第57話 ああ!奥様!
農場主のご夫妻がやって来るということで、私たち使用人は一斉に並んでお出迎えとなったわけですけれど、カミラに足を引っ掛けられた私は転げるようにして前に飛び出したわけです。
今までカミラとその友人たちには意地悪をされることも多かったんですが、こんな大事なところで足を引っ掛けて来るとは!本当にカミラは意地悪な奴ですよ!
丁度、ご夫婦がエントランスに到着したところで、私が前に転がるように出て来た上に、前のめりになって膝をついてしまった為、やって来た農場主とその奥様を見上げる形となってしまいました。
ノッサセニョーラ!ああ!マリア様!お給料が良いというだけで、家政婦として邸宅で働いてしまった私が悪いのでしょうか?日本人は日本人らしく、珈琲農場で働いておけばよかった?ああ!神様、仏様、マリア様!哀れな仔羊をお許しください!ソーメン!
「ノッサ!ジャポネジーニャカイウノシャオン!ケンプショウ?(あらまあ、日本人の女の子が転んじゃったわ!誰が押したの?)」
奥様は私が誰かに押されたってことに気が付いたみたい!(本当は足を引っ掛けられたんだけど)神は見捨てやしなかった!ありがとうございます!ソーメン!じゃなかった!アーメン!
「コイタジーニャ(かわいそうに)」
そう言って座り込む私の前まで奥様はやって来てくださったんですが、奥様を見上げていた私はスカートから覗く、奥様の足を見てしまったのです!
「ノッサ!(ああ!なんてこった!)」
私は奥様を見上げて言い出した。
「ドナ(奥様)!ボセプレシーザジマッサージェン(あなたにはマッサージが必要です)!スアペルナ(あなたの足は)インシャムイント(すっごい浮腫んでいます)!」
そうなのです、奥様の足が丸太のように浮腫んでいたのです。それはもう、絶対にマッサージが必要なほどに!
「ボセポージファゼールマッサージェン?(あなたはマッサージできるの?)」
「クラロキシン!(もちろん!)」
そこで使用人頭のイーリャが、私が(名ばかりの)エンフェルメーラ(看護師)で、最近の農場のお産は私が大概面倒を見ていて、しかも腕が良いから産後の肥立が非常に良い(現場への復帰が早い)と説明してくれたわけです。
なにしろサンパウロ中央都市から、汽車と車を利用して農場主夫妻は移動して来たそうなんですけど、途中、休み休みしながらといっても距離が遠すぎる!もうちょっと北に向かえばミナスジェライス州だよ!(農場があるのはサンパウロ州)身重の奥様は長距離移動で足は丸太、精神的にもクタクタ状態だったわけですね。
旦那様はなんか言っていたみたい(聞き取れなかったので分からない)だけれど、とりあえず奥様はこの後、部屋で休むので、珠子に浮腫んだ足を何とかしてもらおうということで話はつくことになったのでした。
シャカラベンダ農場の農場主であるアレッサンドロ氏は、クルンとカールをした黒髪で、青い瞳をしたブラジル人です。年齢は二十八歳、奥様のエミリア様は二十五歳。金髪白人の方で、一人お子さんをお産みになっているんだけど、そのお子さんは奥様のご両親が今は面倒をみているとのことでした。
今は妊娠八ヶ月といったところで、お腹はだいぶ大きくなっております。お腹が大きくなるに従い、足の血の巡りが悪くなることも多いので、長時間座っていたりすると浮腫みが酷くなったりするわけです。
お腹に赤ちゃんが居るということで老いた医師が付き添って来てくれたみたいなんだけど、このお医者様、妊娠出産は専門外という方だったわけですよ。何かあった時には対応出来るようにということで雇われてついて来たけれど、
「シチオ(別荘)にバカンスに来たようなものだから」
と、本人も豪語しているだけあって、本当に困ったことが起こらない限り、バカンスを楽しむつもりみたいなんですよね。
ということで、私の出番というわけなんですが、
「足が本当にすごいって〜!」
と、私は心の中で叫び声を上げておりました。
農場で働く妊婦さんは良く働くので、動いた分だけ血流も良くなったりするんですけど、上げ膳据え膳状態の奥様は、妊娠による気鬱を発症したことにより、日中でもあまり動くこともなくお過ごしになられた末に・・
「この足〜、丸太みたい〜!」
というくらいの浮腫みようだったのです。
妊婦にとって浮腫みというのは大問題で、
「血の巡りが良くなるように、赤ちゃんが無事に育つように、私たちが助けてあげなければならないんだよ」
というのが亡くなったおばあちゃんの言葉でもありました。
本当の本当に、私の足の五倍くらいの太さまで浮腫んでいるんですから、歩くのだって大変だっただろうなって思うほどです!
「よーし!やってやるぞー!」
まずは奥様の足を、お湯を張ったタライに入れて温めて、その後には温かいタオルでふくらはぎを包みこみ、末端(足先)から中枢(体幹)に向かってマッサージを実施します。こうなってくると、腰も背中もバキバキ状態となっているので、横向きにベッドで寝かせた状態で、背中のマッサージも行っていきます。
腰回りは変に刺激してお腹に障りがあっても困るので、慎重に、慎重に行っていきます。肩周りと首は温かいタオルで温めながら丹念に揉みほぐしていくと、旦那様まで、マッサージを所望。
長時間の移動で体がバキバキ状態のご夫婦の凝り固まった筋肉を解きほぐし、最後には奥様のお腹の中の赤ちゃんを確認して欲しいとまで言われることになりました。
妊婦さんはお腹がでっぱっているわけなんですけれど、胎児が成長すればある程度、子供の体の向きや心音を確認することが出来るようになるわけです。
奥様には仰向けに寝てもらってですね、左右から挟み込むようにして大きなお腹に触れました。そうするとお腹の上からでも胎児の背中を確認することが出来るわけです。お腹の中の胎児は丸まっているので、背中の向きから頭が上か下かも良く分かるのですが・・
私は手製の竹で作った聴診器(赤ちゃんの心臓の音を聞くためのもの)を大きなお腹に当てて、赤ちゃんの心音を確認。そうして、最後にもう一度、奥様のお腹の赤ちゃんの位置を確認すると、今まで付き添ってくれたイーリャに言いました。
「あのー、お腹の中の赤ちゃん、逆子ですー」
「え?」
イーリャが慌てて顔をあげていますが、奥様は疲れが出たのが夢の中。
「え?本当に逆子?」
「逆子です」
逆子ってどういうことかというと、本来頭が下を向いているはずの胎児が、上を向いているってことになるんですね。
動物でも何でもそうなんですけど、足から生まれるのって難産になりやすく、死産にもなりやすいんです。何とかして、逆子から元に戻さなくちゃならないんだけど・・ああ!奥様!なんてこった本当に!
「ノッサセニョーラ」
本当にそれね。イーリャが言うように、私もその言葉を口の中で呟いていたわ。
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