第58話  不和の種

 ジョアンとマティウスからバンジード(ギャング)が農場までやって来るかもしれないという話を聞いた僕は、徳三さんのところまで話をしに行ったわけだけれど、

「可能であれば、パトロン(農場主)に直接話を聞いた方が良いのかもしれないが・・」

 と、土間に置かれた椅子に片膝をたてて座っていた徳三さんは、頬杖を付きながら言い出した。


「そのやり口で言うなら、脅迫をしてきたジジイの後ろに誰かが居るのだろう。そいつがオンサの毛皮が欲しいってことで、代理でジジイを動かしているんだろうな」


「脅迫されるくらいだったら、オンサの毛皮くらいあげちゃえば良いんじゃないのかなとも思うのですが?」

「それは悪手だな」


 徳三さんの奥さんであるりよさんが、僕の前に珈琲、徳三さんの前に薬湯を置くと、徳三さんの隣に座りながら言い出した。


「脅迫するような奴が言うことを一つでも応じれば、それは延々と脅迫されることにもなりますよ。相手は愛する奥さんをネタにして脅せば何でもやってくれるだろうと思うだろうし、松蔵さんは何処かに行っちまったオンサを捕まえるために、延々と森を移動することになるでしょうしね」


 裏の世界の人間というのは、国が変わっても大概、同じような思考とか思想で動くのかなとも思うんだけど、徳三さんの奥さんも、今の口ぶりだと完全に裏側にいた人ってことになるのかな・・


「脅迫したジジイの後ろ側に居る人間が分かったら、脅迫し返してやりゃあ良いと思いますよ」

 と、徳三さんは言い出した。


「うちの九郎も次郎も、家に忍び込むのは得意だから、相手さえ分かれば脅迫し返すのなんて簡単なことですし」


「そうなると、サンパウロ中央都市には連れてって貰わないとだけどね?」

 座りこんでダンビラの手入れをしていた九郎さんがそんなことを言い出すと、

「次にパトロンが帰る時に、一緒に行ったらいいんじゃないの?俺が行こうか?」

 と、隣に座ってライフル銃の整備をしている一之助さんが言い出した。


 徳三さんはお兄さんの辰三さんがブラジルに行くということで、即席の自分の家族を作って一緒にブラジルまで渡ってきたという人なんだけど、長男が九郎、次男が一之助、奥さんのりよさんは年齢不詳の迫力ある美人なので、裏の界隈の人をかき集めたのかなっていうメンバーで取り揃えられているんだよね。


 僕が配耕になった時に、壊れたライフル銃を整備出来ないかってことで渡されたんだけど、それはジョアンにも頼んで部品も交換する形にして、きちんと使えるようにした上で日本人のリーダー的存在である徳三さん一家に渡したんだ。


 僕はオンサを狩るのに必要だってことで農場主に新しい銃を買って貰った関係で、僕は僕で一丁持っている形となる。そんな訳で、今、日本人労働者は害獣から身を守るために二丁のライフル銃を持っているんだけど、これから万が一にもバンジードが襲って来るようなことがあるのなら、武器が足りなさ過ぎるのは間違いない事実だ。


「話には聞いていたんだが、バンジードは田舎の農場なんかを襲撃しては、女なんかを攫っても行くらしい」

 爪切りを取り出した徳三さんは、パチンパチンと爪を切りながら言い出した。


「昔は金と女目当てで襲ってくるのも度々だったらしいんだが、こんな田舎のシャカラベンダ農場まで都会のバンジードがわざわざやって来るかな?」

「そんな時には、女だけは先に裏山の方へ逃すらしいんですけど、そうなった時に日本人にも声をかけてもらえるのかが不安だね」

 一之助さんの言葉に、りよさんが鼻で笑いながら言い出した。


「男が好きで好きで仕方がないみたいな女がうちの農場には居るようだから、そいつらから攫ってくれると良いんだけどね」

「雪江だろう?」

「美代もだっけ?」

「不和の種って奴だな」


 凄く不思議な現象だなと思うんだけど、集団が集まると何故だかいつでも、一定数の問題児が発生することになるわけだ。この問題児のことを、僕も戦地では『不和の種』と呼んでいたけれど、集団の中で『え?なんで?』というような問題行動を起こすのがこいつらなんだよね。


「日本人なんてものは、気質も穏やかで、生真面目で、何の問題も起こしたがらないっていうところが重宝されるんだが、何故だか集団で何年も過ごしている間に、必ず一定数の『不和の種』が生まれ出す」


「日本人労働者もだいぶ落ち着いてきたって話は聞いていたんですけど?」

「表向きはな?」


 徳三さんは薬湯を飲みながら言い出した。


「これから、うちも含めて契約を終了した日本人がどんどんと出てくることになる。分かりきったことだが、俺たちは日本に帰ることは出来ない。大金を稼いで故郷に錦を飾るなんて到底無理なんだよ。それじゃあ帰れないし、どうしようかってことで、みんながみんな、悩み出す」


「現状に納得がいかずに怒り出す人もいれば、嘆き悲しむ人もいるんでしょうけれど、そういう時に限って問題は起こるものですよ」


 徳三さんの奥さんの予言のような言葉を聞きながら、本当にバンジードが来たら嫌だなとか、珠子ちゃんには何かあったら裏山に逃げるように教えなくちゃとか、そんなことを考えていた僕は、そろそろ珠子ちゃんも帰って来るだろうからと、徳三さんの家を辞することにした。


 とにかく、徳三さんには話をした。バンジードが来た時の逃げ道なんて僕らは知らないから、ジョアンに尋ねてみるのも良いかもしれない。珠子ちゃんは邸宅にいるだろうから、皆んなと逃げるとは思うんだけど・・

「松蔵さん!」

 そこで、可愛らしい女性の声が僕を呼び止めたわけだ。


 振り返ると、先ほど話題に出た川地雪江が立っており、

「松蔵さん!美代ちゃんが死ぬって騒いで森の方に行ってしまったの!お願い!助けて!」

 と、意味不明なことを言い出したのだ。

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