第61話 頭の中がいっぱい
「マツ、お前は何で拳銃を持っているんだ?」
と、マティウスに追求された僕なんだけど、戦地で支給された、豚の額を撃ち抜くことも出来ない拳銃(上官から持って帰っていいよと言われて持って帰った)のことを説明すると、
「アーハーン?」
と、若干呆れられてしまったよ。そうだよね、豚の額を撃ち抜けないって・・アハーンとか言いたくなっちゃうよな?
ジョアンとマティウスからバンジード(ギャング)の話を聞いて、警戒しなくちゃいけないなと思った僕が自衛の意味で拳銃を所持していたら、四人のナイフとか鉈を持った男たちに襲われたっていうんだから世も末だよ。
結局僕が持っていた拳銃は、そのまま持っていても良いよってことになったんだ。僕は元々、ライフル銃を持っているし、最近では農場で所有する銃の整備とかもやっているし、ここの農場では武器関係のプロみたいな扱われ方だから、短銃の一丁くらい持っていたって良かろうという判断が下ったらしい。
「崇彦さんたちは、僕からライフル銃を奪い取って森に行こうと考えていたみたいです。埋蔵金がどうとか、雪江さんが埋まっている場所を知っているとか何とか言っていたんですけど、興味がなかったので話は最後まで聞いていないです」
「ふーん」
僕の話を最後まで聞いていた徳三さんは、顎に手を当てたまま日が沈んで暗くなった空を眺めていると、
「まあ、どっちにしたって農場から彼らは出ることも出来ませんから」
と、九郎さんが言い出したんだ。
そんな訳で、足の太腿に弾丸が入ったままの崇彦さんを、九郎さんが担ぎ上げるようにして運んで行ったので、残された僕とマティウスは顔を見合わせることになったんだ。
「エウボウブスカタマチャ(珠子ちゃんを迎えに行ってくるよ)」
「アータ(わかった)」
マティウスは短く切った髪の毛をバリバリ掻きむしりながら、
「クイダードマツ(マツ、気をつけろよ)」
と、言い出した。
どうやら、農場主を追いかける形でやって来た、見知らぬ男たちが周辺を嗅ぎ回り始めているらしい。
乾季で山が燃えて移動してきた獣による害獣被害がようやっと収まったかと思いきや、今度はバンジードだって?
日本のヤクザだってまともに相手にしたことなんか無いっていうのに、ブラジルのギャングってどんなんだよ。本当に意味不明、良く分かんないよなあとか、そんなことを考えながら僕が農場主の邸宅まで珠子ちゃんを迎えに行くと、
「松蔵さーん!」
ビシャーッと涙で頬を濡らした珠子ちゃんが、僕の腕の中に飛び込みながらしがみつくようにして言い出したのだ。
「私、もう、精神的に色々と追い込まれて無理!無理です!」
「え?何があったの?」
何、何、何?一体何があったんだ?
今日は農場主がやってくる日だったし、農場主に気に入られたいレディに珠子ちゃんが虐められるとか、悪者にされるとか、そんなことが起こってしまったのか?
「マツ!」
すると使用人頭をしているイーリャがやって来て、エプロンで自分の手を拭きながら彼女は困り果てた様子で言い出したのだった。
「珠子に今日、奥様のお腹の中の子供を診て貰ったんだけど、どうやら逆子だってことが分かったみたいなのよ」
イーリャが困り顔となって僕に飛びつく珠子ちゃんを見下ろしながら言い出した。
「逆子はお産が難しくなるでしょう?まだ奥様にも旦那様にも言ってはいないんだけど、珠子が不安になっちゃったみたいで・・」
「だって!逆子は難しいんだもの!」
確かに逆子は難しい、動物だって頭から出てこず足から出て来ることになると、お産で大分苦しむことになるもんなあ。
「何の心配もいらないよ、何かあったとしても、決して珠子の所為にはならないから!」
「そんなの分からない!」
珠子ちゃん自らが僕に抱きついてくるなんて初めてのことだったんだけど、彼女はイーリャの言葉にイヤイヤするように首を横に振りながら泣いている。確かに彼女は精神的に色々と追い込まれているのは間違いないようだ。
「イーリャ、今日はとりあえず二人で帰るよ。帰って彼女の話をじっくりと聞いてみるから」
「そうかい?まあ、そうだよね」
珠子ちゃんが泣くなんてことは、本当にないんだよね。鬼のような母と姉に虐められて育っただけに図太いというか、見かけは可憐な野薔薇のような人なのに、想像以上にタフな人だったりするんだけど・・
「イーリャ、これからは珠子ちゃんは僕が送り迎えするし、奥様に何かあればすぐに珠子ちゃんを連れて行くから、あんまり心配しないでも大丈夫だよ」
と言うと、イーリャはあからさまにホッとした様子でため息を吐き出したのだった。
べそべそ泣いている珠子ちゃんを僕は縦抱きにして歩き始めると、珠子ちゃんは拒否することもなく、僕の首に自分の腕を巻き付けながら泣き出した。
「逆子はお産が難しいのに、どうしよう・・ああ・・どうしよう・・」
泣いている珠子ちゃんの話を辛抱強く聞いてみると、どうやら珠子ちゃん、母方のおばあちゃんに引き取られて産婆の仕事を手伝っていた時に、丁度逆子に当たってしまったらしくって、結局死産になっちゃったそうなんだ。
「あの時は臍の緒が赤ちゃんの首にぐるぐると巻きついちゃって、それで生まれても息が止まっていて・・」
べそべそ泣きながら僕にしがみつく珠子ちゃんはいつまでも小刻みに震え続けている。
「どうして子供が息をしていないんだ、どうして子供が死んでいるんだって怒られて・・」
「その時、本当に怖い思いをしたんだね」
僕は彼女の頭を撫でながら、自分の家に向かってドンドン歩いて行ったんだよね。途中で崇彦さんの取り巻き三人を見つけたし、雪江の奴も性懲りも無く近づいて来ようとしていたんだけど、全部無視して歩き続けた僕は、珠子ちゃんを抱えたまま家の扉をバタンと閉めた。
あいつらがどういったつもりで僕に近づいて来たのかが良く分からないが、今度、何かを仕掛けてきたら殺してしまおうと心に決める。なにしろ、ブラジルで死ぬのはナオンテンジェイトで仕方がないで済むみたいだしね。
そんな奴らのことなんか全く気が付いていない珠子ちゃんを椅子の上に下ろすと、珠子ちゃんは机に突っ伏しながら言い出した。
「奥様が赤ちゃんの所為で死んだり!赤ちゃんが死産だったらどうしよう!絶対に私の責任にされるー!」
どうやら珠子ちゃんは逆子のことで頭がいっぱいのようだ。
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