人同士助け合って生きているので、色々な家族が互いに行き来するのは当たり前となっているけれど、父の後ろからついて来たのが美代とその両親だったため、和子は思わず母の後ろに隠れてしまった。


 珠子が親に虐められ、新しく来た日本人労働者たちが珠子のことを悪様に言うようになった時に、珠子を貶める噂を率先して流していた美代に対して、和子は勇気を出して苦言を呈したことがある。


 その時に美代に怒鳴られ肩を掴まれた和子は、自分の目のことを美代から散々馬鹿にされたのだ。だからこそ、怯えたように和子は母の背中に隠れたし、母は娘を守るようにして前へと進み出たのだった。


「あらあら、斎藤さんちが我が家にいったい何の用があるのかしら?」


 今日は農場主がやって来たということもあって、農場労働者は早めに仕事を切り上げることになっていた。まだ日が沈み切っていないため、夕暮れの空が赤く染まり上がっている。


「マサさん、あの・・その・・」

 挙動不審となった美代の母がモジモジとしていると、

「さあ、とにかく入ってください」

 と、和子の父が家の中に入るように誘導をする。


 土間に置かれた椅子に美代と両親が座り、その向かい側に和子の両親が座った為、和子が人数分の珈琲を用意していると、裏庭にいた兄が顔を覗かせて、

「何があったの?」

 と、問いかけてきた。


「全然分からないの」

「ふーん」


 椅子に座った美代は俯いたままで、何かの事情を美代の父親が和子の両親に話しているようなのだが『妊娠』『誰の子か分からない』『これからどうしたら良いのか』と言う言葉が漏れ聞こえてくる。


「まあ、当然の結果と言えるだろうな」

 和子の兄がそう言って裏庭に出て行こうとすると・・


「出来たらお宅の俊平さんのところに嫁入りさせて貰えたらと思いまして。なにしろ、お宅の俊平さんとうちの美代は、船に居る時から非常に仲良くしていたじゃないですか?」


 と、いう声が聞こえて来た為、グルンと体の向きを変えた和子の兄は、土間の方へと移動をしていくことになったのだった。



     ◇◇◇



「ねえ、美代ちゃん、崇彦さんったら本当は美代ちゃんのことが好きみたいよ?」

 そんなことを雪江が言い出したのは、どれくらい前のことだっただろうか?


「美代ちゃんってこの農場では一番可愛いじゃない?だから崇彦さん、美代ちゃんのことが好きになっちゃったみたいなのよ?」


 雪のように肌が白くて、可憐な顔立ちをした雪江に比べると、美代は華やかな顔立ちをしていると言えるだろう。今まで崇彦と雪江の仲が良かったことは知っていたし、もしかしたら崇彦は結婚相手として雪江を選ぶんじゃないかと思っていたのだが・・


「え?本当に?本当に崇彦さんがそんなことを言っていたの?」

 美代がその話を聞いた時には、あまりの嬉しさに心が跳ね飛んでどうにかなってしまいそうだった。


 崇彦はとにかく顔が整っている。役者みたいな顔立ちをしているため、船の中でも人気だったらしいし、配耕となったこのシャカラベンダ農場でも日本人女性から高い人気を誇っていた。


 顔が良い上に、率先して女性を手助けするところが紳士的に映った為、

「なんだ!あのキザ野郎が!」

 と、苛立ちをあらわにする男性諸君も多かったのだが、そんな男性諸君を蹴り飛ばしながら崇彦を擁護する女性陣。


 まるで舞台の主役級のような人が、雪江ではなく私を好きだと言ってくれるなんて!

「美代ちゃん、俺に全てを捧げてくれないか?」

 そう耳元で囁かれては、全てを捧げないわけにはいかないではないか。


 周りの年頃の女性が結婚相手を探し始めているという中で、美代は確実に一抜けすることになったのだ。しかもお相手は崇彦さん、みんなが羨ましがらない訳がない!


 二人で甘い時間を送るようになってしばらくすると、

「美代ちゃんに俺の友達を紹介したい」

 と、崇彦さんが言い出した。


「雪江ちゃんもいるから、女の子一人だけってことじゃないし、心配しなくても良いから」

 崇彦さんは甘い声で美代の耳元で囁いた。

「俺の一番大事な人を、みんなの前で自慢をしたいんだよ」

 その時、美代はこの甘い言葉に騙された。後悔は先に立たずと言うけれど、激しく後悔することになったのだ。

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